忠犬ハチ公

 ハチ公といえば今も飼い主の帰りを渋谷駅前で待ち続ける健気な秋田犬として有名ですね。渋谷のランドマークとして電車の改札口をはじめ、いろいろな場所に「ハチ公前」という表示があり、人々の待ち合わせ場所としても利用されてきました。二度と帰って来ない人を待ち続ける犬の像を、誰かを待つ場所に指定する心情はちょっと不思議ですけれど(笑)、やはり人と動物の心の交流を描いた悲しくも美しい物語を秘めてますね。

 どうせ犬畜生のことだから、餌をくれる人なら誰でもよかったんだなどと心ないことを言う人もいますが、何年も渋谷駅頭に通い続けたハチ公にしてみれば、やはり“あのご主人(上野博士)”でなければならなかったはず、餌が欲しかっただけなら別の人に尻尾を振って飼い主を鞍替えしたと思います。むしろそんな悪口を言う人間の方こそ、ご自身の卑しい心情を犬に投影しているのではないでしょうか。

 私が久しぶりに渋谷のハチ公前を通りかかった時は、ご覧のように『エイズ撲滅』のキャンペーンに協力する襷をかけて、長蛇の列をなす観光客の写真撮影に“快く(笑)”応じていました。ハチ公と記念撮影をするために並んでいる人たちの半数は欧米を含む外国人観光客でしたね。そういう人たちの合間を縫って撮影したのがこの写真です。

 東京帝國大学農学部の上野英三郎教授は秋田犬を飼いたいという希望があり(ロシア人フィギュアスケートのザギトワ選手みたい…)、1924年に秋田県大館市の人から生まれたばかりのハチを買い取ったそうです。たぶん上野博士はハチを可愛がって育てたと思いますし、すでに上野家に飼われていた違う犬種の犬たちともうまくやっていました。ハチは毎日上野博士の出勤を家の玄関で見送ったといいますし、時には渋谷駅まで送迎することもあったらしい。上野家は現在の渋谷区松濤にあり、上野博士の勤務した東大農学部は現在教養学部が置かれている駒場にありましたから、上野博士は現在の京王帝都井の頭線で通勤していたと思われます。私も大学の教養学部時代はこの電車で通学しました。なお上野博士は我が国の農業土木学の先駆者で、明治時代後期以降の耕地整理事業に貢献、その教え子たちは関東大震災からの復興事業にも活躍したそうです。上野博士はただの犬好きの学者ではなかったのですね。

 ところがハチが上野博士に飼われるようになって1年後の1925年、博士は大学で学生講義中、脳出血で突然倒れて帰らぬ人になります。53歳という今でいえば働き盛りの年齢でした。それと知らぬハチは博士の通夜の晩も渋谷駅で博士を待っていたそうですし、その後も10年近く渋谷駅頭で帰らぬ博士を待ち続けました。博士亡き後は縁あった人々の家を転々とするが、上野博士を慕うあまりいろいろなトラブルを起こしてしまうので、最終的に渋谷に住んでいた上野家出入り植木職人の家に預けられたそうです。しかしその後もハチは途中上野家の屋敷を覗いては博士を迎えに渋谷駅に通うことを繰り返しました。

 最初の頃は通行人や子供たちから虐待を受けることも多かったが、忠犬ハチ公として新聞に報道されてからは人々の態度も一変、頭を撫でて通り過ぎる人、食物を与える人も多く、渋谷の駅員たちもハチが駅舎で寝泊まりしても追い払わなくなりました。そして上野博士の死後10年経った1935年3月8日の朝、渋谷駅でハチが死んでいるのが発見されました。ハチの葬儀は僧侶の読経の中、多くの花輪や生花、弔電や香典が届くという人間さながらの盛大なものであったそうです。

 渋谷のハチ公像は存命中の1934年に建立されました。ハチは彫塑家の安藤照氏のアトリエにモデルとして通ったらしい。動物の像が存命中に制作されるのは異例のことですが、ハチ公の“美談”を利用して自分が上野家から木像制作を依頼されたと偽り、資金集めを始めた詐欺師が出現したため、その機先を制したものといわれています。いつの世も善良な庶民を騙して金を巻き上げようとする不逞の輩はいるものです。皆さんもお気をつけ下さい。

 最初のハチ公像は太平洋戦争末期の金属供出で撤去され、惜しいことに終戦前日に溶解されてしまったそうですが、終戦後にハチ公の話を知っていた進駐軍の協力もあって1948年に再建されました。終戦後の混乱期だったにもかかわらず、わずか3年で再建されたのは旧敵味方の国境を越えたハチへの思い入れがあったためでしょう。

 その後ハチ公像建立50周年の1984年、東大農学部にある上野博士の胸像が渋谷に運ばれてハチ公の銅像と対面したという記事が『ちょっといい話』として何かの新聞に写真入りで掲載されていたのを覚えています。渋谷駅前は現在再開発で大きく変貌していますが、ハチ公像は場所や向きを変えて今も渋谷を訪れる人々を出迎えてくれています。渋谷のハチ公の左耳が垂れているのは、上野博士を待っていた時に野犬に噛まれて怪我をしたせいだそうです。

 ハチ公の像は生まれ故郷の秋田県大館市や、上野博士の出身地の三重県津市にもあるらしいですが、東京都内では渋谷駅前だけだと思っていたところ、先日思わぬところでハチと上野博士の銅像を見つけました。東京大学弥生キャンパスの農学部構内です。本郷キャンパスの工学部から言問通りを橋で越えた所が弥生キャンパスですが、本郷通りに面する農学部正門の傍らに、帰って来た上野博士にじゃれついて嬉しそうに出迎えるハチの像が建てられていたのです。

 あれ、こんな像って私の学生時代からあったかな…と思って農学部の友人に聞いたら、2015年のハチの命日に建てられたものだそうです。先ほども少し書いたとおり、上野博士の勤務した東京帝國大学農学部は駒場にありましたが、その後向ヶ丘(弥生町)にあった旧制第一高等学校と敷地を交換して現在に至ります。ついでながら駒場に移った第一高校跡地は戦後東京大学の教養学部になりました。旧制一高の寮歌『嗚呼玉杯に花うけて』に
向ヶ丘にそそり立つ 五寮の健児意気高し
とあるのは、かつて一高が弥生の地にあったことを示しています。

 ハチ公のお話は日本人ばかりか海外の人々も共鳴する人と犬の愛情物語ですね。ハチがエサ欲しさに渋谷駅まで上野博士を迎えに行っていたと思っている人は考えを改めた方が良いと思います。犬はオオカミと同じく群れの序列の中で生きる本能を持った動物だから、自分を飼い慣らす、あるいは自分に命令する仲間の統制に従うのが幸せなのだそうです。なまじ犬を甘やかしてエサや遊びをホイホイ与え、自由奔放に振る舞わせると犬は自分の“アイデンティティ”を見失ってノイローゼになり、飼い主に噛みついたり吠えかかったり凶暴化するらしい。

 ハチにとって上野博士は何者にも替えがたい生涯のパートナーだったのでしょう。人間は犬とは違うのですから、飼い主に盲従する必要はありませんが、あっちの偉いさんに尻尾を振った方が取り立てて貰えるとか、こっちの上司に忠義ヅラした方が出世の近道だとか、自分の信念を曲げても目先の損得に右顧左眄するような人間は、犬畜生にも劣るヤツと軽蔑されても仕方ないですね。


         帰らなくちゃ