まもなく羽田、東京上空

 もう9年ほど前、まだ板橋の大学に教員として勤務していた頃、職場の窓から見上げると蒼穹に溶け込むように銀色の旅客機が高度を上げていく、また帰る道すがら西行きの旅客機が夕陽に翼を輝かせながら飛び去って行くのが見える、そんな羽田空港を離陸した旅客機について書いたことがありましたが、最近では自宅の窓から羽田空港に着陸態勢に入った旅客機も眺められるようになりました。

 2020年の東京オリンピックで海外からの旅客機増便を受け入れるのに、従来の成田と羽田への空路だけでは捌ききれなくなるので、南風が吹く日の午後3時から6時頃までの間、羽田に着陸する空路が新たに設定されたわけです。羽田空港にはほぼ南北に走る滑走路が2本、A滑走路とC滑走路がありますが、ここに新しい空路を使って北側から進入する旅客機は、東京都区内の北縁に沿って反時計方向に旋回、練馬上空当たりでいよいよ空港めざして一直線の最終アプローチに入り、新宿〜渋谷〜大崎〜品川と高度を下げていって羽田にタッチダウンします。

 自宅にいながらにして最終着陸態勢に入った航空機を缶ビール片手に眺めるというのは、乗り物好きにとっては至福の時間ですね(笑)。気が向けば望遠レンズを装着したカメラを構えてシャッターチャンスを狙っています。この写真は2020年4月のスーパームーンの満月前夜、ちょうどC滑走路に向かう空路に地平線の方から十四夜の月が昇ってきたので、もしかしたら飛行高度の偶然によって月面を横切る飛行機が撮影できるんじゃないかと待ち構えていた時のものです。

 ドンピシャリ…よりはわずかに上へ外れましたが、それでも見事に月面に交差しましたね。私は小学生の頃に週刊少年サンデーで読んだ藤子不二雄さんの漫画『海の王子』の最終回を思い出しました。

 海の王国から強力な鋼でできた戦闘機はやぶさ号に乗って妹のチマと共に地上にやってきた王子が、チエノ博士や新聞記者のハナさんと協力して強敵と戦い地球の平和を守るという、これぞまさに少年漫画の真髄という物語です。その最終話、壊しても壊しても元に戻ってしまう不死身の巨大ロボットとそのコントロールセンターに体当たりしてそのまま姿を消してしまった王子とチマ、最後のコマでチエノ博士が邸宅のベランダから満月を見上げていると月面を横切る1個の影、鳥か雲に見えたが、
しかし博士は信じていた、あれははやぶさ号だと
という子供心にもちょっと切ない言葉とともに物語は終わったのでした。

 その最後の絵は今でもよく覚えていますが、あれは絶対はやぶさ号の形でしたよ(笑)。何で海底王国の戦闘機の名前が“とびうお”とか“シャーク”などではなく鳥の“はやぶさ”なのかは、今にして思えば突っ込み所ですが、はやぶさ号との別れは読者の少年にとっても寂しかった…。

 はやぶさ号は内部の居住設備も充実したけっこう大型の重戦闘機でしたが、チエノ博士が見上げるその機影は満月の直径の1/10くらい、たぶん高度2万メートル以上の高高度を飛んでいたのでしょう。この旅客機ははやぶさ号の2倍くらいの大きさがあって、しかも高度600〜700メートルくらいでしょうから、さすがのスーパームーンもあっという間に突き抜けてしまい、あの時のはやぶさ号のような余韻はありませんでした。


 ところで南風の時に飛行機が北側から風に向かって降りていく理由はご存知ですか。メリー・ポピンズみたいに風に乗って南から降りてくる方が楽なのに、何でわざわざ風に押し戻されながら降りて行くんだろう…なんてボーッと考えてるとチコちゃんに叱られますよ。飛行機は離着陸はなるべく短い距離で済ませたい、だからできるだけ地面に対する速度を落としてゆっくり飛びたいわけですが、あまり遅く飛ぶと翼が機体を支えるだけの揚力を作れません。しかし風に向かって飛ぶことで飛行機自体の速度に風の速度がプラスされ、翼の受ける相対速度が増加して揚力も増えるわけ。スキーのジャンプ競技で何で追い風が不利なんだろうと漠然と疑問を持っていた方もこれで理解できたんじゃないでしょうか。向かい風の方がスキーに働く揚力が増えるからです。

 さて羽田に向かって着陸態勢に入った旅客機を眺められるようになったのは嬉しいのですが心配なのは事故、人々やマスコミは低空で進入する飛行機の騒音を気にしているようですが、問題なのは別の記事でも書いた車輪を出す操作の際に機体から落下する氷片や老朽部品。新空路使用開始後1年くらい経った頃に、幸いにしてこれまで機体落下物は確認されていないなどと、国土交通省あたりから広報が回ってきたこともありましたが、爆撃機じゃないんだからそうポイポイ何か落とされてたまるか…って感じですね。

 あと大惨事につながるような市街地上空での墜落事故、これも民間航空を退役したベテラン機長の方が書いていたのを読んだ覚えがありますが、この羽田への新しい進入航路は世界一難しいのだそうです。地上での騒音をできるだけ小さくするように、なるべく高い位置から降下角度を大きく取って降りて行かなければいけない。この降下角度の指示は、かの悪名高かった香港の旧啓徳空港よりも大きく、新宿・渋谷の市街地を跨いで羽田の滑走路に降りるのは、まるで擂り鉢の底へ降りて行くような恐怖を感じたとのことです。

 まあ、練馬あたりの地上から見ていると、約半数の旅客機はこの降下角度の指示を守っていない。たぶんベテランの腕利きパイロットは練馬ではずいぶん高い所を飛んで行きますが、ちょっと自信の無い(?)パイロットは低い所を飛んでいきます。地上から見える機影の大きさがまったく違いますから、きっとこの推測は正しいでしょう。私もかつでフライトシミュレーターなどというゲームソフトで遊んだ経験から、空港に着陸する時はなるべく手前から地表近くにまで高度を下げておく方が楽だと思います。

 とにかく飛行機の操縦で一番難しいのは着陸、これは旧日本海軍のエースパイロットだった坂井三郎さんも書いていました。その着陸操作を新宿・渋谷といった大市街地上空で行うわけですから、パイロットや管制官の訓練や適性検査、機体の整備、大阪や博多なども含め市街地上空を通過する空路の運営などは万に一つの抜かりも無いようにやって貰わなくては困ります。起こり得ない事故は無い、2011年3月11日の福島原発の教訓が次第に風化しているように見えるのが気がかりです。


         帰らなくっちゃ