法善寺横丁

 2013年の秋に大阪で学会があって、1泊2日で行って参りました。別のページにも書きましたが、私のような“純粋”な東京人にとって大阪はちょっと敬遠したくなる街で、学会でもなければわざわざ出かけることもありません。あの溢れんばかりの活動的なエネルギーは、どうも東京人には受け止めきれないところがあります。

 大阪の街を歩いているオッチャンやオバチャン、独特の雰囲気がありますね。どこがと言って上手に説明できるわけではなく、いかにも大阪弁の似合う人たち…としか表現しようがありません(笑)。東京人もあのエネルギーは見習わなければいけないと常々思ってはいるのですが…。

 さて学会でも無ければ…と書きましたが、もう私の定年まで大阪での学会はたぶんありません、大阪も7〜8回は訪れたと思いますが、もしかしたらこれがお別れかな、ということもあり、これまで来阪のたびにやりたくても出来なかったことにチャレンジしてみました。

 別にそんな大袈裟なことではない、大阪人に混じって法善寺横丁をハシゴで食い歩きすることです。法善寺横丁と言えば知る人ぞ知る、1960年に藤島桓夫さんという歌手が歌って大ヒットさせた『月の法善寺横丁』の歌の舞台でもあります。作詞は十二村哲さん、作曲は飯田景応さんという方。
 若い修行中の料理人が若い娘(こいさん)と恋に落ちるのがこの法善寺、横丁の奥の境内には水掛不動がおわしますが、願を掛ける人々が水を掛けるので、怒りのお顔も見えなくなるほど全身ビッシリと苔むしています。こいさんはこの水掛不動に若い料理人が早く一人前になるようにとお参りしてくれたわけです。

 しかし修行中の若者が恋人と所帯を持つなど御法度なのが庖丁人の世界、私の学生さんたちは国家試験も通る前から自由恋愛が当たり前ですが、半世紀以上も昔の職人の世界では修行中の若者が恋人と仲睦まじくするなどとんでもない話、死ぬほど苦しい恋を忍んで料理の修業に励んだのでしょう、また料理の親方もそんな弟子の恋心など見通していたと思いますが、真面目に励んだこの若者にこいさんと所帯を持つことを許します。
 ただし自分の店で修業しただけではまだ一人前ではない、他の店の親方についてみっちり修業を積んで帰って来てから、という条件をつけます。厳し過ぎると思われそうですが、昔はそれが当然だったのでしょう。第一、その親方だって自分が若い頃に同じような修羅の道を歩んで修業してきたはず、心を鬼にして若い弟子の修業を他の店の親方に託したのだと思います。

 そしてしばしの修業に旅立つ別れの歌が『月の法善寺横丁』なのです。藤島桓夫さんの甘い声で歌う切ない歌詞をぜひネットでお聴きになって頂きたいですが、実はこの歌には大阪弁のセリフが入っているのですね。
こいさんがわてを初めて法善寺へつれてきてくれはったのは、「藤よ志」に奉公に上がった晩やった。はよう立派なお板場はんになりいや言うて、長いこと水掛不動はんにお願いしてくれはりましたなあ。
と、この歌のセリフに関しては大阪弁も何か切ない。

 歌にセリフが入るのは、加山雄三さんの『君といつまでも』がずいぶん新鮮な感じがしたものでしたが、実はその数年前の藤島桓夫さんの『月の法善寺横丁』の方が早かったわけです。

 ところでそんな料理人の歌の舞台である法善寺横丁界隈には高級なフグ料理からタコ焼き・お好み焼きまでいろんな食べ物屋さんが並んでいますが、一度で良いからここを独りで食べ歩いてみたいと思っていました。学会で来阪すると大体誰かと一緒ですから、相手に気を遣ってなかなか好きな物を食べられない。
 今回は、さあ食うぞ、と気ままに食べ歩くつもりでしたが、先ず生ビールでラーメンを食べて(チャーシューが分厚いのに柔らかかった)、焼酎で寿司をつまんだら(シャリが見えないほど具が大きかった)、もうお腹一杯になってしまいました。こりゃもう一度大阪に行かなきゃいけないな(笑)。


         帰らなくっちゃ