マドリード(Madrid)


 私の新婚旅行の最初の訪問はスペインの首都マドリードであった。私にとっては2度目の海外旅行であったが、カミさんはすでにヨーロッパの旅行経験(スイス〜ドイツあたり)はあった。この写真はマドリードの王宮である。しかしここで、これから新婚旅行をする、あるいはするかも知れない、特に男性諸君(新郎候補者)に言っておくが、くれぐれも新婚旅行の旅先では見知らぬ風物の見聞などに期待してはいけない。もっと見知らぬモノが身近にいるからである。
 それは”恋人”でも”婚約者”でもなくなった”妻という女”である。諸君はその女性をよく知ったうえで結婚したと思っているだろうが、新婚旅行で傍らにいる女性は”婚約者”(許婚ともフィアンセともいう)とはまったく違う未知の生物と考えた方がいい。例えば婚約時代は飯を食うのも、トイレに立つのも多少遠慮していたのはお互い様としても、婚約者は外出前のお化粧や身繕いにあんなに時間はかけなかった、ショッピングにもあんなに目を輝かせて夢中になることもなかった。
 婚約者から妻になった女性の変化を観察するのは、外国の城だの寺だのを眺めるよりも遥かに面白いし、かつ切実である。新郎諸君はよくよく心して新婚旅行に出かけるように。



 というわけで、私が《初めて》マドリードを見たのは、1992年に開かれた国際病理学会に出かけた時だった。コロンブス(Columbus)のアメリカ大陸発見のちょうど500周年に当たる年で、スペインは国を挙げて祝賀ムードが盛り上がっていた。そう言えばコロンブスはスペインのイサベラ女王(Queen Isabel)の援助を受けて船出したのである。コロンブスのスペイン名が"Colon"(ただし2つ目の"o"には上にダッシュがつく)、これは英語で解剖学的に大腸を意味するので、ちょっと面白かった。さらにイタリア名では"Colombo"だそうだ。ちなみに世界史の試験でアメリカ大陸発見の年号は、「新大陸は石(14)の国(92)」または「意欲に(1492)燃えるコロンブス」と記憶したものである。
 上の写真
は学会が行なわれた会場ですが、さすがにピカソ(Picasso)やミロ(Miro)を生んだ国の施設である。(上の建物のレリーフはピカソかミロか、あるいはどちらでもないか、お判りの方は教えて下さい。)



 ところでマドリード市内には、軍隊博物館とか軍事博物館と邦訳されている大きな博物館があり、剣や槍や銃や大砲などが展示してあったが、これは「陸軍博物館」と訳すのが正しいのではないか。なぜなら市内には、もう一つ「海軍博物館(Museo Naval)」が存在するからである。
 軍事博物館に関しては多くの日本の観光案内書にも掲載されているが、海軍博物館の方はほとんど触れられてもいない。確かに海軍省か何かの近所の目立たないビルで
、帆船の看板が出ていなければなかなか見つけることが出来ないほどこじんまりとした博物館であった。この帆船の看板、おそらく世界史の教科書で目にしたことがある人も多いだろうが、スペイン無敵艦隊(the Invincible Armada)の軍艦である。1588年7月、フェリペ2世(Felipe II)が英国に差し向けた大艦隊は惨敗を喫して、以後の大西洋の覇権はスペインから大英帝国に移ることになる。
 マドリードのような内陸の都市に旅行しているとつい忘れてしまいがちだが、スペインはかつて大英帝国と大西洋の覇を競った海軍国の伝統を持っているのだ。ただ無敵艦隊のショーケースの中で、作業服を着た館員が未完成のモデルシップを塗装していたのは、いかにもスペインらしい悠然としたものだった。
 最近のスペインの海軍事情にも特筆すべきことがある。海上自衛隊が艦艇をインド洋に派遣することになった時に一般の人たちにもその名を知られるようになったイージス艦であるが、これは高性能のレーダーと処理システムとミサイルを装備して、多数の目標を同時に検知・識別・迎撃できる桁違いに有力な防空能力を備えた軍艦である。自衛艦をインド洋へ派遣するかどうかが論議されている当時は、この種の艦を保有しているのは米国と日本だけと言われていたことは記憶に新しいが、2003年の秋、スペインが3番目の保有国になった。やはり無敵艦隊の伝統は生きている?
               帰らなくっちゃ