なつかしき蒸気機関車

 蒸気機関車、steam locomotiveの頭文字をとってSLは、1970年代中期に最後まで残っていた北海道内の国鉄(現JR)路線からもすべて姿を消しました。しかし文化財保護的な目的から、京都の梅小路蒸気機関車館では動態保存された何両かのSLが余生を送っていますし、また現在でも大井川鐵道(大井川鉄道)、秩父鉄道など意外にたくさんの路線で観光資源の一環として非定期・臨時のSLが運行されているようです。

 さらにネット上のデータベースによれば、今はもうボイラーで石炭を焚いて走れなくても、その勇壮な外観をとどめた静態保存中のSLまで含めれば、全国で約600両ほどの蒸気機関車が残っているとのこと。

 確かに電車の車窓から景色を眺めていると、思いも寄らぬ線路近くのロータリーなどに蒸気機関車の姿を見ることがありますし、散策の途中で静かに余生を送っている蒸気機関車に出会うこともあります。

 私が最近見かけたそんな蒸気機関車たちのごく一部を紹介します。写真左上が新橋駅前のC11-292号、テレビの報道番組などで東京のほろ酔いサラリーマンのオジサンたちがこの前で街頭インタビューを受けていることが多いので有名ですね。左下が東京の小金井公園にあるC57-186号、右上が御殿場駅近くのD52-72号、右下が仙台西公園のC60-1号。“C”とか“D”というのは蒸気圧で動くピストンに連動している動輪の軸数を表しています。“C”で始まる機関車は左右各3つの車輪が主連棒を介してピストンで駆動される、“D”で始まる機関車は左右各4つの車輪がピストンで駆動される、“デコイチ”の愛称で有名なD51はこの車軸が4本ということで、写真中央の東京飛鳥山公園で私の背後に写っているのがその“デコイチ”、D51の853号機というわけです。

 『汽車でGo!』というパソコンゲームの記事でも書いたように、私が子供の頃は親戚の暮らす会津若松に行く時、宇都宮から先は電化されてなかったので蒸気機関車に乗るのは当たり前、庭先を蒸気機関車が驀進する家もありましたし、また時々でしたが東京都区内でも蒸気機関車が走っている姿を見る機会もあった時代でした。しかし私が大学生として医学を勉強していた間に定期運行の蒸気機関車はすべて引退してしまい、一部の路線で観光用に復活したものの、ディーゼルカーや電気機関車や電車にその役割を譲ってしまったのです。

 ピストンに連動して蒸気機関車の動輪を動かす主連棒の動きがまるで人間の腕のようで、私たちが子供の頃に“汽車ごっこ”で遊ぶ時には、何人も前後一列につながった子供たち(これが客車や貨車)の先頭に立った子供は、左右の前腕を前後上下に円を描くようにグルグル回して蒸気機関車の真似をしながら走ったものでした。本当に一生懸命頑張って走っているように見える蒸気機関車も、「ピイイッ」とか「ファーン」とか洒落た警笛を鳴らして無駄な動きもせずに走る電気機関車や電車にはかないません。蒸気機関車の警笛は「ブオオオオオ〜ン」と腹の底から絞り出すような、それでいて何となく哀愁に満ちて物寂しい獣の咆哮のような汽笛、それがまたピストンを動かして懸命に走っていくのですから、擬人化の要素は大きかったわけですね。

 私たちの世代の者にとって蒸気機関車は、何でもそつなくスマートにこなす大人が電気機関車なら、ムキになって両腕を振り回してそれに挑む子供が蒸気機関車だったのかも知れません。そうやって懸命に使命を果たした後、公園や駅前広場で静かに憩う蒸気機関車の姿は、私にはまた別の意味での擬人化も感じさせます。

 さて先日は思わぬ場所で蒸気機関車の姿を見かけました。この写真は東京山手線、田端〜駒込駅間の踏切です。ここは令和3年現在、山手線に残された唯一の踏切です。ということは、我々一般人が山手線のレールを直接自分の足で踏みしめることができるただ一つの場所ということ、私も靴底に山手線のレールの感触をしかと感じ、ついでに指先でその鉄の触感まで確かめてきました(笑)。

 そして渡り終えてふと気付くと、警報機の傍らに黄色い菱形の踏切標識が建っているではありませんか。写真の黄色い円で示したその標識を拡大したものを、画面左下にはめ込んでみました。少し錆が浮いて痛んではいますが、このデザインはまさに蒸気機関車の絵姿です。

 私の子供の頃は列車の踏切の標識は必ず蒸気機関車の絵だったと思いますが、次第にこちらも電車や電気機関車の絵に取って代わられていった、しかしまさか東京ド真ん中の山手線の踏切にまだ蒸気機関車が息づいているなんて…と驚いた次第です。

 蒸気機関車自体は当時を知る世代にとって郷愁を誘いますが、実際に蒸気機関車で鉄道旅行するのは大変だったとそちらの記事でも書きました。トンネルが近づいてくると機関士さんが「ブオオオオオオッ」と長声で一発汽笛を鳴らしてくれる、すると乗客たちは一斉に起ち上がってあっちでもこっちでもバタンバタンと窓を閉め始める、そうしないと機関車のボイラー火室から煙突を通して排出された石炭ガラが客室に逆流するからです。夏の暑い時期など冷房も無かった当時の客車で旅行するのはとても大変でした。全国あちこちで余生を送っている蒸気機関車たちに出会うと、小学生の頃、1度だけ窓を閉め損なって顔中真っ黒になった切ない記憶が甦ってきます。

 どんなに大変な事でも過去のことになってしまえば郷愁を伴った思い出に変わる、人間なんて勝手なものですが、新型コロナの時代に関しては後々絶対に美化された思い出にはなりません。皆様も感染しないようにお気をつけ下さい。


         帰らなくっちゃ