南十字星

 南十字星という言葉は私にとって子供の頃から特別な響きがありました。その理由は3つあります。
 まず一つは宮沢賢治の小説「銀河鉄道の夜」です。主人公のジョバンニは、人の身代わりになって死んだ親友のカムパネルラの魂と共に銀河鉄道に乗って旅をしますが、その列車の行き先が南十字星でした。銀河鉄道は他人のために自分を犠牲にして死んだ人たちを天の十字架まで乗せる列車だったのです。ジョバンニとカムパネルラが旅をする途中、タイタニック号で他人に救命ボートを譲って溺れ死んだ乗客たちも乗り合わせてきます。文中では、氷山にぶつかって沈んだ船と書いてありますが、賢治はタイタニック号を念頭に置いていたと思われます。
 二つめは子供の頃に聞かされた探険家たちの物語でした。アフリカや南米やオーストラリアに最初に足を踏み入れた白人探検家たちが南を目指す道しるべとしたのが南十字星でした。天空に浮かぶ十字架のイメージは子供心には非常に神秘的で、畏れさえ感じさせられたものです。しかも正しく南十字星に導かれていれば真南に進むことが出来るのですが、南十字星の隣にはもっと大きな十字の星が懸かっていて、探検家たちはこれを“偽十字星”と呼んで恐れました。偽十字星を南十字星と間違えると目的地にたどり着くことが出来ずに、死ぬまで未知の大地をさまようことになるのです。こんな話も子供の頃はとても怖かった。
 そして3つめはやはり太平洋戦争の歴史。多くの日本陸海軍将兵が南十字星の見える戦場で戦い、生命を落としたのです。南方戦線の戦記を読むと、必ずと言っていいくらい南十字星を見たという記載がありますし、『ラバウル小唄』とか『轟沈』とか『戦友の遺骨を抱いて』などという軍歌や戦時歌謡にも南十字星は歌われています。多くの日本人が生命を賭けた戦場で仰ぎ見たという星を、いつか自分の目で見てみたいというのが私の子供の頃からの願いでもありました。


 私はこれまで2度ほど南半球のオーストラリアを訪れました。これは2度目の訪問の時にホテルのベランダから南十字星を見上げて、便箋に星の位置を書きとめてきた絵です。正確かどうか判りませんが、背景を黒く塗りつぶして画像を加工すると、何となく雰囲気が出てきますね。マウスポインターを置くと十字の線が現われます。中央の南十字星の隣にも十字架がありますが、これが探検家たちを死に誘った“偽十字星”でしょうか。
 南半球の星空は北半球ほど目立つ星や星座が多くなく、しかも南天の星座はコンパス座とか、望遠鏡座とか、顕微鏡座とか、定規座とか、羅針盤座とか、八分儀座とか、ポンプ座とか、画架座とか、およそロマンの香りすら感じられない名前を付けられているものが多く、挙げ句の果ては何と蝿座まであるのです。こんな冴えない星座群の中にあって、南十字座を作っている南十字星はひときわ燦然と明るく輝いていますが、やはり豪華絢爛の北半球の星空に比べると南半球の星空は今ひとつ寂しさを隠せません。ちょうど上の画像の雰囲気そのものです。
 初めてのオーストラリア旅行でメルボルンの小児科の教授の家を辞する時、南十字星はどれかと訊ねたら、何でそんなもの見たいの?という顔をされたことは印象的です。教授が指差す空の彼方には、冬木立の梢に(私が訪れた8月は南半球では冬です)あまり明るく感じない星たちが慎ましく遠慮がちにショボショボと光っていました。

 しかしこれは市街地やリゾート地など明るい町中での話、広大なオーストラリア大陸の都市から一歩踏み出した大自然の中では凄まじいまでの星空を見ることが出来ます。一つ一つの星は名も無い小さな星屑だけど、それが夜空一面ビッシリと輝いている光景は圧倒されます。
 今ではずいぶん昔のことになったので、初めてのオーストラリア旅行の時に持ち歩いていた手帳に書き込まれた私自身の文章を紹介しましょう。まさに圧倒的な星空の下で記された手記ですので、今では薄れてしまった感動を再び思い起こさせてくれました。昭和52年の8月、オーストラリアの砂漠を突っ切ってアデレードからアリススプリングスへ向かう特急列車GHAN(ガン)号の車内で書いたものです。当時のガン号はアデレードを出発するとポートピリーという駅で広軌(レールの幅が広い)の車両に乗り換えました。この車両の食堂車で豪華な夕食を頂いてしばらく行くと、今度はマリーという駅で再び狭軌(レールの幅が狭い)の寝台車両に乗り換えて、そのまま車内で二晩過ごすことになるのです。

 
午後11時50分、マリー発。狭軌なのでよく揺れるが、個室付きである。個室は一人でいっぱいの狭い部屋だが、折り畳みベッド、ソファ、洋服箪笥、ゴミ入れ、テーブル、洗面台が実にうまく配置されている。
 窓を開けて驚いた。空は満天の星。列車の行く手には天の川が橋を架けている。時々星が長い尾を引いて流れる。列車の窓が南に向いた頃、地平線に近く大きな明るい十字架。しかしその隣にも小さめの十字架がある。昔、南十字星と偽十字星の話を読んだことを思い出した。古い探険家たちはこの2つの十字星を見分けられないと大変な危険に晒されたという。地平線に見えたのと隣にあったのが、これらの十字星であろう。どちらにしても他の星々を圧して夜空に懸かった巨大な明るい十字架はあまりにも神秘的である。星の降る砂漠を列車は驀進して行く。

 ついでに翌朝の記載も…。

 
夜が明けた。相変わらず同じ景色。大きな山も湖も川もない。赤い土と灌木の茂みと電信柱と牛と羊だけ。昨日より緑が少なくなった。
 あまりに広大な土地の適当な形容詞がない。砂漠・羊・昨夜の星空…、「星の王子さま」の物語を思い出す。この広い砂漠もどこかにきれいな水を隠しているのだろうか。


 私の南十字星へのこだわりも大したものだと思います。最初の頃、南十字星というのは北極星のように天の南極に位置するとばかり思っていましたが、実は違うらしいのですね。ちょうど北斗七星の柄杓の縁を延長した所が天の北極であるように、南十字星の縦の線を延長した所が天の南極なのです。しかし天の北極には動かない星(北極星)があるが、天の南極にはめぼしい星がありません。だから韓流ドラマ『冬のソナタ』を南半球でリメイクすると大変なことになるでしょう。(と言っても皆様もう『冬のソナタ』の筋書きは忘れたかな…)
 私の最後の夢は、死ぬ前に一度ラバウルを訪れて、南十字星を見ながら『ラバウル小唄』を口ずさむことです。

                帰らなくっちゃ