タイ(Thailand)のリゾート海岸

 2005年の年明け早々、日本とタイの合同の学会でタイへ行ってきました。場所は首都バンコク(Bangkok)から東南東へ約80キロほど離れたチョンブリ(Chon Buri)という、タイランド湾に面したリゾート海岸です。

 ご承知のように2004年12月26日、タイ南部もインド洋大津波の惨害を蒙り、特に西側のアンダマン海に面した世界的なリゾート地であるプーケット島(Puhket)などは多数の死傷者を出しましたが、反対側の東海岸には津波の被害はまったく及んでおらず、御覧のとおり、のどかな南海の楽園といった佇まいを見せていました




 椰子の木の並ぶ美しい海岸には、御覧のように巨大なホテルが建てられていて、その専用ビーチには水着の白人男女が思い思いの休日を楽しんでいました。日本人の観光旅行というと、名所・旧跡とか有名な寺院などを駈け足で巡った後に免税店や物産店でショッピングというのが定番になっていますが、欧米人は寒い自分の国から脱出して、暖かい海岸で夏を楽しむといった長期滞在型の休暇を過ごす人が多いようです。昔は地中海とかカリブ海とかハワイなどに出かけていたのでしょうが、最近ではインド洋・東南アジア方面の人気も高まってきているという話も聞きます。
 我々もこのホテルに数日間滞在して学会に参加したわけですが、近くにそれほど有名な観光スポットも多くなかったので、学会の合間もあくせく寺院巡りやショッピングをしたわけではなく、東南アジアの温かい気候を楽しみながら、目の保養をしていたわけです。(何しろ普段から顕微鏡ばかり見ているので我々は目を休める必要が…って、何を慌てて言い訳してるんだか…。)



 ところでこのビーチにいた観光客たちですが、年末から長期休暇を取ってここに滞在していた欧米人も多かったでしょう。2004年12月のインド洋大津波は、沿岸諸国のちょうどこんなリゾート海岸にも襲いかかったわけで、地元の方々だけでなく、多くの観光客もまた犠牲になりました。20万人を遥かに越える犠牲者の冥福をお祈りいたします。

 タイもプーケット島をはじめとする南部に甚大な被害を蒙りましたが、自分たちよりももっと大きな被害を受けた国々があるからと、日本政府が申し出た無償資金援助を辞退しました。そのニュースを聞いた時、これくらいの被害は自力で復興してみせるぞ、という強い自信と決意を感じましたが、さすがは古くからシャム王国として栄えたタイです。
 私は今回のタイの旅行では、バンコクの国際空港とリゾート地のチョンブリを往復しただけでしたが、帰途の途中でちょっと食事とショッピングに立ち寄ったバンコク市内の様子から、やはり将来にわたってタイは決して侮れない国だと感じました。
 一時期、東アジア地域の経済躍進として世界が注目したのは、日本・韓国・台湾・香港・シンガポールだったと思いますが、タイが含まれていなかったのはちょっと不思議な気がします。(都市部とリゾート地だけしか目に入らなかったせいかも知れませんが)

 タイは正式にはタイランド(Thailand)です。日本でタイというのは、Switzerlandをスイス、Deutschlandをドイツと呼ぶのと同じですね。
 タイ人は温和な風貌で、初対面の相手にでも両手を胸の前で合わせて合掌の挨拶をしてくれます。日本でも仏教徒には馴染みのポーズなので、何となく心がなごみます。
 ところが空港でチャーターしたベンツのタクシーの運転手の合掌に迎えられてチョンブリへと向かったわけですが、これが驚いたことに、時速160キロ以上で高速道路をブッ飛ばすのです。わずかな車間が空いているとそこへ強引に突っ込んで行き、前をゆっくり走っている車があると(それでも時速120キロは出てると思うのですが)、ライトをパッシングして追い抜いて行く。恐いの恐くないのって、日本のかなり乱暴なドライバーでも真っ青という感じの運転なのです。
 トルコのドライバーもかなり物凄い運転をしてましたが、あそこはオスマントルコの末裔だと思えば納得もいきます。しかし敬虔な仏教徒がああいう運転をするとは驚きでした。
 しかし追い抜かれた車や、脇に追いやられた車のドライバーが、それでカッとなって突っ掛けてくることもない。ちょっと血の気の多い日本人なら、「この野郎!」とムキになって抜き返してきたりもするでしょうが、やはりその辺が温和な国民性と言いましょうか、「お先にどうぞ」という譲り合いの雰囲気なのでした。
 そうやって東京駅から熱海海岸くらいの距離を、ベンツのタクシーで1時間半ほどで駈けつけましたが、料金は2300バーツ(約8000円)。タイの物価はそのくらいです。平均的なタイの労働者の約半月分の給料だったと思います。

 タイの街角には至るところに国旗と王室の黄色い旗が立てられていたのが印象的でした。また朝夕には国王を称える歌が流れてくるし、劇場では演劇の前に外国人観客も全員起立してタイ王室に敬意を表する。これはちょうど大相撲の千秋楽で「君が代」を斉唱するようなものです。国旗と国歌と王室は現在でもタイ国民の統合の象徴なのですね。これは将来もタイの発展の大きな原動力になり得ると思われます。

 振り返って我が日本を眺めれば、「君が代」と「日の丸」は相変わらず不毛な政治問題・思想問題になっていて、日本人は国民の統合のシンボルを失ってしまっている感じがあります。オリンピックやワールドカップでは君が代や日の丸に感動するくせに、そういうスポーツの場を離れると一転して「君が代」や「日の丸」に反対、または無関心となってしまいますが、これは今後の日本が経済や文化などの面で世界と競合・協調していくうえで、国民の力を結集できないということになるでしょう。
 「君が代」や「日の丸」に反対という人たちは、それがかつて軍国主義の象徴だったから、という理由を挙げていますが、この態度は間違っています。「君が代」や「日の丸」を糾弾すれば、それがすなわちかつての軍国主義やアジア侵略の歴史を反省することだと勘違いしているとしか思えません。
 国歌や国旗は国民の単なる象徴であって、それ以上でもそれ以下でもない。過去の歴史の過ちを犯した日本人自身に内在する性格的欠陥や欠点を直視することなく、単なる象徴=偶像を排斥することですべてを清算できると勘違いしているだけではないでしょうか。こういう勘違いをしやすいこと自体、日本人の性格的欠陥だと思います。
 国歌や国旗は国のネガティブな行動にもポジティブな行動にも直結するもので、本来ニュートラルな性格のはずです。一旦は汚点にまみれたかも知れないが、それは他の輝かしい歴史と共に、日本人が将来にわたって背負い続けて行かなければならないシンボルです。ちょっと汚れたからと言って、国歌や国旗を捨ててしまえば禊(みそぎ)も済んで、すべての穢れが落ちると思うのは、日本人が陥りやすい共同幻想といってよいでしょう。そういう幻想が古代から現代までの日本のネガティブな歴史を形成してきた面もありますが、それはまた別のコーナーで。


     <著者近影>


        帰らなくっちゃ