越中富山

 東京からでも山が見えますが、富山市から望む立山連峰には比べるべくもありません。東京に限らず、これだけの山が見える県庁所在地は、日本中探してもおそらく富山市だけかも知れません。
 標高2000メートル級の険しい山々がまるで屏風のように聳え立ち、ここから朝日が昇って富山市の1日が始まります。

 先日、富山に行って来ました。富山に暮らしている高校時代の同級生に頼まれて講義をしに行ったのですが、私の学科の卒業生にも、この富山に就職が決まった者がいます。ああ、あいつも朝に夕にこの山を見ながら働くんだなと思うと、何だか羨ましいような寂しいような…。

 山というものは不思議な力を持っているように思います。海岸や河川など水辺の地形とはまた異なった厳しさ、逞しさ、優しさを感じるのは私だけでしょうか。
 山は自分を仰ぎ見る土地に住む人々に対して、限りない愛情と試練を与えて見守っているのかも知れない。昔から多くの山が人々から神として崇められ、親しまれてきた理由も分かるような気がします。よそ者には決して与えない愛情と試練です。
 富山へは今回は鉄道(上越新幹線〜北越急行〜北陸本線)を使いましたが、そう言えば車窓から見えた北関東や新潟の山々を仰ぐ土地々々にも卒業生たちが何人か赴任しています。もう私たちの手を離れて、こういう山々に見守られながら働いている教え子たちを思うと、ちょっと柄にもなくしんみりしてしまいました。

 ところで富山は昔から薬売りで有名です。富山藩の2代目藩主、前田正甫(まさとし)が富山の薬の繁栄の基礎を築いたそうで、市内には立派な銅像が建っていました。
 銅像の説明によると、正甫(1649〜1706年)は参勤交代で江戸城に登城した折、ある大名が激しい腹痛を訴えるのを見て、すかさず藩の製品であった反魂丹(はんごんたん)という薬を差し出したところケロリと治った、その効能に驚いた諸大名が自分の領内でも反魂丹の販売を求めるようになったのが富山の薬売りの始まりとのことです。

 まさに宣伝の妙とでもいうのでしょうか、マス・メディアもない時代にたった1人で全国規模の注文を獲得したのは大変なことですが、さらにその販売法もまた現代にも通用する優れたものでした。
 江戸城で1人の大名の腹痛を治しただけのエピソードであれば、一時の流行で薬が売れてもすぐに忘れられてしまう、いったん獲得した顧客はガッチリつかんで、子々孫々まで越中富山の薬を買い求めて貰わなければ…。
 そこで薬の行商が始まります。一度注文を受けた全国の家々に薬箱をサービスで置かせて貰い、そこには腹痛、発熱、傷薬などいろんな薬を無料で揃えておく、そして1年に1回販売員が各家庭を行商して回って、使った分だけ補充していく、もちろんこの補充した分は有料ですが、消費者にしてみれば何となく“お得感”がありますね。
 こうして顧客の心をガッチリつかむ商法は、何となく現代のカタログ商法に相通じるものがあるように思います。一度何かを注文すると、何度も何度もカタログを送ってくるもんね(笑)

 富山の薬売りの話は小学校の時の先生が面白く話して下さった記憶があります。こんな囃し言葉もあるよと言って教えてくれたのは、今でもネットにずいぶん紹介されていますが:
越中富山の薬屋さん 鼻くそ丸めて万金丹 それを買う奴アンキンタン それを飲む奴アンポンタン
というものでした。ネットによく出ているのには、それを買う奴…の部分が無いのですが、この部分はあの先生の創作だったんでしょうか。今ではもう確かめる術もありません。富山の旅は、授業の面白かった小学校時代の先生を思い出す旅でもありました。


           帰らなくっちゃ