鵜原

鵜原海岸は勝浦の南側に隣接する外房の景勝地で、最近では海水浴や行楽でずいぶん賑わっているらしい。鵜原には私の中学・高校の寮があり、中学2年生の夏にはここで水泳合宿が行なわれて、全員が泳げるようになることが学校のモットーにされていた。私はこの中学2年時の水泳合宿のほか、所属していた音楽部が毎春ここで合宿を行なったので、その後も何回か鵜原にやって来た。(私は中学・高校時代は音楽部をやっていて、ブラスバンドとか合唱とかやっていたんですよ。)
そういう時代のことはまた別に機会を改めて書くことにして、鵜原海岸の特徴は、向かって左手の切り立った岬と、その突端に海面から突き出した三角形の岩である。この岩を烏帽子岩と呼んでおり、またこの岬の向こう側には複雑で綺麗な海岸線で作られる「鵜原理想郷」が広がっている。私は今でもこの海岸の地形を夢に見ることがある。


鵜原と言えば、多くの人はあまり覚えていないだろうが、阿川弘之氏の長編小説「雲の墓標」のラストがここ鵜原海岸であった。主人公が特攻戦死した親友の吉野次郎を偲んで、彼の遺族に宛てた手紙の文章の一節は暗誦できるくらい何度も読み直して感動したものだ。

私は今、房州東海岸の鵜原というところに居ります。いずれにしても吉野兄の身体は此のはるか沖に眠っているものと私は思うのです。天際の、海と雲とが合するところに、潮を墓にして、雲に碑銘を誌して、静かに眠っておられるでしょう。ここはきびしい崖の切り立った、曲折の多い、うつくしい海岸です。崖に石蕗が密生して黄色い花を咲かせています。北アメリカへの大圏航路にあたるようで、沖合をよく、米国のものらしい大きな汽船が通過して行きます。嵐が近いらしく、日はときどき射しますが、雲は乱れて、海は荒れております。

主人公に宛てた吉野次郎の遺書の中の次の言葉が、この小説の題名となっている。

雲こそ吾が墓標
落暉よ碑銘をかざれ


                帰らなくっちゃ