ウィーン(Wien)

 音楽の都ウィーンです。絵画や彫刻のパリと並んで芸術家の憧れるウィーンは、良くも悪くもヨーロッパの文化を代表する都市でしょう。名門ハプスブルグ(Hapsburg)家にゆかりの壮大・美麗な建築物、モーツァルトやヨハン・シュトラウスら綺羅星のごとき音楽家たちの活躍の跡…、むせ返るようなヨーロッパ文化の香りですね。
 ただ建築家以外の理科系の人間にとっては、概して言えばそういった個々の事物への関心よりは、ウィーンという街全体の持つ独特の雰囲気に魅せられることの方が多いようです。

 私にとっても、訪れる前は「寅さんも来た街」くらいの認識しかありませんでした。カミさんは演奏旅行やらTV番組の取材やらで何回か訪れたことがあったようですが、私は1996年の国際病理学会の帰りに立ち寄ったのが初めての訪問でした。
 学会があったのはお隣ハンガリーの首都ブダペスト。そこから列車で国境を越えてオーストリア入りしました。日本では列車やバスで国境を越える経験はできませんが、互いに地続きのヨーロッパ大陸では日常茶飯事のこと。列車は国境でしばらく停車します。
 やがてハンガリーの国境警備の軍人でしょうか、銃を持ってカーキ色の制服に身を包んだ筋骨隆々たる2人組の男性が、前の車両の方から順々に乗客のパスポートの提示を求めてきます。初めて経験することだったのでちょっと緊迫した一瞬。男性はパスポートを受け取るとジロリと顔写真を見比べた後、無造作に検印を押してポイと返して寄越しました。旧東欧圏の国境警備員という先入観がありましたから、何か不審なことがあれば、たちまち厳しい取り調べをされそうな威圧感がありました。
 ハンガリー出国審査の国境警備隊員が通り過ぎて5分ほどすると、今度はオーストリアの係員がやってきます。こちらも拳銃は持っていたようでしたが、ライトグリーンの制服を着たヒョロヒョロの若造で、さっきのハンガリーの係員と喧嘩をしたら到底勝てないだろうな、と思われるような男性。それが乗客の提示するパスポートを鼻歌混じりに次々と覗き込む真似をするだけで、入国印も何も押さずにすべてOK。その後すぐに列車は動き出しましたが、あまりに対照的なお国柄が表われていて面白かったことを覚えています。
 ウィーンの駅からタクシーでホテルに向かいましたが、タクシーの窓から眺めたこの街の私の第一印象は、市電もワルツを踊りながら走っている、でした。
 ウィーンには3日間滞在しましたが、ここはまるで宝石箱のようにヨーロッパ文化の粋がいっぱい詰まった街で、何を書いてよいか判りません。毎年お正月にウィーン・フィルによるNew Year Concertが世界各国に同時中継されるたびに、あの街に漂っていた軽妙な雰囲気が思い出されます。

 ところでヨーロッパの歴史の格言に次のようなものがあるそうです。
ナポレオンが第一次世界大戦前に生まれ変わってもヨーロッパ事情をよく理解できただろうが、第一次世界大戦後に生まれ変われば何も判らなかったに違いない。
 そう、第一次世界大戦までのヨーロッパの政治力学は中世以来ほとんど変わらず、このウィーンの地にも第一次世界大戦まではあの名家ハプスブルグ家が君臨していたわけです。封建領主の名残が強く、市民社会が今ひとつ成熟していなかった時代でもあるのですが、その時代の文化的遺産は素晴らしい。封建領主が地位と金に物を言わせて文化を鼓舞・支援するわけですから、原則的にはどの国でもこういう時代の文化には特筆すべき何かがあるはずです。
 ウィーンをはじめとするヨーロッパ諸国を巡っていると、そういう文化に相当する我が国の遺産はどうなってしまったのだろうかと、ふと心配になることがあります。我が国も奈良・平安時代から江戸時代にかけて長い歴史を持っていますから、ただ街を歩いていてももっと文化の香りがしてよいはずです。しかし………。
 石造りの建造物が中心のヨーロッパ文化に比べて、我が国のは木と紙の文化だし、震災や戦災で焼け野原ににもなったし、といろいろ関係者の言い分もあるでしょうが、京都駅前のあのケバケバしい駅ビルや、お江戸日本橋の頭上にかぶさる高速道路など、一体どのように考えたらよろしいのでしょうか?そう言えば、東京大学本郷キャンパスの象徴でもある煉瓦造りの由緒ある安田講堂の裏手にも、キンキラキンのガラス張りの建物が造られて、景観はメチャクチャになっていましたっけ。

               帰らなくっちゃ