旅行幹事

 最近、机の中を整理していますが、また昔の写真が出てきました。人間は年を取ると段々昔のことが懐かしくなるようです。だから写真など撮られたくないと思っていても、機会があれば撮っておくことをお勧めします。撮った後はどこか机の引き出しの中へでも放り込んでおけば、忘れた頃になって昔の思い出が転がり出してくることになります。


 この写真はもう15年ほども昔のことですが、東大病院に勤務していた時に職場の仲間たちとスキー合宿に行った時のものです。昔は写真と言えばフィルムの時代で、しかも便利な“使い捨てカメラ=レンズ付きフィルム(写ルンです)”というのがあって、これならゲレンデで転倒しようが雪まみれになろうが構わなかったので、常に携行していました。万一どこかで落として紛失しても諦めがつきますが、最近のデジタルカメラではゲレンデで持ち運ぶにはセミプロ並みの滑降技術がないとちょっと怖いですね。(などと書いたら、早速スノボゲレンデでデジカメ落として雪まみれにしてしまったお嬢さんの話をお聞きしました。)

 そういうわけでグループで滑降途中、遠くの雪山がきれいに見える場所があったので、
「オオオッ、山が凄いぞ!あそこで写真を撮ろうっ!」
ということになって、少し平坦になった所へ全員集合、交代で“写ルンです”のシャッターを押しました。背後の電線がちょっと邪魔ですが、雄大な雪山にキレイなお姉さんたちも混じって、なかなか良いショットです。しかし他の人たちのカラフルなスキーウェアに比べて、私の野暮ったい服装はいったい何でしょうか?元来、私は服装には無頓着ですが、このヤッケはあの時代でもゲレンデファッションから10年以上取り残されてますね。

 ところで残念ながらこの写真がどこのゲレンデだったか忘れてしまいました。プリントにも何の記録も残されていません。当時は病院勤務なので皆で揃って休暇を取るわけにいきませんから、連休を利用してせいぜい2〜3泊の日程、そうすると東京から最も行きやすい上越新幹線沿線のゲレンデだったと思います。(ガーラ湯沢も開業していた。)
 ただ確実なのは、このスキー合宿は私が幹事だったことです。と言うより、職場で何か遊ぼうとか飲もうとかいう話が持ち上がった時は、必ず私が幹事としてしゃしゃり出たものでした。スキーやゲレンデの話は別のところにも書きましたので、今回は私の“幹事人生”についてお話しすることにしましょう。



 幹事は英語ではマネージャー(manager)だそうです。和英辞書を引いて初めて知りました。私はもともと何かというとマネージャーをやらされてました。高校時代の音楽部でも会計(マネージャーみたいなものです)、大学の医学部陸上部でもマネージャー、要するにこいつなら他人の金を使い込むような大それた真似が出来るわけはないと見くびられていたわけですが、クラブの構成員たちの都合や希望を聞いて、費用を集めて、行事を計画して実行するという役回りは、私にはかなり向いていたようです。

 しかし研修医時代には少しイヤなことがありました。その年に限って医局長公認のスキー合宿をしようということになって研修医が雑用をすることになったのです。例によって私が幹事ということになりましたが、その年はたまたま医局の別の用事も立て込んでたようで、医者もナースも参加者がほとんど集まらず、同期の研修医たちと、お情けで参加してくれた親切で物好きな2〜3人の先生たちだけでひっそり出かけました。
 口の悪い先輩医師から、「プロモーターが悪いと人も集まらないよね〜」とイヤミったらしく言われた一言が、その後も心にず〜っと残っています。

 高校時代、大学時代と一応は名幹事で鳴らした私でしたが、この時はちょっとガックリ来ました。考えてみれば入局早々の1年目の研修医が、「さあ、皆さん、一緒にスキーに行きましょう」などと呼びかけたって、先輩医師やナースのお姉さんたちが集まってくれるはずはなかったのです。それをイヤというほど思い知りました。
 よく書店などで宴会や旅行の幹事のための教則本みたいな本を見かけます。幹事をやるにはどうすればよいかというような心得を書いた本ですが、ああいう本にほとんど書いていないことが一つだけあります。
 それは会社でも学校でもいい、何か行事をやる時の幹事は
本業で他のメンバーの信頼を得ていなければいけません。入局1年目の新米医師には幹事は務まりませんし、普段チャランポランな態度で仕事や勉強している人にも幹事は務まりません。
 職場や学校で名幹事とかムードメーカーなどと呼ばれたいと思っている人は多いでしょうが、その前提はやはり日常の仕事や勉強をきちんとやって、他のメンバーの信頼を得ていることです。酒が多少強かったり、薀蓄があったり、カラオケが上手だったり、お笑いの一発芸を持っていたって何にもなりません。普段の仕事や勉強をマジメに一生懸命やっている人が、旅先や酒席でもまた別の意味で頼りになるからこそ、名幹事とかムードメーカーとか呼ばれるのです。

 その後、私はいろいろな病院や職場に勤務しましたが、研修医時代の苦い経験を教訓にして、まずは医師としての本業を一人前に遂行することを第一に考えました。もちろん若手医師やナースや検査技師たちを引率して遊ぼうなどとは思っていなかったのですが、やはり高校時代や大学時代に鍛えたマネージャーの血は隠し通せず、職場で飲み会とか旅行とかの話が持ち上がるたびに幹事に祭り上げられることになってしまい、結局は自分自身の歓迎会と送別会以外はほとんど幹事をやっていました。
 だから上の写真のスキー合宿も、間違いなく私が幹事をやっています。東大病院の病理部に勤務していた時の最大規模のスキー合宿では、ペンション1軒借り切って、都内近県など数ヶ所の病院の同業職員を合わせて50名近くで出かけましたが、あの時初めて、研修医時代に先輩から浴びせられたイヤミな一言に対する胸のつかえが取れました。

 せっかくですから私の幹事のコツを…。
旅行幹事は1人ではできません。誰か旅先の事情にくわしい人を頼ることです。私がスキー合宿を呼びかけた時は必ずスキー情報にくわしい若い医師が協力してくれました。

 飲み会の幹事は参加者の帰宅時間を意識すること。私は8時・10時・12時を目安にしています。一次会はなるべく8時台に終わらせる、まだ少し飲み足りない人や話し足りない人は二次会に来るが、これも余裕を持って帰宅できる10時台に終わらせる、徹底的に飲みたい人のための三次会も最終電車の時刻に間に合う午前0時台に終わらせ、それを過ぎてもまだいる人は徹夜覚悟で飲むつもりだろうから放っておく。
 私はずっとこの“8時・10時・12時の原則”で飲み会をマネージしていますが、そうすると「あの先生の会なら無理に引き止められることもないから」と言って、メンバーは次の機会もまた快く参加してくれます。

                帰らなくっちゃ