都市伝説の森

 そろそろ猛暑も去って涼しくなった秋晴れのある日、いつものように自宅から数キロ圏内を散策していると、コンビニや駐車場もある練馬の住宅地の一角に、武蔵野の雑木林の面影を残す小さな林がありました。たぶん地主さんの好意で自然公園みたいな形で市民にも開放している場所なのでしょうが、そんなに広くない林といっても、中に入ると鬱蒼とした森の雰囲気が楽しめる場所でした。

 住宅地の中の鬱蒼とした林ということで、ちょっと幼い頃の思い出が甦りました。東京オリンピック前の東京都区内には、練馬区に限らず、あちこちにこのような雑木林が残っていたものです。豊島区の私の生家から2区画、100メートルほど離れた所にも木々が生い茂る100坪ほどの場所があり、近所の子供たちはここを「ウワアの森」と呼んで恐れていました。

 なぜ「ウワアの森」なのか?そこには“ウワア”という妖怪がいて、夜になると近くを通行する人に襲いかかると子供たちは信じていました。怖かったですね。なぜ“ウワア”という名前なのか?「ウワア」と叫んで襲いかかってくる妖怪だからか、あるいは襲われると誰でも「ウワア!」と悲鳴を上げる妖怪だからか、今となっては判然としませんが、私も小学校の4年生か5年生くらいまでは“ウワア”の存在を真剣に恐れていたことを思い出します。

 「○○チャンのお母さんが買い物帰り、暗くなってから近くを通ったら、真っ赤な目を光らせた“ウワア”が空中を飛んで襲いかかってきた。そのお母さんは自宅のアパートまで必死に逃げ込んで助かった」
子供同士はそんな噂話をしては震え上がっていたものです。○○チャンは近所のアパートに住む女の子で、家に遊びに行くとそのお母さんがお菓子とかジュースとか出してくれる、そんな普段から顔もよく知っている実在の大人が“ウワア”に襲われて九死に一生を得ていたのでした。

 冷静に考えれば“ウワア”などという妖怪がいるはずもないのですが、子供たちは暗くなると「ウワアの森」に近づくことはしませんでしたし、昼間の明るい時に怖々森を覗き込むと、奥の方の大きな樹木から枯れ枝がぶら下がっていて、もしかしたらあれが“ウワア”で夜になると真っ赤な目をランランと輝かせて飛びかかってくるのかと恐れおののいたりしていました。当時の近所の子供たちにとっては、明らかに“ウワア”は実在していたのです。

 では何でそんな怪談が近所で語られていたのか。また誰がその怪談を創作したのか。しばらく前に電車の吊り広告で見たワインの宣伝を思い出しました。チリのある名門ワイナリーには素晴らしい高級ワインを貯蔵する蔵があったが、あまりの美味さに密かに忍び込んで盗み飲みする輩が後を絶たなかった、それで蔵の主人はこの蔵には悪魔が棲んでいるとの噂を流したところ、人々は恐れて以後ワイン盗人はいなくなった、“カッシェロ・デル・ディアブロ(Casillero del Diablo)”というワインの宣伝です。

 想像ですが、あの「ウワアの森」も暗くなってから子供が中に入って遊ぶと足場が悪くて危険なので、地主さんか地元の誰か大人がああいう怪談話をわざと広めたのかも知れません。その後10年もしないうちに「ウワアの森」には住宅が2軒建って今でも人が住んでますが、その家の住人が“ウワア”に取り殺されたという話は聞いたことがありませんでした。

 都市伝説とか怪談噺の中には、ワイン蔵などの盗難防止や、人々の安全を守るために意図的に流布されたものも意外に多いのかも知れませんが、ただ単に人を怖がらせて喜ぶだけのもの、あるいは面白可笑しく…ではなく面白恐ろしく語って雑誌や本の売れ行きを伸ばしたり、客寄せをしたりという営利目的や売名行為の悪質なものも少なくないようです。

 1955年7月28日に三重県津市の中河原海岸で水泳講習中だった橋北中学校の女子生徒36名が異常な離岸流に巻き込まれて水死した痛ましい事件があったが、ちょうど戦時中の津市大空襲から10年目だったということで、防空頭巾にモンペ姿の多数の女性の亡霊に引きずり込まれたという怪談噺がまことしやかに語られるようになり、当時の女性週刊誌にも大々的に掲載されています。毎年夏のシーズンになると少年雑誌にも組まれる怪談特集で私もその話を読み、恐ろしくてたまりませんでした。普通なら空襲でご自身も無念の死を遂げられた御霊がまだ年若い生徒たちを死に誘い込むなど考えられないと思いましたが、だからこそ逆にさらに恐ろしかったのかも知れません。日本最恐の幽霊事件のひとつとも言われています。

 しかし後藤宏行さんという方が『死の海−「中川原海岸水難事故」の真相と漂泊の亡霊たち』(洋泉社)という本の中で徹底的に検証しておられ、この怪談は生還した女子生徒の証言を元に、ほとんど捏造に近い創作が加えられ、有名な作家の手によって世間に流布されたものだと結論づけられました。もしそうだとすれば濡れ衣を着せられた空襲犠牲者の御霊はたまりませんが、一方で危険な離岸流が発生しやすい海岸で今後の人々が遊泳しないための警告と考えれば、怪談噺にもそれなりの意義はあるのでしょう。

 かつて『ビートたけしのTVタックル』という番組で心霊現象や宇宙人や予言などのオカルト物を一刀両断に批判する論客だった早稲田大学教授の大槻義彦さんが、東日本大震災後に石巻市のタクシー運転手が体験した幽霊譚を取材してまとめた東北学院大学学生の卒業論文を舌鋒鋭く罵倒したことがありました。震災で亡くなった方の霊を乗車させたなどという話で、確かに大槻教授のような容赦ない唯物主義者にとっては、“幽霊”を大学の研究論文にするなど許せなかったのでしょうが、幽霊話が発生する背景の研究は民俗学的あるいは社会学的に重要なテーマだと思います。危険や悪事に対する警告として語られることもあるでしょうし、非業の死を遂げた人々への哀惜の気持ちが表れていることもあるでしょう。また菅原道真や平将門の怨霊のように時の権力者への民衆の批判が隠されていることもあり得ます。

 そう一概に幽霊話の研究に目くじら立てることもないのではないでしょうか。柳田国男さんの『遠野物語』には神隠しや座敷童などの怪異が紹介されていますが、それに収録しきれなかった話を集めた『遠野物語拾遺』には日露戦争従軍中に魂だけ郷里に帰ってきた話とか、ロシア兵捕虜が語ったという白服の日本兵の話なども収録されていて驚きます。ロシア軍陣地に突撃してくる日本軍は黒服の兵隊は機関銃で撃つと倒れて死んだが、白服の兵隊は撃っても倒れなかったという話、大槻教授はこんな話を書きとめてある『遠野物語』や『遠野物語拾遺』は評価されないんでしょうか。


         帰らなくっちゃ