羽田空港

 羽田空港は正式には東京国際空港となっていますが、1978年(昭和53年)5月20日に成田空港が開港してからは国際線の大部分の発着がそちらへ移動してしまい、羽田は専ら国内線のイメージが強くなりました。これは昭和50年頃の羽田空港です。東京湾の海面をバックに、鶴のマークの日航機と並んでいるのは、何とパンアメリカン航空のジャンボ旅客機ではありませんか。
 パンアメリカン航空と言えば、当時は日本で一番有名な外国の航空会社でした。PAN-AM(パンナム)として親しまれたパンアメリカン航空も1991年12月に倒産して商標を別の新会社に売却してしまいましたが、それより前からすでにパンアメリカンの太平洋路線は廃止されて、パンナム機の姿を日本で見ることは出来なくなっていました。
 ここでは羽田空港とパンナム機という古き時代を偲ばせる1葉を紹介しましたが、実は今のように日本人が簡単に海外旅行が出来るようになるずっと以前から、パンアメリカンの名前は我々日本人にとって馴染み深いものだったのです。それは大相撲の千秋楽には、優勝力士に贈られるパンアメリカン航空のカップがあって、パンナム極東支配人(名前を失念してしまいました)が表彰状を読み上げるのですが、それがまた可笑しくて千秋楽の楽しみでもありました。
 本当は日本語も流暢だったのでしょうが、「ヒョー・ショー・ジョー」とわざとたどたどしく発音して会場の爆笑を誘った後、場所の開催地に合わせて「アンタハンハヨウガンバッテ・ユーショー・シハリマシタ」とか、「オミャーサマモ・ヨカッタナモ」などと妙なことを声を張り上げ、さらに鳥の羽根の形をした大きな優勝カップを抱えて土俵上でよろめいてみせるなど、いかにもアメリカ人的な茶目っ気を振りまいたものでしたが、パンナムの衰退と共にいつの頃からかあの愉快なセレモニーも見られなくなってしまいました。そんな昔のことなどもふと思い出させてくれた写真でした。
              帰らなくっちゃ