東京給水塔巡り
 この前、ブンブンの幼い日の恐怖体験を見守っていた野方給水塔の話を書きましたが、その後に出会った東京都内の給水塔について、続編の形で紹介しておこうと思います。(幼児期の体験談は
こちら

 
これが私が小さい頃からお馴染みだった野方の給水塔で、近くの哲学堂公園内から見た姿です。ここから眺めた給水塔が周囲の風景とも一番調和がとれているように思います

 実は私はずっと大きくなるまで、給水塔というのは日本中でここ1ヶ所しか無いものとばかり思っていました。ところが大学を卒業して小児科医になって、板橋区の整肢療護園という施設に見学に行った時、大谷口という所にも給水塔を見つけました。野方の給水塔とまったく同じ形の塔の姿をご覧ください
。大谷口の給水塔は昭和6年(1931年)に完成しましたが、老朽化が著しいため、平成17年(2005年)に撤去されてしまいました。昭和5年に完成した野方の給水塔の方は今でも非常時用の水道施設として利用されているそうです。

 さらに数年後、世田谷の母子保健院に勤めていた時、5階の医局の窓から世田谷通りをはさんだ南側の丘の上に、二つ並んだ不思議な建物が豆粒のように見えたので、ある土曜日の午後に付近まで歩いて行ったことがあります。そしてこれもまた東京都水道局の施設、駒沢給水塔であることを発見しました。野方や大谷口のものよりやや小型の二つの塔よりなるツイン・タワーです。双子の塔の上部は鉄橋で互いに連結されています。こちらは大正10年着工、大正13年に完成した日本最古の水道タンクということで、野方や大谷口のものの先輩格に当たります。

 なお幼時からの習慣で、つい給水塔とか水道タンクとか呼んでしまいましたが、これらの水道施設の正式名称はいずれも「給水所」です。この駒沢のものは「駒沢給水所の配水塔」となります。

 大谷口や駒沢の塔もそうですが、野方の給水塔も異様に巨大な建造物で、幼い頃は不気味で恐ろしい感じがしました。特に夕方になって薄暗くなりかけの時刻になると、いきなり動き出して襲いかかってくるのではないかというような恐怖感がありましたね。まあ、怪獣映画でゴジラとかモスラが建物の陰からヌーッと顔を出した時のような、何とも言えぬ快感を伴った恐怖感というか…。
 現在でも住宅街やマンションの間から覗く巨大な給水塔の姿には一種の凄味みたいなものがありますね。今のように大きな建物が珍しくなくなった時代にあっても独特な存在感がありますから、大正年間から昭和初期にかけて完成した頃には、どれほど雄大に目立っていたのでしょうか。しかもただ大きいだけではなくて、駒沢の給水塔は関東大震災にも耐えたほど頑丈な作りだそうですし、また戦争中は東京空襲の米軍機の目標にもなったらしく、実際に野方の給水塔には弾痕もあると聞いていますが、倒壊することはなかったのです。

 昭和の時代を生き抜いて今も昔と変わらぬ姿で建っている給水塔ですが、やがてこれらも時代の波には勝てず、いずれ老朽化の運命は避けられないでしょう。もしも取り壊しと決まれば、地元のランドマークとして保存運動が盛り上がるでしょうが、どうなんでしょうか?当初の目的を十分に果たして使命を終えた古い建造物の余生を惜しむのは、もちろん文化財保存の立場から大事なことだと思いますが、自動車でも家電でもまだ寿命の半分も使っていない物が惜し気もなく捨てられ、個人住宅を含めて壊す必要もない建造物が次々と新しい建築に建て替えられていく過剰消費(=浪費)の時代にあって、我々日本人が本当に惜しまねばならない物は他にいくらでもあるんではないでしょうか?そういうすべての物の寿命を惜しむ気持ちの上に、初めて給水塔をはじめとする古い建造物などの保存運動もあるべきです。
                帰らなくっちゃ


交通のアクセス

駒沢給水塔 東急田園都市線「桜新町」下車 徒歩10分
野方給水塔 中野駅北口から関東バス「下徳田橋」行き(中23)または「中村橋」行き(中24)、中野駅南口から京王バス「練馬駅」か「南蔵院」行き(中92)で約15分「哲学堂下」下車
大谷口給水塔 池袋駅西口から国際興業バス「日大病院」行き(池05)で約10分「水道タンク前」下車

野方給水塔へは池袋駅東口、池袋駅西口、新宿駅西口、目白駅、中野駅(上記以外の路線)からも、「哲学堂」を経由するバスならどれでも行けますが、上記のバスで中野通りを真っ直ぐ北上して、西武新宿線の踏み切りを越えてしばらく行ったところで、突然バスの正面に給水塔の威容が現れるのは壮観です。初めて行く人にはこの路線がお奨めで、季節は特に春の桜の頃が良いです。