ブダペスト(Budapest)音楽篇
今回はブダペスト医学篇に続いて音楽篇である。と言っても国際学会終了間際に遅れて到着したカミさんのお供をさせられただけで、私にハンガリーのクラシック音楽事情を語れと言うのは無理である。ここに載せた写真はバルトーク(Bartok)記念館を訪れた時のもので、バルトークが住んでいた家を利用したものという。内部の彼が作曲していた部屋には愛用のピアノや手書きの楽譜が残されていた。
同時期のハンガリーの作曲家コダーイ(Kodaly)記念博物館はブダペスト市内のコダーイ広場と名付けられた場所の一角にあるアパートのような一室だったが、バルトーク記念館はバスを乗り継いだ閑静な住宅地にあり、ハンガリー人のマリア先生から、見知らぬ土地で我々夫婦だけでよく訪ねることが出来ましたね、と感心されてしまった。
それにしてもバルトークという人は、その音楽はともかくとして、かなり偏屈で自己中心的であったと言われていて、人間的な魅力が語られることの少ない人である。演奏のミスを他の奏者のせいにして言い訳したなどという感心できないエピソードもある。確かに上の写真の銅像を見ると、ちょっと取っ付きにくそうなイメージがある。
医者にも人間的にちょっと変な人の類は少なくないが、音楽家など芸術家の場合は、あくまでその作品で評価すべきで、人間性云々は二の次でも構わないだろう。医者の場合は、立派な人間性を持ったヤブ医者というのでは困るが、「白い巨塔」の財前教授のように優秀な腕を持ちながら人格低劣というのも頂けない。やはり医者は直接に人に対する職業、芸術家は作品を通じて人に対する職業だから、おのずからそこには生き方の姿勢に違いがあるのは当然である。
少しだけ関連のある話だが、私は大学で医学生を教えており、カミさんは音大で将来演奏家を目指す学生を教えている。ある時、カミさんの教えている学生たちにも髪を染めたり、爪を塗ったり、物凄い服装をしてくる学生がいることが話題になった。意見を求められて、私はそういう自己主張のあるくらいの方が将来の演奏活動にとっても良いんじゃないかと答えたが、自分の教えている学生には、実習が始まったらきちんとした髪型と服装をしろと言うことにしている。医者は自分の服装や身なりのセンスを見せてナンボの仕事ではない。相手の患者さんの中に1人でも不愉快な感じを与えることのないよう、最大限に平凡で当り障りのない服装をすべきだと言うことである。
さてハンガリーの生んだ偉大な作曲家にはもう1人リスト(Liszt)がいるが、リスト記念博物館の方は訪れることが出来なかった。またいつかブダペストを訪れる機会があったら、ぜひ行ってみたい。(と家内が申しております。)