富士山遠望

 空気の澄んだ冬の夕方になると、東京都内からも思わぬ場所から夕映えの富士山が見えてハッとすることがあります。昔は東京の西方には特に視界を遮る大きな建物も無かったので、富士山がよく見えたものです。東京にも『富士見坂』とか『富士見台』などという地名が残っていますが、これらは富士山がよく見えた場所という意味でしょう。

 富士山は古来何度も大噴火を起こしていますが、富士山がよく見えるということは、逆に言えば、そういう大災害の時には関東平野に住む人々は物凄い恐怖を味わったであろうということです。私も時々夕映えに黒々と浮かび上がる富士山を見ると、あの山がもし天空に噴煙を噴き上げていたら、と想像して背筋が寒くなることがあります。関東地方に住む人間の心に刻まれた潜在的な恐怖かも知れません。
 そう言えば、K澤明監督の晩年の作品に『夢』という映画(1990年)がありましたが、オムニバス形式のこの作品の中に富士山の大噴火の場面がありました。やはりK澤監督もこういう富士山の姿を見ながら、あの大パニックの映像を作ろうと思い立ったのでしょうか。

 しかし富士山は本当にきれいな形をしています。葛飾北斎があちこちから富士山の姿を版画に残した気持ちも判ります。もし富士山が、そう、例えばあのプロメテウス火山みたいな不気味な姿をしていたら、人々はこれほど富士山を愛さなかったと思います。
 また天空に描いた絵のように美しい姿だったために却って、こんな美しい山を作って下さった神々は日本の味方であると勝手に解釈して、神国幻想の源になった可能性もあります。やはりこれからも富士山は良くも悪くも日本人の心と切り離しては考えられない身近な存在であり続けることでしょう。

 私は富士山が見えると、もう30年以上も前に住んだ浜松の小児科医時代を思い出します。浜松で勤務したのは大きな基幹病院ではありませんでしたが、小児科病棟と産科病棟をかけ持ちで走り回り、全国でもトップクラスの周産期医療の成績を残しました。
 まだ若かった頃の自分が今もあの山の向こうにいて、今日も病院に泊まり込んで危険の高い妊産婦さんや未熟児の間で働いているような気がします。無我夢中で駆け抜けた時代でした。
 私の場合はいろいろあって途中で挫折しましたが、後先も考えずに使命感に燃えることが出来たことは一生の宝物です。私の後輩たちや教え子たちも、これから医療の世界を自分の信念を貫きながら生きていって欲しいと思います。

            帰らなくっちゃ