筥崎宮

 九州福岡市近郊にある筥崎宮です。「はこざき」と読みます。最寄りの地下鉄の駅名は箱崎宮前ですが、これは筥崎八幡宮と同じ字を書いては畏れ多いからという理由だそうです。
 この筥崎宮は西暦921年、博多湾の玄界灘に向かって開いたこの地に移されましたが、この宮の名が一躍広まったのは鎌倉時代の元寇の時、亀山上皇が「敵国降伏」を祈願して成就した時です。それ以来、ここは海上防護の神として信仰を集めているそうです。

 戦前の「元寇」という軍歌(作詞・作曲 永井建子)があり、私もその歌を聴いてまだ子供の頃から「箱崎」という地名はよく知っていました。


   元寇(げんこう)

1) 四百余州をこぞる 十万余騎の敵
 国難ここにみる 弘安四年夏の頃
 何ぞ恐れん我に 鎌倉男児あり
 正義武断の名 一喝して世に示す

2)多々良海辺の戎夷
(えみし) そは何蒙古勢
 傲慢無礼者 倶に天を戴かず
 いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕
(かいな)
 ここぞ国の為 日本刀を試しみん

3)心筑紫の海に 波押し分けて行く
 武士猛夫
(ますらたけお)の身 仇を討ち還らずば
 死して護国の鬼と 誓いし
箱崎
 神ぞ知ろし召す 大和魂
(やまとだま)いさぎよし

4)天は怒りて海は 逆巻く大波に
 国に仇をなす 十万余の蒙古勢は
 底の藻屑と消えて 残るは唯三人
(ただみたり)
 いつしか雲晴れて 玄界灘月清し


 元寇の際の亀山上皇の祈願と、未曾有の国難を退けた神社の“功績”を後世に残すためでしょう、楼門には『敵國降伏』と書かれた扁額が今も掲げられており、この門は「伏敵門」とも呼ばれます。
 日本国憲法下の我が国には少し仰々しすぎて時代錯誤な感じもしますが、敵とは必ずしも外国のことばかりとは限りません。現在、我が国にジワジワと迫りつつある経済危機、食糧危機、環境危機なども、我々国民が力を合わせて戦わなければならない“敵”です。

 また都合の悪いことは何もかも忘れて神様にお預けし、自分の側の“正義”ばかり振りかざして猪突猛進する我が国民性の悪しき一面、「傲慢な神頼み精神」もまた我々の内なる敵です。思えばこの内なる敵を克服できなかったために、我が国は60余年前、史上最大の惨禍を蒙ることとなったのです。

 昭和20年の終戦間際、大日本帝国政府はこの『敵國降伏』の額を図案化した切手を発行して、国民の戦意高揚を計ろうとしたそうですが、切手発行前に降し伏せられたのは大日本帝国であり、我が国の傲慢な国民性でした。
 そもそもアメリカと一戦交えるなんて狂気の沙汰ですね。冷静に当時の国力を分析する頭脳がありさえすれば、日米戦争などとんでもない話だったと、後から考えれば子供でも判ることですけれど、大日本帝国の首脳には、やはり日本は神の国であり、いずれは神風が吹いてアメリカでもイギリスでも蹴散らしてくれるという傲慢な神頼み精神が頭のどこかにあったとしか考えられません。どうも最近の日本の政治家にも同じような精神構造が見えるのが心配ですが…。

         帰らなくっちゃ