東村山ー志村忌ー
2021年(令和3年)3月29日、西武線の奥で仕事があって西武新宿線の東村山駅を通った際、今日はコメディアンの志村けんさんが新型コロナ感染症で亡くなってちょうど1年目であることに気付き、命日にこちらで仕事があったのも何かの縁ですから、帰り道に途中下車して志村さんを偲んでみることにしました。新型コロナウィルスが蔓延するようになってから、早いものでもう1年以上も経つのですね。あれからいろいろな知見も少しずつ分かってきましたし、ワクチン接種も始まりましたが、まだまだ人類の反撃は端緒についたばかり、本当にこの1年は人類を揺るがす恐ろしい感染症の時代の始まりで、ウィルスとの戦いはまだ予断を許さないことを改めて感じます。
東村山駅の東口ロータリー前には3本のけやきの木が植えられています。すぐ前に設けられている解説板によると、この3本のけやきは、東村山市の名前を全国に広めた志村けんさんへの感謝の印として昭和51年に植えられたもので、本人の筆跡で『志村けんの木』と書かれています。このけやきの後ろに少し丸みを帯びた三角屋根の建物が2つ並んでいますが、これは何と男子トイレと女子トイレなのですね。いかにも志村けんさんらしい…(笑)。
この日は志村さんの一周忌の命日に当たり、何人ものファンの方に混じってお母さんに連れられた幼い子供たちもここを訪れていました。太宰治の遺体が上がった太宰忌(6月19日:桜桃忌)や芥川龍之介の命日の河童忌(7月24日)みたいに、いつか3月29日は志村忌と呼ばれるようになるかも知れません。手塚治虫さんの治虫忌(2月9日)とかドナルド・キーンさんの黄犬忌(2月24日)とか、命日に名前がついて後世に伝えられる有名人は数多いですから、まず間違いなく志村さんの命日もそうやってファンの記憶に残っていく日になるでしょう。志村さんは子供たちから「志村はバカだ」と言われるのを心から喜んだそうですから、私は“バカ殿忌”というのがいいと思います(笑)。
志村けんさんが東村山市の名前を一躍全国に広めた原動力は、ドリフターズのコントになった『東村山音頭』です。ドリフターズ最大の人気番組『8時だョ!全員集合』(TBS系列
1969〜1985年)の名物コーナー“少年少女合唱隊”で志村けんさんが披露した『東村山音頭』、実は1963年に東村山市の市政施行を記念した本家本元の元歌もあるようですが、何と言っても志村けんさんや他のドリフターズのメンバーによって歌詞・メロディとも改変されたリメイク版が有名です。
番組の“少年少女合唱隊”のコーナーでは、最初のうちは一応まじめに童謡などを合唱しているのですが、指揮者役のいかりや長介さんが「ハイ、今日はここまで」と終わろうとすると、志村さんが「ちょっと待った〜」としゃしゃり出て来て、「まずは四丁目から行ってみようか〜」と『東村山音頭』の一番を歌い始めるのですね。もちろん観客の子供たちは大喜び。
東村山〜 庭先ゃ多摩湖〜
狭山茶どころ 情が厚い
東村山四丁目 ソレ東村山四丁目〜
と比較的マジメな歌い出しで、これなら夏休みの盆踊りにでも使えそうですが、「続いて行ってみようか 三丁目!」
東村山三丁目 ちょいとちょっくらちょいと ちょいと来てね
一度はおいでよ三丁目 ソレ 一度はおいでよ三丁目〜
とややくだけてきて、「さあいよいよ一丁目、行ってみようか〜」で志村さんはそれまで着ていた上着を脱ぎ捨て、乳首丸出しのシャツとか、股間に白鳥の首が突き出したバレリーナの衣装とか、とにかく最大限に品の無い格好になって、志村さんにしかできない絶妙の振り付けダンスで、
ウワーォ 東村山一丁目 ウワーォ イッチョメ イッチョメ ウワーォ
イッチョメ イッチョメ ウワーォ
ひ・が・し ワォ むらやま一丁目 ウワーォ
と支離滅裂なドタバタになって、“合唱隊”のメンバーも笑い転げたり、一緒に踊りまくったりする中でコーナーが終了、ゲスト歌手の歌へと舞台が転換していくお馴染みの展開でした。番組放映当時は「オー、またやってる」と可笑しくて笑いながら観ていましたが、今もYouTubeなどに残る映像を見ると涙が出てくるのは何故でしょうか。
ちなみにこれが1番の歌詞の中にある庭先の多摩湖(村山貯水池)です。またついでながら東村山は市名であって町名ではない、だから東村山1丁目とか3丁目とかいう住所はないんですね。
さてドリフターズ(通称ドリフ)ほどPTAに代表される親世代から嫌われたコメディアンはなく、『8時だョ!全員集合』は子供に一番見せたくない俗悪テレビ番組とまで酷評されました。しかし番組は16年間も続き、いかりやさん、志村さん亡き後もいまだに往年の国民的コメディアンとして私たちの記憶の中に残っています。
志村けんさんといえば『東村山音頭』の他にもからすのコントがあります。童謡の『七つの子』をもじって、
からすなぜ鳴くの からすの勝手でしょ
とやるわけですが、これがまた偉そうな理屈をこねるPTAの大人世代には著しく不評で、最近でも「からすの勝手でしょ」で育った世代は自分勝手で、集団の規律に従おうとしないなどと、自分自身の人望・指導力・求心力の無さを棚に上げてドリフターズに責任転嫁している人をたまに見かけます。
しかしカラスが啼くのは、別に山に7つの子がいるからではありません。子ガラスが可愛い可愛いと啼いていると思うことこそ人間の勝手なのであって、何でもかんでも自分の心情に沿うものだけを良しとして他は切り捨てる、そういう親に育てられた子供は世の中に自分自身の道を見失ってしまって、成人してからもいろいろな心の問題を抱えてしまっている可能性があります。
志村さんは別の動物番組にも“志村園長”として出演していましたが、ある動物園を取材した時にチンパンジーが志村さんを慕ってなかなか離れようとしない映像が追悼で放映されていました。毀誉褒貶も世間体も関係ない動物や子供たちから慕われた志村さんの優しい心、それを「からすの勝手でしょ」の歌詞の字面しか見ることのできなかった当時の大人世代はもう一度ご自分の胸に手を当てて考えてみるべきでしょう。