広島市電
広島市は世界で最初の原爆攻撃を受けた都市として世界的にその名を知られていますが、実はもう一つ、ある乗り物のマニアにとってはメッカになっているそうです。
その乗り物とは、そう、路面電車ですね。東京、大阪、神戸、名古屋、京都、etcと、日本の大都市からは次々と姿を消していった路面電車ですが、ここ広島市では御覧のように↓、自動車を押しやって堂々と路面の真ん中に居座っています。
東京でも、かつては主要駅前には路面電車が何台もたむろしていたものでしたが、増殖し続ける自動車に押されて、昭和40年代までにほとんどの路線が廃止されてしまいました。現在では、早稲田と荒川車庫を結んでいた路線が、三ノ輪橋までの路線と結合して、一応“都営荒川線”として生き残っていますが、大部分の区間は自動車の邪魔にならない専用軌道を走っていますから、もはや“路面電車”とは呼べません。
ところで広島市電の大きな特徴は、各地で廃止された路面電車の車両を譲り受けて走らせていたことで、これがまた路面電車マニアを喜ばせていたようです。例えば上の車両↑の前身は京都市電でしたし、下の車両↓の前身は大阪市電でした。
私も呉からフェリーで宇品港に着いて、ターミナル前に停まっていた電車に乗ったところ、車内のプレートに『大阪市電』と書いてあるではないですか。「おいおい、プレートくらい取り替えておけよ」と思いながら、さらによく見ると、同じプレートの下には『昭和43年広電移管』とも書いてあったので、思わず笑ってしまいました。京都の車両にもちゃんと『京都市電』と書かれています。つまりこれは“戴き物”を走らせていますよと公言していることで、なかなか微笑ましいですね。
しかし昭和43年と言えば、私が高校生の頃から広島の町を走っていたことになりますが、さらにその前は大阪の街並みを走っていたわけですから、ずいぶん長いこと働いてきたことになります。老骨に鞭打って走る大阪出身の電車同士が広島の街角ですれ違う時など、
「最近どうでっか〜?」
「ボチボチでんな〜。」
「わてらも広島もう長いな〜。」
「そやな、大阪も変わったやろな〜。」
なんて互いに喋ってんとちゃうやろか。
大阪や京都からやって来た車両も、やはりどんどん耐用年数が過ぎてきているようで、広島市電にもニュータイプの車両が目立つようになっていました。もうすぐ由緒ある助っ人車両にお目にかかる機会もなくなると思うと少し寂しい気もします。広島市のどこか一角にでも、全国路面電車博物館みたいな所を作って貰えないかしら。