香港 (Hong Kong)

 私は1994年、香港で開催された国際学会に出席するため、初めてこの地を訪れた。香港が中国に返還されたのが1997年だから、当時はまだ英国統治下にあったわけである。
 近代的な高層ビルが密集して立ち並ぶ香港島と九龍半島に挟まれたビクトリア港 (Victoria Harbour) には、スターフェリー(天星小輪)の連絡船が行き交う中、昔ながらのジャンクの姿も見ることが出来る




 カミさんは東京で演奏会があったので、私より1週間遅れて香港にやって来た(来香と言うのだろうか)。学会期間中は、会場のある香港島のホテル(New World Harbour View Hotel)に宿泊していたが、カミさんと合流してからは九龍半島のメインストリート、ネイザンロードの奥にあるホテル(Eaton Hotel)に移動することになっていた。
 ところが香港島からスターフェリーに乗って九龍半島の交通の要所であるツィムサチョイ(尖沙咀)まで来てみると、そこから半島の奥へと伸びるネイザンロードは、何やらゴミゴミしていて魔窟でもありそうな異様な雰囲気をたたえており、独りでフラッとやってきた私にはとても足を踏み入れる勇気が出なかった。
 そうして1日目はネイザンロードの入口を見ただけで、再びフェリーに乗って香港島へ戻ったのである。
 2日目は少し勇気を出して100メートルほどネイザンロードの奥まで歩いてみた。3日目は500メートルほど進んだ。そして4日目、やっとカミさんと宿泊する予定のホテルまで歩くことができた。
 それから後は学会の合間を見つけては香港中を歩き回り、1週間後にカミさんがやって来た時には、まるで“地元の人間のように”香港の観光地を案内して、カミさんの信頼を得ることが出来た次第である


 ところで“地元の人間のように”と言えば、私は香港で何度も地元の人間に間違えられた。学会場でウロウロしていたら、会場係の恐そうなお姉さんから、「何をグズグズしてるの!」という調子で怒られた。またフェリーで隣りに座っていた品の良いお婆さんからいきなり懇々と話しかけられた。どうやら私の遺伝子は、中国大陸南方にもルーツを持っているらしい。
 私もNHK中国語講座を少しばかり聞きかじっていたので、「こんにちは」「さようなら」「私は日本人です」「私は中国語は話せません」くらいのことは言えるが、当時のNHK中国語講座が教えていたのは北京語(中国の標準語)なのである。ところが香港で喋られているのは広東語というまったく別の中国語であって、これは北部の中国人が聞いてもチンプンカンプンというシロモノ。だからきっとあのお婆さんは、私が日本人であることを理解してくれなかっただろうなあ、と今でも思い出すと申し訳ない気持ちになる。
 ちなみに北京語では「再見」(さようなら)をツァイチェンと発音するが、広東語ではジョイギンとなる。どちらかと言うと、広東語はガ行やザ行の音が多く、騒々しい印象を受けるが、これは日本で言えば東京弁と河内弁の差か。しかし東京人は河内弁を何とか聴き取れるが、北京の中国人には広東語が聴き取れないということで、中国の国土の大きさを象徴しているのであろうか。



 さて香港と言えば、1840年の阿片戦争で英国に割譲されて以来、1997年までずっと植民地状態にあったわけである。阿片戦争は英国が禁制品の阿片(麻薬である)を中国に売りつけて大量の銀をせしめようとした無法な戦いであった。当時の英国議会ですら、清国に対する宣戦布告決議に関しては271票対262票という僅差で、かろうじて可決されたに過ぎない。
 近代兵器で勝る英国軍は清国を圧倒的に打ち破り、南京条約(江寧条約)で賠償金や治外法権などとともに、香港の支配を認めさせた。その支配期限が1997年だったということである。


 こういう東アジアの歴史をひもといていくと、我々日本人にはスッキリしない思いが残る。日本が第一次世界大戦後、対華21ヶ条要求を突きつけて中国の植民地支配に乗り出したことはきわめて遺憾な歴史的事実であるが、英国が中国に押しつけた南京条約も、日本に負けず劣らずひどいものだったのではないか。何で中国政府は日本にばかりイチャモンをつけ、英国の侵略行為には何も言わないのか?

 しばらく前、あるテレビ局で日中問題に関する討論会があった。当然日本人の出席者が中国人(日本で教職に就いている先生だった)にこのことを質問した。
 中国人の答え;英国は香港を統治したことで、中国に繁栄をもたらしたではないか。
 ハアッ!と納得した。要するに得になれば良いのである。得することであれば何でも許されるし、得するためには何でもするのである。また損なことは絶対にやらないのである。よく我々は“中国四千年の歴史”というが、こういう実利的な考え方がなければ、一つの国が四千年にもわたって王朝が代わりながらも歴史を築いてくることは出来ないのである。

 日本の政治家は、こういう国を相手にしているのだという認識を新たにしなければならない。
 もし東アジアの歴史の流れが史実とは異なって、明治維新に失敗した日本を清国(中国)が植民地支配したとする。第二次世界大戦も、連合軍が日本を援助して中国を打倒したとする。中国にも“中華的靖国神社”があって、日本統治を指揮した政治家や軍人が祭られているとする。日本人は当然この“中華的靖国神社”が気に食わない。さて中国の要人は“中華的靖国神社”に参拝するだろうか。
 おそらく中国の国家主席や首相は“中華的靖国神社”には参拝しないだろう。それは日本との関係を少しでも損ねれば実利を失うことが明白だからである。

 “名を惜しむ”とか“メンツを守る”とか“意地を通す”といった価値観は日本列島の中でこそ美徳とされるが、国際的に考えれば、何も中国相手とは限らず、ほとんどの国に対して通用しない独り善がりに過ぎないのだ。実利と意地のどちらかを取らねばならないとすれば、実利を取るのが賢明な策というもの。そんなことも判らぬ人間を一国の指導者に仰がねばならぬところに、我が国の悲劇がある。

 もちろん中国政府の方に問題があるのは判りきったことだ。民主化を拒み一党独裁体制を守らんが為に、中国政府が次から次と日本を非難していることは明白だ。しかしそれを大人(おとな、たいじん)の態度で鷹揚に許容して実利を取るのが政治家というものではないのか。
 何が何でも靖国参拝と意地を通して対中国、対韓国の実利を少しでも損なう、これでは太平洋戦争末期の日本軍部の指導者と、その精神構造において何ら変わりはない。彼らは戦局は挽回不可能、敗色濃厚となっても、まだ皇国不敗のメンツにこだわり、意地を通して徹底抗戦した挙げ句、原爆は落とされるわ、ソ連に北方領土を盗られるわと、さんざんな惨禍をもたらしたのである。

 2005年の靖国神社の秋の例大祭に小泉首相が参拝したが、ポスト小泉の最右翼と言われる安倍氏も、東京都知事で世論に対して絶大な発言力を持つ石原氏も、やはりこの問題に関しては小泉首相と同様な態度をとっている。日本では結局こういう“幼稚”な政治家の方が国民の人気も高いのだろうか。メンツを捨てて実利を取れるような大人の政治家は出ないのだろうか。
 アメリカの政府要人や有力マスコミでさえ今回の小泉首相の靖国参拝を“無用な挑発”と決めつけている。世界の大国と言われている国々は、アメリカにせよ中国にせよ、良くも悪くも大人である。まなじりを決して靖国参拝して、意地を通したと得意げに胸を張るような“子供”が立ち回れるような世界ではないことを痛感した次第である。

 香港から話題がずれてしまったが、ついでに言えば、戦前の日本は遅れて来た帝国主義者であった。英国が香港を植民地支配しても中国から文句をつけられなかったが(むしろ最後には惜しまれつつ去って行った)、後から来た日本が同じことをしたらさんざんにこきおろされた。
 日本はイラクでも同じ轍を踏んでいるのではないか?他のアジア、ヨーロッパ諸国がそろそろ撤退と言い出しているのに、最後までアメリカに忠義だてて、結局はイスラム諸国から最悪の侵略者呼ばわりされることになりかねないんじゃないか?“お子さま”首相にはその辺のタイミングが判っているのかしら?

              帰らなくっちゃ