犬吠崎
寒い日が続くようになると、半年前の夏の日のことが思い出されます。逆に猛暑の頃には厳寒の冬の日々が恋しくなる、半年前の過去の日々が切ないほどに思い出されるようになるのは、単に年齢のせいでしょうか(笑)。
昨年の夏、私は犬吠崎に旅をしました。旅といってもそんな大した旅行ではなく、しばらく東京に逼塞していて旅の禁断症状が激しくなったため、銚子電鉄に乗ってフラリと海でも見て来よう、という気楽な日帰りでした。
私は学生時代を皮切りにかなりあちこち旅行しましたが、そういう禁断症状に襲われる日々もあろうかと、実は何ヶ所かまだ訪れずにとってある場所が幾つかありました。そういう近場の一つが犬吠崎だったのです。
犬吠崎は関東平野の最東端、坂東太郎と呼ばれる利根川の河口に位置し、小学生の頃から社会科の地図帳を見るたびに、どんな所だろうと一人で勝手に想像を巡らせていましたし、北海道から羽田に向かう飛行機の窓からは、晴れていれば銀色に輝いて蛇行する利根川の流れが太平洋に注ぐ地点が望見できました。
私は犬吠崎という地名から、黒潮の中に切り立った荒々しい断崖を想像していましたが、初めて訪れてみて、意外なほど穏やかな海岸であることに驚きました。灯台が建っているのも小高い緑の丘という感じですね。これまで見てきた襟裳岬や潮岬などとは違います。
考えてみれば犬という動物は、狼と同類であるにもかかわらず、人間にとって親しみやすいだけに、あまり雄大なイメージがありません。犬が吠えれば、『負け犬の遠吠え』とか『弱い犬ほどよく吠える』などと蔑まれ、上司におべっかを使う人間を『番犬』だの『忠犬』だのと犬に例えることもしばしばです。人間にシッポはありませんが、『シッポを振る人間』などと言われたら、それは上司に甘えてゴマをする人のことです。そう言えば時代劇でも「幕府の犬め」というセリフが…。
また犬には常に悲哀のイメージがつきまといます。渋谷駅前の忠犬ハチ公の物語もそうですが、南極に置き去りにされた樺太犬タロとジロの話とか、ソ連の人工衛星に乗せられたまま流れ星になったライカ犬の話とか、ちょっと悲しいですね。
そういえば犬吠崎の地名も、源義経が奥州平泉へ落ちのびる途中、ここに置き去りにされた愛犬が主人を慕って鳴き続けたという言い伝えが元になったという説があります。
荒々しいイメージとはあまりにも懸け離れた犬吠崎の情景に、思わず犬に対する人間の理不尽な仕打ちを思ってしまいましたが、人と犬は縄文時代から良い仲間だったそうです。現在でも警察犬、災害救助犬、盲導犬など、こんなに人間に忠義を示して役に立ってくれているのに、人間の方はあまりにも犬を軽んじているんではないでしょうか。
これは目上に対してあまり忠義を尽くし過ぎると、その忠義を当然のものと受け取られ、却って軽んじられてしまうという教訓かも知れません。
ついでですが、戦前の軍国少年を熱狂させた『のらくろ』という漫画がありました。野良犬の黒吉を縮めて“のらくろ”です。野良犬が当時の日本陸軍をモデルにした猛犬連隊に入営して数々の武勲を立て、段々昇進していくストーリーなのですが、ついに将校になろうかという時、実際の軍部から横槍が入ったという話を聞いたことがあります。たとえ漫画であっても、いやしくも大日本帝国陸軍のモデルを舞台にしている以上、素性の知れぬ野良犬が将校になるのは怪しからんということだったそうですが、どなたか真偽のほどをご存知ありませんか。