鎌倉の名月院
あじさい寺としても有名な鎌倉の名月院です。この写真は鎌倉案内のウェブサイトやパンフレットなどで比較的お馴染みですね。東京方面からだと鎌倉の一つ手前の北鎌倉駅から徒歩10分でとても訪れやすく、紫陽花(あじさい)の季節には大変な混雑が予想されるそうです。この寺の紫陽花はブルーの色調が美しいことで有名ですが、私が訪れたこの時はちょうど紅葉の季節、赤や黄色に彩られた境内が鮮やかでした。
観光案内の受け売りですが、名月院は臨済宗建長寺派の寺で、関東管領上杉憲方が1260年代に開いたとも、平治の乱で戦死した山内首藤俊通の菩提を弔うために子の経俊が1160年に建立したとも言われているようですが、とりあえず押さえておくべき歴史的なポイントは、鎌倉幕府の5代執権北条時頼が30歳で赤痢に罹り、執権職を長時に譲って名月院のある最明寺で出家、7年後に死去するといったんは廃絶されていたが、その子の8代執権北条時宗が蘭渓道隆を開山として再興したのを機に禅興寺と改名されたということです。そして明治維新という薩摩長州賊によるクーデター後の廃仏毀釈で寺は廃絶され、現在では名月院だけが残っているわけですね。
それはともかく、名月院で最もよく知られた名所はやはり本堂内の方丈の円窓です。方丈とは一辺約3メートル四方の広さのことで、禅宗寺院の住職が住む部屋を意味することもあります。本堂前までは年間通じて公開されていて、方丈の円窓を眺めることができますが、その窓から見える後庭園は花菖蒲の時期と紅葉の時期のみ期間限定の一般公開です。
さてこの円窓は“悟りの窓”とも呼ばれていますが、いったい何が悟れるというのか…?悟りの窓というのは必ずしも名月院だけのものではなくて、例えば京都にある曹洞宗の源光庵には“悟りの窓”だけでなく“迷いの窓”も並んでいるそうです。(私は行ったことないが…。)その悟りの窓は名月院と同じ円窓なのに対し、迷いの窓は四角形、円は大宇宙を表し、この世界を観ずることで悟りが開ける、四角は生老病死を表し、そこからさまざまな迷いが生ずるということらしい。
本堂の奥に奥行きと広がりを示す後庭園の景色を円窓で丸く切り取る、円という図形は中心からある一定の距離を示す点が集合した軌跡で、三角形や四角形のように特別な角も無く、また楕円のように場所によって曲率が変わることもなく、すべてが平等な意味を持つ点の集合、したがって縦にしても横にしても変化することのない図形、だから何なのと問われても困りますが、やはりある意味で不思議な図形と言えるでしょう。しかも見る人の方向によっては少し歪んで楕円になってしまいます。真実は観ずる人の心や立ち位置によっていかようにも歪んで見えるということか。
吉川英治の小説『宮本武蔵』の中に、沢庵和尚が武蔵を囲むように円を描いて立ち去る場面があったと思いますが、武蔵はその円の内側にいる自分と、外側にいる他者を含む世界の境界を悟り、迷いから覚めたという話になっていたように記憶していますが、やはり私のような凡人には禅問答みたいでピンと来ませんね。あの小説を読んだ時、自分の周囲にヒモを置いて円を描いてみたが、そんな深遠な世界は見えて来ませんでした(笑)。まあ、そういう問答は正解を他人から強制されるものではなくて、直面した人それぞれの立場で答えを見つければ良いのかも知れません。
それよりある景色を丸く切り取ると新鮮に映るのは何故か、不思議な気がします。眼科で視野検査を受けた人はご存知でしょうが、人間の本来の視野は眼球の網膜に対応して円形です。もっとも普段の我々はそんな視野の円形を意識せず、自分が見ている世界は無限の広がりを持っているように錯覚していますが・・・。
景色を円形に切り取るのは新鮮な趣向がありますが、我々にお馴染みの絵画や写真は風景を四角く切り取るのが普通ですね。四角く切り取るのは京都の源光庵の“迷いの窓”と同じです。丸いドームの天井画だとか、丸いレンズを通した顕微鏡や望遠鏡の写真だとか、あるいは敢えて丸い背景を意識した絵画など多少の例外はあるが、ほとんどすべての絵画や写真の芸術は対象物を四角く切り取り、しかもそれを見る人は何の違和感も感じない、これは本当に不思議です。
古今東西の美術系の芸術が対象を四角く切り取る理由について、私が思うには、やはり紙や布(カンバス)を媒体とすることが多いせいかも知れません。昔は紙や布は貴重品だった、そこに絵を描くために丸く切り取ってしまうと、四角く切り取った時よりもたくさんの無駄が生じてしまう。昔の芸術家たちは貴重な紙や布を無駄にしないように、仕方なく四角い媒体に絵を描いたのではないでしょうか。その証拠に壺などの閉じた球面に絵を描いた人たちは、誰も四角い枠を想定していません。
絵画は四角い紙やカンバスに描くものだ、写真は四角い印画紙に焼き付けるものだ、それが何世紀もの間に人々の固定観念になって、本来の人間の生理的視野と著しく異なった見え方でも気にならなくなったのだと思います。しかし現代では、電子媒体の登場によってその枠が吹き飛ぼうとしています。人間本来の無限の視野の中に美を創造・演出する可能性も期待できますが、たぶん名月院の円窓は創建当時はそれと同じくらいのインパクトを持っていたのではないでしょうか。