法善寺 水掛不動尊

 3年前の学会で、もうこれで大阪もお別れかも知れないなどと言っておいて、また来てしまいました(笑)。今回も学会の用事ですが、やはり向かう先はあの時と同じ、夜の道頓堀からちょっと奥へ入った法善寺横丁です。

 ただ今回は水掛不動さんの不動明王像にお参りしようとしたら、毎月28日は護摩供養の日ということで、写真のように何人もの修験者たちが護摩木を火で炊き上げる祈祷をしていました。さっそく私も名前と数え年を書いて祈祷して頂きましたが…。

 法善寺は法善寺横丁という賑やかながらも粋で風情のある飲食店街と渾然一体となっているので、いつもはあまり意識しませんでしたが、ここは正式には天龍山法善寺というれっきとした浄土宗のお寺さんなのですね。ご本尊はこの不動明王の他に阿弥陀如来、金毘羅天王、お初大神などと記されていますが、やはり人々が水を掛けて願掛けをする不動尊が有名です。

 いつお参りしてもそうですが、この不動明王は人々の掛ける水でビッシリ苔むしていて、剣と縄を手にして憤怒の形相でお立ちになっているお姿を拝見できたことはありません。背後の火焔だけがかろうじて石の肌を見せているだけです。
 人々の煩悩を焼き払う炎さえ自在に操る力ゆえか、昭和20年3月のB29爆撃機の大編隊による大阪空襲で法善寺は全焼しましたが、この不動さんだけは無事に残っていたそうです。まさに霊験あらたかですね。

 ところで護摩焚きの護摩とは、サンスクリット語のhoma(焼く・焚く)からきており、ゾロアスター教などの火焔崇拝と起源を一にすると考えられることは、何となく素人でも想像しますが、仏教では天台宗や真言宗が主で、浄土宗の寺で護摩焚きをやる所は少ないそうです。

 しかし各宗派ごとに火焔を使うとか使わないとか、色とりどりの幟で飾り立てるとか飾り立てないとか、念仏を上げるとか上げないとか、そんな厳密な規定が必要になったのはかなり時代が下ってからのことであって、いろんな宗派が誕生する頃はそんな細々した規則は無かったんじゃないでしょうか。

 だから火を焚いたりすることも、各寺院ごとの解釈でさまざまありますね。華厳宗の東大寺二月堂のお水取りなども同じかと思いますが、私は仏教関係の知識はあまり深くありませんので、このくらいにしておきます。

 そもそもどんど焼きなどの民間行事も含めて、火を神聖なもの、清浄なもの、穢れを清めてくれるものとして崇めるものが多いですが、これこそ人類が他の動物たちと最も異なる点だと思います。食べ物を水で洗って食べる動物とか、棒や石など簡単な道具を使う動物はいますが、火を使えるのは人類しかいない。まして火焔を崇拝するなんていうことは他の動物たちには無縁のことです。

 動物にとって火は恐怖の対象でしかない。山火事で焼け死んだ先祖たちから受け継いだ本能を制御できないわけです。しかし人間にとっても火はまかり間違えば生命を失いかねない危険物に違いありません。たぶん最初に火に触った人間は悲鳴を上げて飛びのいたはずです。
「ヒイイイイッ!」
だから日本語では火(ヒ)なのではないでしょうか。

 そう思っていろいろな国の言葉をよく見ると、火を表すのに「ヒ」とか「フ」とか悲鳴のような音から派生したと思われる単語が多いように思いますが、いかがでしょう。
 英語では「ファイア」、ドイツ語では「フォイアー」、フランス語では「フー」、イタリア語では「フオーコ」、スペイン語では「フエーゴ」、マオリ語では「アヒ」だそうです。それぞれの民族の遠い祖先たちが炎に触れて驚いた時の表情が浮かぶようで面白いと思いませんか(笑)。

         帰らなくっちゃ