火山島の秘密基地
あのプロメテウス火山の地下に謎の潜水艦の秘密基地があるのを、たぶん若い人たちならご存知でしょう。そう、ネモ艦長のノーチラス号の基地です。
東京ディズニーシーなど行ったことのない年配の方々でも、もしかしたら少年少女時代にフランスのSF作家ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万里』をお読みになったかも知れません。原題を忠実に訳せば『海底二万リーグ』になりますが、“リーグ”という距離の単位が日本では馴染みがないため、『海底二万マイル』と訳された本も多かったようです。
“リーグ”は国や時代によって厳密な定義がありませんが、大体数キロメートルに相当します。しかしこれを“マイル”と訳してしまうと、1マイルが約1.6キロメートルですから、原作中で実際に旅をした距離よりも短くなってしまう、それで1977年に東京創元社が出版した訳本などでは、日本の長さの単位である“里”がほぼ4キロメートルで“リーグ”に近い、さらに発音も“り”と“リーグ”で似ていることから『海底二万里』としたそうです。
ディズニーシーはよく行くけれど、ジュール・ヴェルヌの原作なんか知らない、という若い世代のために、少しだけ解説しておくと、パリ博物館のピエール・アロナックス教授と召使いのコンセイユ、それに銛打ち名人のネッド・ランド、本当はこの3人が主人公なのですが、ノーチラス号のネモ艦長と比較すると明らかに影が薄い。アロナックス教授の名前なんか覚えていた人はいらっしゃいますか?私は辛うじて銛打ちネッドだけは覚えていましたが…(笑)。
西暦1866年(日本で言えば明治維新の2年前)、世界中を震え上がらせる海難事件が頻発します。巨大な海洋生物もしくは潜水艦と思われる“未確認潜水物体”によって船が次々と沈められるので、アロナックス教授たちも依頼されてアメリカのフリゲート艦に乗り組んで調査に向かいます。
ちなみにそんな時代に潜水艦があったかと言えば、実はあったんですね。潜水艦の原型らしき物は1620年にオランダ人が発明しているようですが、1776年のアメリカ独立戦争ではアメリカが人力駆動の潜水艇を使ったし(ただし効果は無かった)、1864年の南北戦争では南軍の潜水艇(やはり人力駆動)が北軍の船を撃沈しています。ですからジュール・ヴェルヌのSF小説に潜水艦が登場してもちっともおかしくありませんが、その潜水艦ノーチラス号(The
Nautilus)たるや当時の現実世界に存在した玩具のような潜水艇ではありませんでした。
アロナックス教授たちは乗り組んだフリゲート艦が日本列島沖で“未確認潜水物体”に襲撃された際に海中に転落、そこをこの“物体”に救助されるのですが、それこそまさにネモ艦長が指揮する高性能潜水艦ノーチラス号だったわけです。
動力も食糧も、航行や生活に必要な物資のすべてを海から得ながら、陸上の人間社会とは一切の関連を断って世界中の海底を渡っていくノーチラス号、アロナックス教授たちはネモ艦長と共に日本近海から南太平洋、インド洋、さらに紅海と地中海を経て南北大西洋から南極海まで“20,000リーグ”にわたる海底を探検していく冒険譚が『海底二万里』でした。
アメリカ海軍が燃料や酸素の補給なしに長期間潜航できる世界最初の原子力潜水艦を建造した時に、この小説からノーチラス号と命名しましたが、ちなみにジュール・ヴェルヌのノーチラス号の動力はもちろん原子力ではありません。海水中に無尽蔵に含まれるナトリウムから作られる電池です。ジュール・ヴェルヌの時代に先進国で始まっていた産業革命の主要な動力は石炭でしたが、潜水艦がそんな火を燃やす動力を使えるわけがありません。これは後々の世でも水面下に潜る潜水艦の宿命です。
さらに言えば、ジュール・ヴェルヌはこの艦名の最初の命名者ではなくて、1800年にアメリカ人技術者のロバート・フルトンが設計した潜水艇の名前がノーチラスだったようです。
それはともかく、ノーチラス(Nautilus)はラテン語のオウムガイ目(Nautilida)オウムガイ科(Nautilidae)に由来しますが、その正確なスペルをネットで調べたところ、それから私が毎日facebookを開くたびに上の画面のようなノーチラス号の模型の販売広告が表示されるようになりました。全長70センチのノーチラス号の模型が16,522円、これは少年時代の夢をもう一度かき立てる買い物としては高くないかも…、買うまで広告の画面が表示され続けたりして…(笑)。
ここでハッと気付いたんですが、この模型のノーチラス号の形って東京ディズニーシーの“秘密基地”にあるヤツと違う!ディズニーシーのノーチラス号は、背びれのギザギザが2つあるだけでなく、何か平べったい印象がありますね。
1954年制作のウォルトディズニーの映画『海底2万マイル(20,000 leagues
under the Sea)』のノーチラス号ももっと葉巻型に近くて、甲板上を立って歩きにくそうな感じですが、まさにこの歩きにくそうな甲板にこそ、どちらが正解かを決定するポイントがあるのです。
ヴェルヌのノーチラス号は実在したわけではないから、別にどっちが正解でもいいようなもんですが(笑)、東京ディズニーシーのノーチラス号は本当はちょっとおかしい。
ネモ艦長のノーチラス号は陸地に依存しないだけでなく、海上にもそれほど長時間浮上している必要がない、好きな時に好きなだけ潜航して海底を走り回っているわけです。ネモ艦長や乗組員たちは潜水服を着て海底を散歩することはあっても、普通の船のように甲板上を歩き回って海上の景色を楽しむ機会はほとんどありません。
だから東京ディズニーシーのノーチラス号のように甲板が平らになっている必要はないし、むしろそんな形をしていたら潜航中に甲板の平面に余計な渦ができて水の抵抗が大きくなってしまう。
第二次世界大戦くらいまでの潜水艦は単に“可潜艦”に過ぎなかったという何かの本の解説が印象に残っています。つまり基本的にはディーゼルエンジンなど燃焼エネルギーで推進する水上艦船と同一であり、作戦行動中にちょっと水に潜ることが可能なだけ、ということです。水中では燃料を燃やして排気ガスを発生させられませんから、ネモ艦長のように蓄電池(バッテリー)に頼らなければいけない。しかも当時のバッテリーの性能はかなり悪かった。
下の写真の左側は光人社の日本海軍潜水艦の写真集の表紙で、伊号第70潜水艦の艦橋から左舷後部の伊号第168潜水艦を望んだ写真です。どちらも海大VI型aという同型の潜水艦で、伊168潜水艦はミッドウェー海戦で米空母ヨークタウンを雷撃して撃沈した艦ですが、ご覧のように甲板は普通の軍艦と同じく平らになっていて、人が艦上で作業しやすくなっています。
第二次世界大戦の頃の潜水艦はちょっと水の中に隠れることができるだけの艦でした。敵の艦船が近づいて来た時だけ隠れて密かに魚雷を発射する、考えてみれば武士道精神、騎士道精神に外れた戦法ですね。実際、南北戦争で南軍が潜水艇を使用した時には卑怯な兵器であると非難されたそうです。
第二次世界大戦では爆撃機を搭載した日本の潜水艦、巡洋艦並みの主砲を装備したフランスの潜水艦もありましたが、いずれも隠密に潜航して行って敵の鼻先でいきなり姿を現してワッと驚かしてやろうという、その程度の発想だったんですね。
ところが右の写真は2012年の海上自衛隊観艦式に参加した潜水艦“いそしお”と“わかしお”と思われますが(何しろ隠密行動が原則の潜水艦は黒塗りで艦名が判らない)、こんな白波を蹴立てて航行中の甲板など危なくて歩けるものではない。日本には原子力潜水艦はありませんが、最近では通常動力の潜水艦も飛躍的に性能が向上して、ネモ艦長のノーチラス号のように何日も潜っていられるそうです。
むしろ敵の鼻先で浮上して飛行機を発進させたり、大砲を射ったりする場面はもう絶対に起こらず、何日間でも海中に潜んで警戒するのが現代の潜水艦作戦ですから、水中での水の抵抗を減らすために甲板も含めた船体全体が丸みを帯びてるわけですね。
まあ、東京ディズニーシーのノーチラス号は第二次世界大戦の頃の各国の潜水艦のイメージが強くて、たぶんネモ艦長はこんな物は作らなかったと思いますが、私が思うには、東京ディズニーシーの設計者は当初ノーチラス号の甲板上を入園者たちが歩けることを念頭に置いていた、しかし遊びに来た子供たちが水に転落したら危険だということになったんじゃなかろうか(笑)。ギザギザのある2つの背びれも、後ろのヤツは何となく取って付けたように見えます。甲板上を歩けなくしたら、あの辺が間延びしてしまうので仕方なく…かも知れませんね。