小樽
小樽市は今でこそ札幌市の“隣町”といった印象ですが、明治から昭和初期にかけては北海ニシン漁の中心地、また北海道の物流の要衝の港町として栄えた都市でした。まあ、関東で言えば東京と横浜の関係みたいなものでしょうか。かつては小樽の金融相場がウォール街へも影響したと言いますから、その繁栄は大変なものだったのでしょう。
これは↑小樽駅前の大通り。私が最も小樽らしいと思う風景の一つです。道路の先に広がるコバルトブルーの海の色が何とも言えません。普通の人は小樽運河↓の方がこの街の象徴的な景色だと思うかも知れませんが、私はやはり近代的な街並みの中にかつての栄華を偲ばせる駅前のこの景色が好きです。
別に運河も嫌いなわけではありません。ここはやはり“旅人”という言葉が似合う場所です。何年か前、札幌で学会があった時にフラリと足を伸ばした夕暮れの運河で、四国からいらしていたご夫婦に出会いました。やや年配の方でしたが、とてもお元気な様子、仲睦まじい様子に思わず声を掛けさせて頂きました。今もお元気で、どこかを旅しておられるでしょうか。いかにも運河の街にふさわしい人と人との行き交いを思い出しました。(札幌の学会なのに何で小樽運河に行ったのかという疑問はこっちに置いといて、それほど札幌と小樽は近いということですよ。)
さて今回は気ままな独り旅だったので、小樽の市街地を2周くらい歩き回ってしまいました。ひとつの街路が寿司屋で埋め尽くされた寿司屋横丁など“驚きの名所”も発見しましたが、一番心を惹かれたのは手宮線の線路跡です。1880年に開通した手宮線は1985年まで、函館本線から分岐して小樽港との間で貨物輸送を行なっていたそうですが(旅客輸送は1962年まで)、トラックに主役の座を奪われて廃線になったとのことです。
しかし廃線になった後も、大通りのド真ん中を列車の走らない線路が堂々と横切っている景色は面白いです。「一旦停止の必要はありません」と書かれた看板も立っていました。手宮線は運河に並行する道路の1つ陸側を走っていた鉄道ですから、陸運と海運の接点だったわけです。この線路を運河と共に残してくれているので、小樽の歴史をじかに感じることができました。
しょせんは切り取られた歴史的空間に過ぎないのですが↑、この線路をかつては“義経号”とか“静号”などといった蒸気機関車が走ったと思うだけで、鉄道ファンにはたまらないものがあります。手宮線の廃線跡は現在では遊歩道として整備され、美しい花壇なども設置されていましたが(左)、市街中心部を少し外れたあたりでは生活空間の中に埋没して(右)、こちらの方がいかにも廃線という風情を感じさせてくれます。