中国(南京〜蘇州〜上海)

 昭和60年の8月、カミさんが名古屋管弦楽団というアマチュアの方々のオーケストラにソリストとして招かれて、中国の南京と上海を演奏旅行するというので、私もお供の「楽器持ち」で一緒について行きました。先ず成田空港を発って一路日本海を越えて上海へ、翌日蒸気機関車の牽く特急列車で南京へ。
 現在の中国はどうか知りませんが、昭和60年当時は外国人旅行客はすべて日本のグリーン車に相当する「軟座車」(というような標記だった)に乗って、烏龍茶のサービス付きの快適な旅を楽しませて貰いましたが、一般の中国人民は「硬座車」といういかにも座り心地の悪そうな車両にしか乗せて貰えないようで、何だかとても申し訳ない気分でした。そう言えば私たちが宿泊したホテル(飯店)でも快適なサロンやショップなどはすべて「中国人立入禁止」で、当時の中国政府はまるで自分で自分の国を植民地にしているような不思議な光景に思えたものです。
 まだ自由化していなかった当時の中国のことですから、裕福な外国人と自国民の接触をできるだけ制限しておきたいという中国当局の苦肉の策もあったでしょうが、もし日本やアメリカや西欧諸国の政府が国策のために自国の一等歓楽施設街を外国人以外シャットアウトしてしまったとしたら一般大衆はきっと暴動を起こすでしょう。しかし中国人民は長い歴史の中でこんな事には慣れきってしまっているのか、立入禁止の柵の前に大勢の人だかりを作って、お茶を飲んだりタバコをふかしたりしながら内部の外国人を眺めて楽しそうに談笑していたのです。どんなイヤな目に会っても人生を楽しむエネルギーを失わないこの国の人民に勝てる国民は、世界中どこを探してもいないのではないでしょうか。そう言えばこんなジョークがあったのを思い出します。

飲み屋で注文したビールに蝿が浮かんでいたらどうするか。
ドイツ人はウエイターに代わりのビールを持って来させる。
スペイン人は怒って中身をぶちまけてしまう。
フランス人は蝿を取り除いてからビールを飲む。
イギリス人は金だけ払ってビールを飲まずに店を出る。
ロシア人は蝿に気付かずにビールごと飲み干してしまう。
しかし中国人は浮かんでいる蝿を楽しみながらビールを飲む。


細かいところは覚え違いもあるかも知れませんが、中国人に関しては確実にこのとおりです。さて前置きが長くなりましたが、ではさっそく中国の旅に御案内しましょう。


 南京郊外を流れる長江(揚子江)には大きな鉄橋がかかっていて、さらに中国内陸に向かう鉄道や道路が通っています。黄河と並ぶ中国の二大河川ですが、対岸も見えるし、期待したほど大きな川ではないようですが(信濃川のせいぜい数倍か?)、日本の本州を横断するくらいの距離を内陸へ遡ったあたりでこの大きさですから、やはり大河というべきなんでしょうね。


 南京から少し戻った蘇州です。上海と南京のほぼ中間あたりです。ここは東洋のベニスと呼ばれるように、街中にクリークと呼ばれる運河が張り巡らされており、水陸の交通が発達しています。運河には水上生活者たちの船も何艘か浮かんでいました。


 ここは蘇州郊外にある寒山寺。唐の張継の「楓橋夜泊」の詩は有名ですね。詩に出てくる鐘はこの黄色い御堂の2階にあったと思います。
月落烏啼霜満天 (月落ち烏啼いて霜天に満つ)
江楓漁火對愁眠 (江楓漁火愁眠に対す)
姑蘇城外寒山寺 (姑蘇城外の寒山寺)
夜半鐘聲到客船 (夜半の鐘声客船に到る)

 旅情に満ちた壮大な七言絶句の舞台ですから、どんな豪壮な寺院かと思いますが、日本でも奈良や京都まで行かずともよくあちこちで見られるような素朴なお寺で、却ってホッとしました。有名な鐘も撞かせて貰えましたが、そんな大きな鐘ではなく、コーンという軽い響きでした。


 これは上海駅前の黄昏時の雑踏です。日本人なら新宿や梅田でこの程度の人ごみには慣れているので少しも驚きませんが、私が感心したのは街路に溢れる人々の動きが、一見無秩序なように見えて実は整然としていたことでした。人々はそれぞれ好き勝手な方向へ歩いているのですが、自分の進路と交差する人同士、互いに巧みに避け合いながら歩いていくので、滅多に人の流れがぶつかったり滞ったりしません。
 もっと驚くべきことに、朝の通勤時間帯になると広い街路いっぱいに広がった何十台・何百台もの通勤の自転車が同じようにスイスイと行き交っていました。しかもその自転車の群れの中を、私たちの乗った観光バスがほとんどクラッチをつなぎっぱなしにしたまま走り抜けて行くので日本人の一行はもうハラハラドキドキ……。
 どうやら中国人はどんな雑踏でも互いの動きをよく見て、うまく相手をかわしながら動くのが得意なようです。上の写真に写っている人たちをよく御覧ください。ほとんどの人たちが真っ直ぐ顔を上げて周囲を見ながら歩いているでしょう。雑踏の中でもうつむいて自分の足元しか見ていない人が多い日本とは大違いです。
 そう言えばもうずいぶん前になりますが、News Weekか何かの雑誌が東アジアの経済発展の特集を組んだことがあって、東京のラッシュアワーと中国系の都市(上海だったか台湾だったか)のラッシュアワーの写真を並べて掲載していました。画面にはそれぞれ数十人の通勤サラリーマンが写っていましたが、中国人は全員が前を見て歩いているのに、日本人はこれまた全員がうつむいていたのが印象的でした。
 こんなことにも日本人と中国人の違いが目につき、日本人よ、もっと前を向いて歩け、と言いたくなった中国の旅でした。

(番外編)
 最後に、これは中国旅行とは全然関係ありませんが、私がカミさんの海外演奏旅行について行くと、よく大事件が起こるのです。2001年9月のトルコ旅行の時もニューヨークで同時多発テロが起こりましたが、この時(1985年8月)は日本中を震撼させる大惨事が発生しました。御巣鷹山の日航機墜落事故です。上海の領事館でこのニュースに接した一同は顔を見合わせたものでした。上海から成田へ向かう日航機の機長が、現場付近を一望できる上空にさしかかった時、号泣しながらお詫びと決意のアナウンスしていたのをよく覚えています。改めて犠牲となられた乗客・乗務員の方々の御冥福をお祈りいたします。

              帰らなくっちゃ