葛飾柴又
私 生まれも育ちも葛飾柴又です
帝釈天で産湯をつかい
姓は車 名は寅次郎
人呼んでフーテンの寅と発します (ヒトではなくシトと発音する)
あ〜懐かしい…。
映画『男はつらいよ』シリーズの寅さんでお馴染みの柴又帝釈天の門前です。草だんご、煎餅、葛餅や土産物の店が軒を連ねる参道を進んで行くと、忽然と目の前にそびえているのが帝釈天の山門↑。
寅さんの人柄でずいぶん庶民的なイメージがありますが、実際はかなり由緒ある門構えで、いかめしい風格すら感じさせます。境内には法華経説話を表わす見事な木彫りをほどこした総ヒノキ造りの帝釈堂や、京都や鎌倉にも負けないような美しい庭園があり、ちょっと東京の下町とは思えない雰囲気が漂っていました。特に帝釈堂の木彫りは昭和初期完成の比較的新しいものですが、江戸時代以前の彫刻師にも決して引けを取らない出来栄えで、一見の価値があります。昭和の日本にもこれだけの木彫りのできる人がいたんですね。↓
この2枚の木彫りの写真は、一緒に行った中国人留学生の金毅先生に撮って頂いたものです。
これはちょうど帝釈天の裏手に当たる江戸川河川敷。今にも寅さんがひょっこり帰って来そうですね。そういえば私が観た映画の寅さんは、金町方面からこの河川敷を通って生まれた街に帰って来て、京成線の柴又駅からまたフラッと青砥・上野方面へ旅立って行くことが多かったように思います。
ところで帝釈天とはどういう神様でしょうか。
まず古代仏教では我々の住む宇宙をどう捉えたかというと、虚空の中に風輪という巨大な円板が浮かんでいて(直径7×1059km、厚さ1120万km)、その上に水輪と金輪(ともに直径8,424,150kmで、厚さは水輪が560万km、金輪が224万km)が乗っている、その金輪の中央に高さ56万kmの須弥山という巨大な山があり、その周囲を7つの山脈が囲んでいる、その山脈群の外周に塩水の海が広がっていて、東西南北に1つずつ大陸がある、その中の南の贍部洲というのが我々の住んでいる世界(インドとも言われている)であるとのことです。太陽や月は須弥山を中心に周回して、4つの大陸を順々に照らすらしい。
贍部洲の地下には地獄が広がり、天界は須弥山にあるが、神々にも身分格差があって、須弥山の中で住み分けをしている、一番上に住んでいるのが四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)だが、帝釈天はさらに山頂の一番立派な御殿に居を構えておられるそうです。
これだけでも途方もない大きさの舞台ですが、この世界が1000個あつまって小千世界を形成する、小千世界が1000個集まって中千世界を形成する、さらに中千世界が1000個集まって大千世界を形成する、1000の三乗という意味で三千大千世界とも言いますが、
三千世界のカラスを殺し ぬしと朝寝がしてみたい
と幕末の志士、高杉晋作が歌った三千世界もこのことです。
最初のうちは仏教の宇宙観なんて平板な世界に天動説か、とバカにしていたかも知れませんが、こうして考えてくると太陽系が集まった銀河系、銀河系が集まった銀河集団、さらに銀河集団の泡構造など、現代の最新天文学が解き明かす大宇宙の階層構造に相当するようにも見えて、興味深いではありませんか。
しかもこの三千世界は気の遠くなるような長い周期を経て、生成と消滅を繰り返すのです。これまた現代のブラックホールやホワイトホールの理論を彷彿とさせます。
つまり我々の世界の中心である須弥山で最高の場所に住んでいる帝釈天でさえ、大宇宙の中では相対的な存在に過ぎず、宇宙の生成と消滅の輪廻から逃れることも出来ないのです。世界の創造主や絶対者を想定したキリスト教やイスラム教の宇宙観と比べて、何と壮大で奥ゆかしいことでしょうか。
庶民的な東京の下町にこんな豪壮な山門やお堂が建っているのも、私たちの世界の中心に住んでいる帝釈天を祀ってあることを考えれば当然かも知れません。しかし私はキリスト教やイスラム教の絶対者を祀った教会や寺院を何度も訪れたこともありますが、そこでは確かに観光地化もしているけれど、ここの帝釈天ほど庶民的ではなく、やはり厳粛な雰囲気で、私のような異教徒でさえ神の存在を意識せずに通り抜けることはできませんでした。
柴又の帝釈天がこんなに庶民的なのは、決して寅さんの映画の影響ばかりではなく、仏教における天界の住人もまた我々庶民=衆生と同じ運命共同体に属しているからではないでしょうか。