新鶴見機関区

 JR東日本の新川崎駅はちょっと分かりにくい駅ですね。一応は品I線(品川〜鶴見間:「ひんかくせん」と読む)という東海道線の支線の駅ですが、停車するのは横須賀線に乗り入れる湘南新宿ラインの電車だけです。先日品川付近の人身事故の際に臨時に東海道線の電車が停まっていましたが、あくまで例外です。

 そんなことはどうでもいいですが、新川崎というから川崎にも近いのかといえばとんでもない。川崎に用事があるので新川崎からちょっと歩けばいいだろうと思うと、これが直線距離で3キロばかりあり、近くを併走するJR南部線の鹿島田駅から3駅もあります。川崎へ御用の方はJRなら東海道線か京浜東北線をお勧めしますね。

 そういうこともともかく、新川崎駅の西側に隣接して新鶴見信号所の中に、JR貨物の新鶴見機関区があり、機関車や貨車の着脱をするために、ご覧のように幾つものポイントで線路が複雑に枝分かれしています。

 こういう光景は大好きですね。特に男の子は好きじゃないでしょうか。私も子供の頃から鉄道の知識に興味が強かったです。貨車は記号で分類されていて、無蓋車は「ト」、有蓋車は「ワ」、冷蔵車は「レ」、タンク車は「タ」、等、等。これに積載重量の小さい方から順に「ム」「ラ」「サ」「キ」の記号が組み合わされて、例えば積載重量13トン以下の無蓋車は「トム」とか、積載重量20〜24トンの有蓋車は「ワサ」とか、13トン以下の無蓋車に車掌乗務室が付いたものを「トムフ」とか、今でも覚えているのはそれくらいですが…。最近ではコンテナ車(「コ」)と石油を積んだタンク車(「タ」)が多いようですね。

 新鶴見機関区を見下ろすように跨線橋がかかっていて、私はこの駅で健康診断の仕事の待ち合わせをする時など、かなり早めに到着して飽きずに線路を眺めています。朝早い時刻だとあまり機関車が動いていることはないんですが、まるで鉄道模型のパノラマを見ているようで楽しいです。このポイントをこっちへ切り替えて、この機関車をこの貨車に連結させる…なんて想像するだけでワクワクしますね。

 考えてみれば人生なんて線路のポイントみたいなものです。あそこでポイントをこちら側に切り換えたから現在の自分がある、もし向こう側に切り替えていたら今はどんな人生を歩んでいただろうか。そんな空想に耽る自分がいることに気付いてハッとすることもあります。そんなことは少年時代には思いもしなかったことでしたし、まだまだ人生これから出発進行の時に考えられるはずありませんよね(笑)。

 個人の人生もそうですが、歴史もまたポイントの切り替え次第でどっちへ転がっていくのか分かりません。もしあの時こうなっていたら歴史はこう変わっていただろう、もしあの時あんなことさえ無ければこうなるはずだった…歴史の好きな人を夢中にさせる、いわゆる「歴史のイフ(if)」です。有名なものでは、もし関ヶ原合戦で小早川秀秋の裏切りがなくて豊臣が勝っていたら…とか、もしミッドウェイ海戦であと5分早く艦載機の発艦を始めていたら…という類の話、興味ある人は多いんじゃないでしょうか。

 さて新鶴見機関区を見下ろす跨線橋を渡ってさらに数百メートル先が丘陵地帯になっていて、夢見ヶ崎動物公園と呼ばれています。その名のとおりちょっと立派な動物園もあるほか、付近には古代の古墳跡も点在しています。「夢見ヶ崎」という何となくロマンチックな地名についてですが、夢を見たのは可愛らしい乙女ではなく、太田道灌(1432〜1486年)という室町時代後期の武将だそうです。江戸城を築城した武将として有名ですね。

 その江戸城ですが、太田道灌は最初この夢見ヶ崎の丘陵に陣を張った時、多摩川と鶴見川に挟まれた見晴らしの良い高台であることが気に入り、ここに城を築こうと考えていたらしい。ところがある晩のこと、道灌は自分の兜を1羽の鷲に奪われて持ち去られる不吉な夢を見たために、この地の築城を断念したというのが「夢見ヶ崎」の地名の由来と言われています。

 確かに夢としては不吉だが、武将にとって戦略的な目でここと定めた土地の築城を諦めるか…って感じですね。もし道灌の夢に出てきた鷲が兜を持ち去らなかったら、もし兜に美しい金粉でもふりまいておいてくれたら、これも「歴史のイフ(if)」ではありますが、この地に江戸城が築かれ、徳川家康はここに幕府を開き、明治維新後はここが皇居になっていたかも知れません。

 ここだったら大火に見舞われることもなく、現在も堂々とした天守閣が残っていて、川崎市街から中途半端に遠い新川崎なんていう分かりにくい駅も、今では押しも押されぬ『東京駅』だった可能性があります。凄いですね。もし新川崎の駅を通ることがあったら、西側に立派な皇居の天守閣がそびえ、首都圏の高層ビルに囲まれた幻の東京駅の姿を想像してみて下さい。


         帰らなくっちゃ