乞食



 これはマドリード観光をしたことのある人なら御存知と思われるが、マドリードの南70kmに位置する中世の城砦都市トレド(Toledo)で、マドリードからの日帰りツアーとして絶好の場所である。周囲を城壁とタホ川(Tajo River)で囲まれた要害の地で、1561年のマドリード遷都以前はここがスペインの首都だったのも頷ける。絵画の好きな人なら、この町に画家グレコ(Greco)が住んだことは常識だろうが、今回の私のテーマは美術とはおよそ縁遠いものである。
 トレド観光をする者は、町に入る前に先ずトレドの全景が一望できる丘の上に案内される。タホ川で囲まれた斜面の上に作られた中世の古い都は、まるでお盆の上に飾り付けられた箱庭のように見え、多くの観光客はその不思議な美しさに感嘆の声を上げる。
 中世の街並みを保存するために、新しい建築にも厳しい制限があると説明を受けて、私は一つの疑問を感じた。この町の住民は何で生計を立てているのだろうか、と。その答えは実際に町に入って行くとすぐに判った。観光と土産物である。トレドの最も代表的な土産物は、剣(実物やミニチュア)と象嵌細工で、これらがこの町の数少ない「生産業」の一つのように思えた。それらの他には工場らしき建物も農地らしき土地も見当たらなかったからだ。では土産物以外には何があるかと言えば、ホテルや食堂やガイドなど観光一般、および地元住民のための必需品の売買であるが、それだけでこの町の住民の生計が十分に立ち行くとは思えなかった。トレド市を観光資源として保護している国や自治体からの保護は当然あるだろうが、意欲も能力もある健康な成人が、観光以外の職に就くことを厳しく制限されている様子は、決して活気があるとは言えず、むしろ細々として物寂しかった。まして老齢だったり、健康を害していたり、観光資産を持たない市民にとって、この町は暮らしやすいのだろうか。
 そこで道端でよく見かけたのが乞食である。大寺院やグレコの家の近くなどには、乳呑み児を抱いた女性や老婆などがあちこちの路上に座って、道行く観光客らに物乞いをしている光景が目に焼き付いて、痛ましい思いが残った。その思いは2度目のトレド観光の時の事だったが、帰国後は何となく忘れてしまっていたところ、9年後にトルコのイスタンブールを訪れていた時にもやはり多くの乞食を目にした。歩道橋の上に座っていた老婆が私を見上げる視線が、トレドの大寺院の裏にいた老婆の姿と重なって、ホテルに帰るまで心に引っ掛かっていた。亡き祖母の面影があってハッとしたけれど、足の勢いでそのまま通り過ぎてしまった悔いがあったのかも知れない。

 現在の日本では厳密な意味での乞食はいないと言って良いだろう。軽犯罪法第一条の二十二項によれば、「こじきをし、又はこじきをさせた者」は拘留または科料に処されるのである。乞食は軽犯罪と規定されており、またそういう法律を別にしても、「乞食」という言葉は差別用語であると糾弾される恐れもある。しかし私が子供の頃、新宿や池袋などの雑踏には、道端に座って物乞いする人の姿が見られたものだが(まさに乞食である)、周囲の大人たちはまるで忌むべきものでもあるかのように、その前を足早に避けるようにして通り過ぎてしまった。また乞食は実は不労所得による大金持ちだったというような乞食を皮肉ったショートショートストーリーを書く作家もいた。
 かくして子供心に乞食に対する否定的観念を植えつけられて育った私だったが、イスタンブールで観察した事象はそういう私の概念を根本から覆してしまった。市民たちは乞食を見ると、進んで近づいて行って、幾ばくかのトルコ・リラの紙幣や貨幣を与えるのである。もちろん乞食の数は多いから、道端で目にした乞食すべてに施してやることは出来ないが、進んで施しをしようという市民の数もかなり多いから、乞食の方も食いはぐれることは無さそうだった。
 市場で重度のクル病と思われる脊椎の曲がった女性に1人の紳士が紙幣を手渡している光景を見た時、市民たちは決して乞食に「恵んでやって」いるのではないと私は直感した。「施し」という言葉もやや違うような気もするが、上の者が下の者に、あるいは富める者が貧しい者に「くれてやる」という傲慢なニュアンスでないことだけは確かだ。仏教でも「喜捨」という言葉があるが、これが一番近い。まさに喜んで捨てる、つまり自分以外のために費やしてしまうことである。
 でも何で喜んで捨てることが出来るのか。世間はそんな完璧な博愛主義者ばかりではないはずだ。自分以外のために捨てる、と言っても結局はそれが自分のために返ってくると信じられるからこそ、喜んで捨てられるのだ。おそらくキリスト教徒やイスラム教徒は、貧しい者たちに施しをすることによって、自分の死後に天国に浄財を積むことが出来ると信じているのだろう。キリスト教やイスラム教の文化圏では乞食は決して恥ずかしいことではなく、まして法律で罰するような悪いことでもないのである。困っている人があれば無償で手を差し伸べてやるのが、神の前での人間の当然の義務であると彼らは教えられているのであろう。デュマ作の「モンテ・クリスト伯」(別名・厳窟王)の中には次のような言葉がある(岩波文庫版・山内義雄訳)。

町のなかをうろついている犬にしても、情けのある人の手によってパンを投げてもらえます。しかも一人の人、キリストを信ずる一人の人、それが、キリスト教信者と自ら言っている人たちのあいだにあって、飢え死をさせられるなんて!そんなことはあり得ません!

主人公が無実の罪で投獄されている間に、父親が食べる物も無く死んだと聞かされた時の悲嘆の言葉である。

 日本にも「情けは人の為ならず」という諺がある。最近ではどうも、他人に情けをかけると身のためにならない、という意味に勘違いしている人がいるらしい。しかし本来は困っている人に情けをかけるのは、相手の人の為ばかりではない、いずれ情けは巡り巡って、今度は自分が困った時にも戻ってくるものだ、という意味のはずである。天国に功徳を積むという信仰が無い日本人の場合、この言葉がキリスト教徒やイスラム教徒の「喜捨」の内容に最も近いのではなかろうか。
 乞食を法律で外面から禁じた社会と、乞食を助けなかった事を内面から咎められる社会と、どちらが暖かい社会か、我々ももう一度考えてみる必要がありそうである。
               帰らなくっちゃ