宇野

 宇野はどこにある町でしょうか?岡山県あたりにお住まいでない方で即座に答えられる方はよほどの旅好きでしょうね。
 変わった形のモニュメントの傍らに建つ瀟洒な駅舎がJRの宇野駅ですが、ここは岡山駅から33キロほどしか離れていないのに、岡山から直通で入って来る列車は1日に10本もありません。それ以外では岡山から瀬戸大橋線に乗り、途中の茶屋町で宇野線に乗り換えになります。まあ、地方都市でそれだけ列車が入って来れば、決して少ないとか辺鄙とか言えないと思いますが、昔の宇野駅といえば本州と四国を結ぶ動脈の拠点、そもそも瀬戸大橋線などは影も形もなく、山陽本線から分かれて岡山から南へ下る列車はすべて宇野線でこの宇野駅に入って来たものです。

 飛行機を使わずに四国を目指す旅人は、宇野で列車を降りて連絡船に乗り、高松へ向かいました。宇野と高松を結ぶ連絡船だから宇高連絡船、1988年(昭和63年)の瀬戸大橋線開業に伴って廃止され、今やワープロ変換しようとすると「浮こう連絡船」などと出る始末…、思えば青函トンネル開業に伴って青函連絡船も今は無くなり、1988年は連絡船のファンにとっては最悪の1年でしたっけ。

 私が初めて瀬戸内海を渡ったのは昭和51年、医学部の最終学年の夏休み、それまで東北、九州と旅して回った気の合う友人と一緒で、いわば卒業旅行みたいなものでした。もちろん瀬戸大橋はありませんし、飛行機に乗るお金もありませんでしたから、宇野から連絡船で高松に向かいました。大きなリュックを背負って大勢の旅客の波に揉まれながら、四国周遊券を手に国鉄の改札を出て、目の前に見える連絡船の桟橋へと歩いて行った、あの時の胸のときめきがつい昨日のことのようです。
 あれから30年余りを経て、高松からの帰途、フェリーで再び訪れた宇野の駅舎には昔日の賑わいはなく、寂しい限りでした。

 フェリーの船上から見た過ぎ行く瀬戸内の緑の島影は当時とほとんど変わらず、この海を拠点に源平時代から戦国時代にかけて活躍した瀬戸内の海賊衆(水軍)の物語が偲ばれますが(左)、やはり島伝いに架けられた巨大な鉄橋は海の景観をすっかり変えてしまいました。
 まあ、その鉄橋を走り抜けながら見下ろす瀬戸内海の風景(右)も爽快ではありますが、それでも私は船が好き(笑)、昭和46年頃の小柳ルミ子さんのヒット曲『瀬戸の花嫁』もやっぱり船だから情景が絵になるんですね。あの歌詞は別に宇高連絡船ではなく、地元の漁船か釣り船でしょうが、岬を回る舟の背景にあの巨大な鉄橋がドーンとそびえていたのでは興醒めです。

 そう言えば、私の大学にも高松から東京に出てきている学生さんが何人かいます。今になって気がつきましたが、彼らが生まれて物心ついた時分には、すでに瀬戸大橋があって、対岸の本州へは鉄道か自動車で渡るのが当たり前の世の中になっていたわけです。そう考えると時代の流れの速さを痛感します。

        帰らなくっちゃ