若戸大橋

 北九州の若松(手前)と戸畑(対岸)を結んで洞海湾を跨ぐ巨大な赤い橋、若戸大橋です。私は初めて見ましたが、実はこの吊り橋が開通したのは1962年9月、私がまだ小学校5年生の時でした。若戸大橋の名前は子供心にも鮮烈な印象を残したものです。

 それまでは絵本などで見る大きな橋は、サンフランシスコの金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)とか、ロンドンのテムズ川のロンドン橋とか外国のものばかり、そんな時代にようやく日本にも巨大な吊り橋が架かった、まだ少年だった私は何だか胸の溜飲が下がったような思いでした。
 4年前の1958年には東京タワーが完成、6年後の1968年には霞ヶ関ビルが完成、と我が国もいよいよ巨大建築の時代を迎えつつあった、若戸大橋もその一環だったわけです。

 1937年に完成したサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジにかなり遅れてはいますが、我が国の橋梁技術は諸外国に負けていなかったという話を昔どこかで読んだことがあります。有名な映画『戦場にかける橋』は、第二次世界大戦中タイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道に、連合軍の捕虜多数を動員してクワイ川(クウェー川)鉄橋を建設する物語ですが、連合軍捕虜や現地アジア人労務者ばかりでなく日本兵も含む多数の犠牲者を出して完成した鉄橋は日本の鉄道技師によって設計されましたが、カーブを描く橋梁の建設技術に、捕虜の連合国鉄道技師も舌を巻いたそうです。(真偽のほどは今は確かめようがありませんが…)

 まあ、私たちの世代は少年だった頃から、巨大な電波塔、高層ビル、海底トンネルなど数々の巨大な土木建築工事が次々と完成してきたのを目の当たりにしてきたわけですが、巨大な橋梁もこの若戸大橋を皮切りに東京湾のベイブリッジやレインボーブリッジ、瀬戸内海を渡る何本もの吊り橋など、今では珍しくも何ともありません。

 しかし完成後半世紀以上を経た若戸大橋を初めて自分の目で眺めて、日本の先進建築技術が次々と開花する時代の息吹を感じた少年時代を思い出し、何か複雑な思いに駆られました。確かにこの半世紀の間に、我が国は新幹線や高速道路、巨大な橋梁やトンネルで国土を切り開き、地方都市にもたくさんの高層建築が見られるようになりました。子供の頃には絵本でしか見られなかった未来都市の姿がそこにはありますが、はたして日本人はそれで昔より幸せになったのでしょうか。考えなければいけないような気がします。


         帰らなくっちゃ