芝の増上寺と東京タワー
東京港区芝の増上寺です。室町時代の1393年、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれ、1590年に江戸入府の際にたまたま門前を通りかかった徳川家康と、当時の源誉存応(げんよぞんのう)上人の気が合ったことから徳川将軍家の菩提寺になったと伝えられています。
初代将軍家康の葬儀は増上寺で執り行われ、その後の2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の各将軍の墓所は増上寺境内にありますし、また増上寺の隣には家康像を祀った芝東照宮もありますが、これももともとは増上寺の社殿だったようです。
東照宮と言えば栃木県の日光東照宮が有名で、ここに家康が祀られていますが、なぜ家康が日光で神格化されて祀られているのか。小学校の頃に聞いた話だと、家康は生前日光に行ったことがなかった、日光を見ずして結構と言うなかれ、などと言われるほど当時から名高い土地に行ったことがないのを恥じた家康は、自分を日光に祀るよう遺言したとのことでしたが、家康ほどの将軍がいくら忙しかったとはいえ、日光くらい行けただろうと私は思いますね。
いろいろなサイトなど見てみると、家康の埋葬をアレンジしたのは天台密教の天海僧正で、最初に家康を埋葬した静岡県の久能山東照宮から、富士山(不死の山)を通って東へ延長した日光の地を定めてここに家康を祀り、死後に神となった家康が永遠に江戸を守り続けるという意味を付与したらしいです。つまり江戸から現在の東京に至るも、いまだに家康は神となって自分が幕府を開いたこの地を守護し続けている。
その家康ゆかりの地に東京タワーが建てられたのは象徴的でもありました。増上寺境内から見上げる東京タワーは、建設当時そのままに遮る建物も無く、本殿の背後に威風堂々と聳えています。増上寺境内は東京タワーを見上げる都内有数のスポットでもあります。やはりこうして見ると東京タワーは優美ですね。完成当時、タワー(塔)としては世界一の高さを誇り、すべての建造物を入れても世界第三位くらいにランクされていたように記憶しています。
最近では東京タワーの2倍近い高さのスカイツリーの方が何かと話題に上ります。スカイツリーも我が国の建築技術の粋を集めて世界に誇るタワーだと思いますし、2011年の震災でも東京タワーには軽微な損傷が出たのにスカイツリーは無傷だった、まあ、東京タワーは50年以上の老朽化がありますから無理もないですが、やはり技術の進歩には目をみはるものがあります。
昭和30年代には高さ600メートルの塔など夢想もできませんでした、それが耐震技術の進歩で実現したわけですが、それと同時に経済力の発展も無視することはできません。スカイツリーは東京タワーと比べるとかなり無骨な印象がありますが、原因はその鋼鉄の密度の高さにあるのではないでしょうか。
使われている鋼鉄の強度の制約からリベット打ちで建造された東京タワー、鋼材としては朝鮮戦争でスクラップされた米軍戦車の材料も使われているそうで、まだ戦後高度経済成長の機も熟していなかった時代では鋼材の入手も困難だったようです。
それに比べて格段の進歩を遂げた鋼材をふんだんに使って溶接で組み上げたのがスカイツリーですが、これだけの鋼鉄を使えば、いくら溶接で滑らかに仕上げても、見た目の優雅さは東京タワーにかないません。
ちなみにスカイツリーは8万トンの鉄を使っているそうですが、東京タワーはわずか3600トンとのこと、単純に考えればスカイツリーは戦艦大和約1隻半に相当しますが、東京タワーはせいぜい大型駆逐艦並みです。どちらも東京の新しいシンボルとして建設された塔ですが、その背景の技術力、経済力は雲泥の差でした。
最近の新しい東京(旧江戸)のシンボルであるスカイツリーは徳川将軍家の菩提寺から離れましたが、その足元にある東武浅草駅からは家康が祀られている日光とを結ぶ特急列車が発着しています。不思議な面白い因縁ですね。