横浜の波止場(赤い靴)
最近では桟橋とか埠頭と呼ばれるのが普通ですが、波止場というと何となく雰囲気がありますね。遠い異国から船が着いて、船員さんたちが港の女に恋をする…いやいや、船員ではなくて、マドロスですね。
歌謡曲の舞台になりそうな波止場ですが、元々は船を横付けできるように陸岸を海へ突出させた埠頭のことです。
横浜の山下公園にも横浜港の表玄関である大桟橋埠頭の南東側に、今はもうこの港を出ることもない氷川丸が繋留されている波止場があります。やはりこういう大きな船が着いていると、もう出港しないことが判っていても、何だか郷愁を誘われるような雰囲気があります。ジェット旅客機が離着陸する空港ではこうは行きません。
昔は客船が出港する時は、銅鑼が鳴って、船上で旅立つ人と波止場で見送る人との間に色とりどりの紙テープが交わされたものです。船の上から見送りの肉親や友人や恋人に向かって紙テープを投げる、波止場の人はそれを拾って、テープの長さが伸びる限り、遠ざかって行く人との別れを惜しむ、もはやその1本の紙テープだけが船上の人と自分を結ぶ唯一の絆のように思えたことでしょう。そんな港の別離の光景も妙に切ないものがあります。
国際メールや国際電話ですぐに声が聞けるわけもなく、次の便りが届くのはどんなに早くても1週間や2週間、場合によっては1ヶ月以上も待たねばならなかったかも知れませんから。
1週間か2週間でまた帰って来てしまう最近の海外旅行ツアーにはそんな悲壮感はありません。そもそも空港に見送りに行ったって、目指す旅人が飛行機のどのシートに着いたかも判りませんし、仮に判っても窓から顔が見えるわけでもありません。何とも味気ない旅立ち…。
ところで氷川丸の波止場の近くに、横浜港に出入りする船を見つめ続けているかのごとき、小さな女の子の像があります。横浜の波止場にゆかりの童謡『赤い靴』に因んだものですが、野口雨情作詞、本居長世作曲のこの歌、ちょっと不思議な童謡ですね。
一)赤い靴はいてた女の子
異人さんにつれられて行っちゃった
二)横浜の波止場から船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった
三)今では青い目になっちゃって
異人さんのお国にいるんだろ
四)赤い靴見るたび考える
異人さんに会うたび考える
底からせり上がってくるような短調のメロディーに乗せて歌われるこの童謡からは、幼い頃から何とも言えない不気味な雰囲気を感じたものです。何年も前になりますが、この童謡の歌詞には実在のモデルがあったという説が紹介されたことがありました。訳ありの夫婦の子で、今では身寄りもなくなった娘が、アメリカ人の宣教師の養女になって海を渡った“事実”を詠んだ詩だということでしたが、もちろんその後いろいろな反論が出ました。
学問的な考証は私にとってはどうでもよいのですが、この詩からは少なくとも不幸な少女が親切な養父母に引き取られて異国の地で幸せになったというモチーフは感じられません。
異人(外人)さんに連れられて行っちゃった
という言い方は、日本語では“あまり良くないことが起こっちゃった”という意味に使うことが多いですから、この詩の主人公には、少女の幸せを祝福するというよりは、好きだった女の子を取られちゃったという気持ちが強いことは明らかです。
まさか拉致事件ではありませんけれど、似たようなモチーフの童話を挙げるとすれば、『ハーメルンの笛吹き男』でしょうか。ネズミに悩まされていた町の人々の頼みで、ネズミを退治してやったは良いが、ただ笛を吹いていただけだと言われて報酬を支払われなかった男が、報復手段として町の子供たちを笛の音で催眠状態にして連れて行ってしまうというヨーロッパの童話です。
『ハーメルンの笛吹き男』の童話もいろいろ歴史的考察が加えられていますが、それはともかくとして、横浜の『赤い靴』の童謡については、“異人さんの報復”ではなく、当時の日本人には何もしてやれなかった幸薄い少女が救われるためには、異国の地に旅立たざるを得なかった状況があったのでしょう、ただの空想にしてはあまりにもリアルです。その薄幸の少女を故国で手元に置いておいてやれなかった悔恨の情みたいなものを感じます。