横浜中華街
首都圏在住の人はもちろん、全国のグルメファンにとっては言わずと知れた横浜中華街です。ここには中国雑貨や書籍などの店も多いですが、何と言っても大小の中華料理店がズラリと軒を連ねている光景は圧巻で、夜ともなればまるで香港か上海の裏町に迷い込んだような錯覚にとらわれるほどです。
例によって「世界三大○○」シリーズを考えてみると、中華料理は誰が数え上げても、必ず世界三大料理の筆頭に上がってくるようです。あとの2つは何かと言うと、フランス料理とトルコ料理が定説のようですが、イタリア料理やスペイン料理やロシア料理はどうなんでしょうか?スイスのフォンジュだって捨て難いし、寿司や天婦羅など我が日本料理とか、韓国焼き肉やキムチだって健闘していると思いますが…。
しかし肉中心、魚中心、野菜中心のいずれかに片寄りがちな他国料理のメニューに比べて、中華料理は年齢や嗜好や体調や健康状態の異なる大勢の人たちが集まっても、その最大公約数に最も合わせやすい料理で、医学的に見ても世界料理の最高峰と称して構わないと思います。
そう言えば以前こんなジョークがありましたっけ。男性にとって最高の幸福はアメリカの家に住んで、中華料理を食べて、日本女性を娶ることだ、とか…。日本人女性の皆さん、いかがでしょうか?
ところで横浜中華街の入口に立たれた方ならお判りと思いますし、お手元のシティマップやYAHOO
JAPANなどのマップを御覧になれば一目瞭然のことですが、中華街の街路は周囲の街並みから明らかに歪んでいます。つまりJRの線路から海側の街路は、山下公園の波打ち際の線に平行または垂直の碁盤の目になっていますが、中華街の街路はこれとは異なった角度で碁盤の目になっているため、ちょうど中華街の一角だけが無理やり横浜の街に嵌め込んだようになっているのです。
「エエーッ、そんなこと気が付かなかった!」
とある人に言われましたが、よほど中華料理に食い意地が張っている人なのでしょうか。でも私はその人の態度が正解だと思います。
日本人が作った街(日本の国土内だから当然)は海岸線を座標軸として、それに平行または垂直に街路が出来ています。現在の街並みは山下公園の波打ち際が基準になっていますが、山下公園は関東大震災で生じた大量の瓦礫を埋め立てた場所ですから、震災後の復興も海岸線が基準になっていたことが判ります。
しかし中華街の街路はほぼ東西南北を基準にして碁盤の目になっているので、周囲の街並みと微妙に食い違うことになりました。地形や状況に素早く適応して、与えられた条件下で最も便利な街路を築き上げた日本人と、あくまで原則的な東西南北を重視した街路にこだわった中国人の違いがよく表われていますね。
この両国の国民性こそが、19世紀の西欧列強のアジア侵略という条件下で、日本が近代化に成功し、中国が失敗した最大の原因だと思います。また20世紀後半、日本は敗戦国であったにもかかわらずめざましい経済発展を遂げ、戦勝国であったはずの中国が長いこと混迷を続けている原因もここにありましょう。共産党一党独裁体制という原則を変えれば、すぐにでもアメリカに匹敵する経済基盤を獲得できる国土と国民を有しているのに…。
まあ、最近の日中間のトゲになっている靖国問題も、実は同じような背景があるとは思いますが、それはまた別のコーナーに譲るとして、日本の国土である横浜に、自分たちの原則を押し通した街並みを作ったのはけしからん、と怒る日本人はいません。確かにあのような街並みの歪みがあるために、特に中華街東門のあたりでは朝夕の交通渋滞がひどく、歩行者が危険を感じることもたまにありますが、日中の対立も大きな目で見れば所詮あんな物かな、と思います。
街並みの区画が違う、というのは、上に戴いている政府が違うのと同じようなもので、中華街の中に限らず、日本人も中国人も共存しているわけです。互いの無能な政府に煽動された一部の両国民こそ、いい面の皮というところですか。
第二次大戦中の日本海軍の戦闘機乗りだった坂井三郎さんが中国戦線の上空を飛んだ時、日本軍と国民党軍が対峙してドンパチやっている場所から何キロも離れていない農村では、中国農民がのどかに農作業を営んでいたと書いておられました。現在の日中民衆にもそのくらいの図太さが必要かも知れません。
だから中華料理を食べに行って、街並みの歪みに気付かないくらいの人の方が“正解”ではないでしょうか。
これが中華街東門です。中華街のメイン・ストリートは、このきらびやかな門をくぐって突き当たりをやや左斜め前方に伸びています。