列車の旅
今回は写真無しである。
学生時代、まだ飛行機の旅はかなり割高であったし、飛行機事故は怖いというイメージがあったので、国内旅行は北海道であろうと、九州であろうと、すべて国鉄(まだJRではなかった)の列車や連絡船を利用した。(ちなみに私が初めて空を飛んだのは1977年にオーストラリアを訪れた時である。)あまり金の無かった当時の学生が国内旅行をする場合、国鉄の周遊券を利用するのが断然オトクであった。北海道でも東北でも九州でも四国でも、起点(私たちならば東京である)から目的地までの往復の他に、周遊券の地域内の鉄道と国鉄バスは乗り放題だったからである。
ただしこの周遊券を徹底的に安く使いこなすには一つの条件があった。それは起点と目的地の往復に、急行列車の自由席を利用すれば追加料金は要らなかったことである。新幹線はもちろん、在来線の特急列車を利用したり、急行列車でも指定席を利用したりすれば相応の料金が余計に必要であった。さすがに国鉄も商売上手であったが、金の無かった学生たちはこの国鉄商法をかいくぐって急行列車の自由席で割安に旅行したものである。
とは言っても北海道や九州に旅行するとなると、在来線急行列車の旅というのはかなり限定されてくる。例えば北海道へ行くとすると、上野駅を夜行急行列車「八甲田」号で発って、朝の青森駅から青函連絡船で函館へ渡る。これが最も一般的な「北海道周遊旅行券」の利用法であった。
さらに苛酷だったは南九州への旅である。私が初めて鹿児島県を訪れたのは、やはり国鉄の「南九州周遊旅行券」によってであったが、この時に東京−鹿児島の往復に利用したのが急行「桜島・高千穂」号である。当時おそらく一番長い距離を走る急行列車ではなかったろうか。北海道行きの急行「八甲田」号なら、青森で連絡船に乗り換えて気分転換にもなったが、急行「桜島・高千穂」号の場合、丸一日以上も車内に缶詰め状態である。いくら費用が安いとは言っても、まさに難行・苦行であった。今回は写真の紹介が無い代わりに、当時の時刻表の写しをもとに、急行「桜島」号の旅を再現してみたい。
東京駅入線12番線 9:39
東京発 10:00
横浜発 10:29
小田原着 11:15
発 11:16
熱海着 11:36
発 11:37
沼津発 11:56
富士発 12:12
静岡着 12:46
発 12:48
浜松着 13:48
発 13:51
豊橋着 14:19
発 14:20
名古屋着 15:14
発 15:19
尾張一宮発15:36
岐阜発 15:49
大津発 17:17
京都着 17:28
発 17:29
大阪着 18:04
発 18:12
三ノ宮発 18:38
神戸発 18:42
姫路着 19:43
発 19:45
岡山着 21:00
発 21:05
倉敷発 21:27
金光発 21:40
福山発 22:04
尾道発 22:21
糸崎発 22:33
広島着 23:59
発 0:17
岩国着 0:54
発 0:55
柳井着 1:24
発 1:25
下松発 1:49
徳山着 1:58
発 2:00
防府発 2:26
小郡着 2:42
発 2:53
宇部発 3:20
小野田発 3:26
厚狭着 3:34
発 3:42
下関着 4:18
発 4:24
門司着 4:32(ここで桜島号は高千穂号と分離する)
発 4:40
小倉着 4:46
発 4:47
折尾着 5:04
発 5:10
博多着 5:49
発 5:57
鳥栖着 6:21
発 6:28
久留米着 6:36
発 6:38
大牟田着 7:08
発 7:17
玉名発 7:36
熊本着 8:05
発 8:08
八代発 8:37
肥後田浦発 9:04
水俣発 9:31
袋発 9:46
出水着 9:58
発 10:00(ここで丸一日経過)
阿久根発 10:21
川内着 10:51
発 10:52
串木野発 11:05
湯之元発 11:14
伊集院発 11:25
西鹿児島着11:43
以上のように急行「桜島」号は25時間43分かけて鹿児島本線経由で東京と西鹿児島を結んでいた。門司で別れた急行「高千穂」号の方は日豊線経由でさらに3時間近くも走って、14時20分に西鹿児島に到着するのである。私の初めての九州旅行は、往路は「桜島」号で西鹿児島に入り、帰路は宮崎から「高千穂」号を利用した。宮崎からでも25時間もかかり、さすがに若かった私でも帰京の翌日は一日中寝ていた。