厳島神社
厳島神社の歴史は非常に古く、推古天皇の時代にまで遡ると言われていますが、中世には平家の氏神で、特に平清盛の厚い庇護を受けたことは有名です。平家物語にも後白河上皇が清盛の顔色を窺って厳島へ御幸をして、人々から八幡・賀茂・春日ではなく何で厳島なんだと不審を招いたことが書かれていますが、鳥居の背後の壮大な社殿は当時の平家の栄華を今に伝えています。寝殿造りの社殿は1168年に平清盛によって建てられたもので、その後、毛利元就や豊臣秀吉によって増改築が行なわれたと書いてありました。海上に浮かぶ大鳥居の写真は各種の観光パンフレットなどで見ることができるので、ここには干潮時の写真を載せておきましょう↑。(って、たまたま訪れた時には潮が引いていただけの話ですが…。)向かって左の柱の根元にカミさんが立っていますが、鳥居の大きさとともに、海面の干満の落差がよく判ります。
しばらく島を見て回っているうちに日没となり、潮が満ちてきました。夕陽をバックにした大鳥居は平家没落の物語を思わせる何とも物悲しい佇まいでした↓。
ところで私は小学生の頃に少年少女文庫で平家物語を読んで、平家都落ちの話や、鵯越や屋島の合戦の話や、扇の的の話や、壇ノ浦での平家滅亡の話などに、ワクワクと胸を躍らせたものでした。子供の頃から古典文学に興味を抱いたと言えば格好が良いのですが、その後が恥ずかしかった。てっきり源氏物語が平家物語と対をなす戦記物語だと思い込んでしまったのですね。それでやはり少年少女文庫の源氏物語を図書館で借りてきて読み始めたのですが、主人公の源氏の”若武者”は最初から女の家で月なんか眺めている。ああ、これは平家との合戦に出陣する前に愛する女性に別れを告げにきたところだな、と勝手に解釈して読み進んでいくと、けしからんことにこの”若武者”は別の女とも別れを惜しんでいる。さっさと平家との合戦に出陣しろ、大将の義経はお前を待っているぞ、と多少イライラしていたのですが、そのうち若い女が生霊に呪い殺されるわ、ちょっと面白い顔の女も出てくるわ、須磨に行くと言うから今度こそ船戦かと期待していると、そこでもまた別の女とイチャイチャするわで、何が何だか判らないうちに物語は終わってしまい、とっても時間を損したと思いました。
考えてみれば、源氏物語を少年少女向けに書き直そうとした出版社の意図がそもそも間違いなのであって、源氏物語などに感動するような少年は末恐ろしい。どんな女たらしになるか判ったものじゃない!源氏物語が平家物語など及びもつかぬ深遠な男と女の戦の物語であったことを私が知ったのは、ずっと後のことでした。