富士山(Mt.Fuji)

 「馬鹿にするな。こんなのその辺にある神社じゃないか!」
と思われた方も多いのではないでしょうか。そうです、その辺にある神社なのです。でもこれは私の自宅に近い西武池袋線の江古田駅北口にある浅間神社で、一見何の変哲もないように見えますが、拝殿の背後にこんもりと木が生い茂っている部分をご覧下さい。これは天保10年(1839年)頃に作られた富士塚で、現在では国の重要有形民俗文化財に指定されています。つまり富士山のミニチュアですね。
 何でこんな物が作られたかと言うと、昔から霊峰富士と呼ばれるように、富士山は聖なるお山として民間信仰の対象でした。一生に一度は富士山に登ってお参りしたいというのは、一般庶民の願いだったでしょう。しかし、
 富士山に行きたしと思えども
 富士山はあまりに遠し
というわけです。江戸からでも当時は鉄道があるわけじゃなし、高速道路があるわけじゃなし、おまけに恐い役人や雲助のいる箱根の関所を越えて行かなくちゃならない。そもそも昔は一般庶民にとって旅行などは簡単に行ける代物ではなかったはずです。ほとんどの人は、自分が生れた町や村から一歩も外へ出ることなく一生を終えたことでしょう。(私もしばらく前に佐渡へ行った時、島内のお年寄りの中には新潟市へさえ行ったことのない方々がいらっしゃいますよ、と聞かされて驚いたことがありました。)
 富士山の話に戻りますが、富士山に行けない一般庶民でも、霊峰富士の御利益にありつけるように、こういうミニチュアの富士山を作ったんでしょうね。ここに登れば、本物の富士山に登ったのと同じ霊験があると信じて、町内一同ミニ富士登山をやった後でチョット一杯…なんてこともあったかも知れません。江戸の町からは本物の富士山がよく見えましたから、本物を眺めながらミニチュアに登る、これは当時、ちょっとしたレジャーだったことでしょう。私が子供の頃の昭和30年代も、東京の町からは富士山がよく見えました。しかし住宅が建て込んできて、ビルが建ち、マンションが建ち、車の排気ガスで空気が汚れてくるにつれて、富士山はあまり見えなくなってしまいました。
 私の住んでいる練馬区やお隣の豊島区は修験者たちが通った富士山への道沿いだったため、富士山信仰が盛んで、こういうミニ富士山が他にも幾つかあります。練馬区に5つ、豊島区に2つ残っていると言われていますが、それらのうちの2つを写真で紹介しましょう。

 これは豊島区池袋本町の氷川神社の富士塚です
。富士山の溶岩を運んで明治45年(1912年)に作られたと言いますから、富士山信仰は20世紀になってからもまだ残っていたのですね。(東武東上線「下板橋」駅下車徒歩10分)


 こちらは豊島区高松にある長崎富士浅間神社の富士塚で、文久2年(1862年)に築かれたそうです。やはり富士山の溶岩を運んで作られています。(池袋駅西口から国際興業バス「熊野町循環(池02)」「要町循環(池03)」「中丸町循環(池04)」約10分「富士神社入口」下車。ちょっと判りにくいので、ご近所の人に道を訊いた方がいいです)
                帰らなくっちゃ