スキー
ウインター・スポーツと言えばスキーとスケートが第一に挙げられるが、多くの日本人もスキーを手軽に楽しめるようになってきたのは私の学生時代の頃からである(昭和40年代〜50年代)。私も学生の頃は、友人たちに誘い誘われてよくスキーに出かけた。私がスキーを覚えたのは妙高山のふもと、燕、赤倉高原が最初だった。その後は志賀高原、池の平、蔵王、福島県の高湯温泉など、主として上信越から東北方面のゲレンデを滑ったが、残念ながら海外はもちろん、北海道のゲレンデも行けなかった。北海道は一度は行きたかったのだが…。
卒業して小児科医となると、さすがに学生時代のように何回も出かけるわけには行かなかったが、それでも医師数の多い病院に勤務していた時は1シーズンに1回くらいは滑れたものである。しかし貧困な医療政策の下で少人数で未熟児医療や小児救急を遂行しなければならない病院に勤めるようになってからは、ついにスキーへ行く機会は絶えた。未熟児・新生児医療とか救急医療とか、極限の勤務が続く現場で患者さんの生死(特に死)に直接かかわる医師や看護師は、リクリエーションの息抜きが無いまま激務を続けると「燃え尽き症候群」に陥ると指摘されていたが、多くの小児科医は今でもスキーや旅行にさえ行けないほどの勤務状況にあることを知っておいて欲しい。
何だか話が医療問題に発展してしまったが、そんなわけで小児科から病理に移ってからも、しばらくはスキーに行かない状態が10年ほども続いただろうか。上の写真は病理に移って東大病院で助手をしていた時に、久しぶりに職場でスキーに行く話が持ち上がった時のものである。10年ほども滑っていなかったので、もう滑れないだろうと思って、雪見酒でも出来ればよいと参加した(というより私が企画した)スキー合宿だったが、写真を見ると何とか転ばずにスキーを横滑りさせて回転しているではないか。(あまりカッコ良くはないが…)スキーとか水泳とか体で覚えたものは、けっこう長いこと忘れずにいるらしい。
10年ぶりで始めたスキーで驚いたのは、ゲレンデまで手ぶらで行けたこと。この時は現地で用具一式を借りたが、新品同様の板と靴が揃っていたのに先ずビックリした。10年前の貸しスキーと言えば、傷だらけでみすぼらしいものが大部分だったが…。
この時ちょっとうまく滑れて味をしめたためか、再びマイ・スキー板とマイ・スキー靴を新調して、またしばらく1シーズンに1回くらいはゲレンデに通うようになったのだが、ここでさらに驚いたのは、これでもまだ手ぶらでスキーに行けたこと。そう、宅急便のサービスが自宅とゲレンデを結んでくれて、あのかさばるスキーの板や靴を宿まで運んでくれるようになっていたからである。
昔は長いスキー板と靴を担いで夜行列車で雪国を往復したものであった。私が初めてスキーを習った頃は、先ず列車やバスなどの交通機関に乗ったり、駅や往来を歩く時のスキーの持ち方から厳しく教え込まれたものだった。スキーの軸を垂直に立てて、決して振り回さないように体に密着させて持つこと。私たちはそういう訓練を通じて、スキーに限らず何事にもマナーとエチケットがあることを徹底的に叩き込まれたのである。早い話がこれは雨の日の傘の持ち方にも当てはまるのだ。最近はすべてのことがあまりにも便利になり過ぎてしまったことが、人々のマナーとエチケット、さらにはモラルまでを低下させてしまったような気がしてならない。
最近ではまた数年ほどゲレンデには行っていない。ゲレンデにはスノボ(スノーボード)とかいう物がはびこって、危険が一杯と言われるようになったからである。スキーよりもさらに手軽に楽しめるスノボでは、最近のスキーヤー以上にマナーを守れない人が多いと聞くのは残念なことだ。