愛染院

 今年(2020年)は人類にとって災厄の年、前年の暮れに中国武漢で発生した新型コロナウィルスがあれよあれよと言う間に全世界を席巻、我が国もこのパンデミックに巻き込まれて厄介なウィルスに感染する人の数が増加し、これ以上の流行を食い止めるために政府や自治体は国民に対して不要不急の外出を控えるよう要請するに至りました。

 仕事はテレワーク、会議や飲み会もオンライン、私の所属する医学関連の学会(学術集会)もウェブ上で開催されることになりました。私もこれまで学会のたびに北海道へ…九州へ…四国へ…山陰へ…北陸へ、時には欧州へ…豪州へと“忙しく”飛び回っていましたが、考えてみればインターネットの発達した現在、そんなことは時間と金の無駄遣い、大部分の学会会員にとって年に1回か2回の学術集会は普段できない旅行に行くための口実になっていたような気もします。

 たぶん他の業界の“地方出張”なども、おそらく半分くらいは“羽を伸ばして息抜き”という程度だったんじゃないかなと思います。今回の新型コロナウィルス騒動を経て、今まで学会や出張でしか地方に出かけられなかった人々の旅行観が変化する可能性も大きいですね。自分が本当に現地に出向かなければいけない用件は思っていたほど多くはなかった、これからは航空機や列車などの交通機関を使って遠距離移動するような旅行は“不要不急”のレジャーやレクリエーションが主要な目的になるんではないでしょうか。

 それはともかく、不要不急の外出は自粛し、県境を越えての移動も避けるよう求められては、せっかくの好天に恵まれた5月のゴールデンウィークも東京に逼塞せざるを得ません。今年は春先からお花見もなけりゃ飲み会もない、旅行好きの私にとっては旅の禁断症状が出そうな日々を過ごしていますが、幸いにして新型コロナウィルス感染症に対して徹底的な都市封鎖を行なった一部の欧米諸国と異なり、日本では日常品の買い出しや病院受診のほか、自宅周囲のジョギングやウォーキングなども許されていましたから、私も自宅のある練馬周辺を何回か散策してみたわけです。

 そうしたらわざわざ遠出しなくても自宅の近所にも名所旧跡の類はあるものですね。練馬区が編纂した区誌などを頼りに歩くうちに、幾つかの地元の新しい発見がありました。皆さんも奈良や京都や鎌倉にお住まいでなくても、それぞれご自宅の近くに意外な由緒ある寺社が見つかるかも知れません。

 これは春日町という町にある愛染院の梵鐘です。大体自宅から3キロほど、ゆっくり歩いて40分程度の距離ですね。1437年に能円坊尊岳によって現在の場所よりもう少し私の家に近いあたりに開かれた寺で、江戸時代寛永年間にこの場所に移されたとのこと、正式には練月山 愛染院 観音寺といいますが、観音寺というくせに本尊は愛染明王で、観音菩薩がこの寺に迎えられたことはないという不思議な寺でもあるようです。この写真は牡丹の花に囲まれた山門脇の鐘楼で、そこに吊された梵鐘は1701年に造られたものです。

 ところで江戸時代から由緒ある梵鐘がある割には、いやにすっきりした新しい鐘楼のように見えますが、実は山門と梵鐘以外は寛政年間に火災で焼け落ち、本堂や伽藍や書院などの再建や、山門や鐘楼の修復が完了して寺としての面目を一新したのは昭和55年のこと。しかしそれまでも明治時代の廃仏毀釈で廃寺になった付近の4つの寺を合併して、それなりに存続していたようですが、面白いのはこの鐘楼の礎石、何と大根の漬物石を積んだものです。

 練馬といえば大根、大根といえば練馬といわれるくらい有名ですが、江戸幕府の第5代将軍 徳川綱吉が尾張国から“宮重”という品種の大根の種子を取り寄せて、練馬の亦六という農民に栽培させたのが起源とされています。その後品種改良を重ねて地域の重要物産となり、特に沢庵漬けは名産品として最大時には年間4500トンを生産したといいます。愛染院の参道脇には巨大な練馬大根碑が建っていました。

 この碑は皇紀2600年を祝う行事の一環として昭和15年から16年にかけて建てられたもののようで、東京豊洲市場内にある東京中央漬物株式会社のサイトには次のような一文を含む文書が残されています。

茲に光栄輝く皇紀二千六百年に当たり、奉賛の赤誠を捧げて、崇高なる感激に浸ると共に、東京練馬漬物組合員一同相胥り、地を相して、各自圧石を供出して基壇に充て、其の旨を石に刻して、後毘に遺さんと欲す。

 どうもこれが愛染院鐘楼の礎石の由来を示していると思われますが、もしもっと確実な文献などに行き当たりましたら後日追記しておきます。

 ともかく漬物石が支える愛染院の鐘楼、練馬と大根の結びつきを示す面白い話だと思います。自宅から光が丘あたりを散策していると大根畑があちこち目につきます。規模はそれほど大きくないものの、普通の学校の校庭くらいの広さの畑に大根の葉っぱが畝に沿って整列している光景は食欲をそそりますね。煮て良し、おろして良し、炒めて良し、生でかじってサラダに良し、昨年秋の収穫シーズンに近所の公園で練馬農産物の即売会があって、子供の脚くらいある見事な大根を1本150円でゲット、2週間くらいメニューに事欠きませんでした。

 大根と関係する言葉で“大根役者”というのがあります。芸の拙い役者という意味で、これは大根に対して失礼な言葉だと思いますが、その語源には諸説あって、大根は何の料理にでも利用でき、しかも消化吸収が良く、めったに食あたりしない、つまり何をやっても当たらない下手な役者…というのが一番ピンときますね。他にも下手な役者は馬の役にしか使えないから馬の脚と大根足をかけた…とか、大根は白いから下手な役者じゃシラける…というのもあります。

 あとせっかく旅のコーナーですから鹿児島の話題を一つ、錦江湾に面する大隅半島の一角に大根占という地名があります。学生時代に初めて九州を訪れた際にバスで通りましたが、地名の読み方が分からず、とりあえず「だいこんうらない」と読んでいたところ(正しくは“おおねじめ”です)、実は私の父方の曾祖父に当たる人が幕末にそのあたりに住んでいて、1863年の薩英戦争では来襲したイギリス艦隊と交戦したと聞きました。今となっては確かめる術もありませんが、沖合いに停泊する英国艦に向けて大砲を発射、英国艦隊も反撃してきたので一目散に逃げたということです。


         帰らなくっちゃ