荒川夕景

 私のように東京の西側を生活拠点として育ってきた人間には、同じ東京人でもなかなかピンとこないところもあるのですが、東京は水の都・大阪にも負けないくらいの川の町なんですね。南の方の多摩川水系は別としても、東半分は江戸川、中川、綾瀬川、荒川、隅田川などかなり大きな河川が複雑に絡み合って流れており、20世紀前半くらいまでは何度も大きな洪水や水害に悩まされてきました。東京の歴史は治水の歴史と言って良いかも知れません。江戸・東京は昔から火にも弱いし水にも弱い、おまけに時々地震が起こる…、まあ我が国の首都はとんでもない場所にあるわけですね。

 さてこれは新小岩付近の荒川の水辺、東京の西側の住人で荒川の流れを正確に思い浮かべられる人は意外に少ないかも知れません。東の方を流れる大きな川だろ…くらいのもんで、北区や板橋区の北縁あたりで隅田川とも絡み合っていると聞くとちょっと驚いたりします。私自身にとっても、荒川よりは石狩川とか北上川とか淀川とか那珂川の方がイメージしやすい(笑)。

 最近東京下町での仕事もするようになり、時々夕方に荒川沿いを散策しながら帰ることも多くなりました。冬場は日没が早いので、夕方にはこんな綺麗な夕陽が眺められることもあります。

 こんな風景、何だか郷愁を誘うものがありますね。映画『三丁目の夕日』のイメージです。あの映画にもこんな夕焼け空の中に完成したばかりの東京タワーがどっしりと東京の街並みを睥睨しているシーンがあったのを覚えている方も多いでしょう。漫画でも東京タワーと夕日は定番の構図でした。

 あの時代から50年以上の時を経て、再び世界一の“テレビ塔”が建ち、2回目の東京オリンピックを迎える準備が進む大都市東京、時代の背景はちょっと似ていますね。
豊かではなかったけれど明日への夢があった
というあの映画のキャッチフレーズは少し思い入れが激し過ぎると思います。あの頃も豊かでしたよ。少し前の戦争の時代の話は大人たちから聞いていたから、昭和30年代40年代のあの時代、子供心にもありがたかったです。

 荒川河川敷には少年野球場やサッカー場があって、あの頃の私たちと同じくらいの少年たちが暗くなるまで球を追って元気よく走り回っていました。彼らの夢はレギュラーポジションか、はたまた将来のプロ選手か。夢を持つ子たちは今の時代にも少なくないんじゃないでしょうか。

 過ぎ去ったあの時代は良かった、今の暮らしを送っているこの時代は良くない、あんまりそういうステレオタイプな物の見方に染まってしまうのはいけないことだと反省しました。そんな物の考え方をするのは、2つの時代を両方とも生きてきた私たちの世代の大人たちです。だからどうしても比較してしまう。

 私がこの夕焼けを見たのは去年の11月でした。そしてこの記事を書いているのは今年の1月、ちょうど冬至を挟んでそれぞれ前後1ヶ月の時です。日照時間も日没時刻もほぼ同じくらい、でも11月の時は真夏の太陽を体が覚えているから、晩秋の季節を暗いと感じる、しかし冬至の暗さに比べて日照時間が日々長くなってくる早春の季節は明るいと感じる。時代背景の感じ方もそれと似たようなことがあるのでしょう。

 いろいろ物思いに耽りながら荒川堤防上に立ちましたが、高さ634メートルのスカイツリーが夕焼けをバックに聳え立つこの風景、間違いなくこれからは東京の代表的な夕景の1つになると思います。東京タワーが主役だった時代との連続を確かに感じることができました。過去と比べて未来を悲観してはいけない。1949年初演のあのミュージカル『南太平洋』で従軍看護師ネリーが歌う『やぶにらみの楽天家(A Cockeyed Optimist)』も思い出しました。
 
空が明るいカナリヤ色に輝くとき 私は今まで見た雲をみんな忘れてしまう
 だから私はどうしようもない楽天家だって言われるの

そんな歌詞で歌い出すミュージカルナンバーでしたね。人類はもう終わりだって言うけれど、そんなことはないよと夜鷹が保証してくれる…と続きますが、何だか今の時代に口ずさみたくなる歌ですね。