白亜の公園

 横浜方面で仕事が午前中に終わることがあって、コロナ禍で1年以上も訪れていなかった横浜港を久し振りに歩いてみました。先ずは山下公園へ行って氷川丸にご挨拶、それから赤レンガ倉庫の前を通ってみなとみらい地区へブラブラと散策、ああ、この辺は現役時代には医学関連の学会でよく来たものだと、同僚や部下や教え子たちとの思い出をたどりながらパシフィコ横浜の近くまでやってきた時、ふと神奈川県の老人ホームの健診で入居者さんの枕元にあった新聞広告を思い出しました。
トリケラトプス“レイン” 奇跡の全身化石 日本公開これっきり パシフィコ横浜で9月12日まで
そんなキャッチフレーズが断片的に頭に残っていたのです。いいなあ、行きたいなあと思っていたのですが、なかなか時間も作れないし無理か…と思っていたところ、まさに運命に導かれたように(笑)パシフィコ横浜の近くに辿り着いたわけです。

 Dino Science恐竜科学博−ララミディア大陸の恐竜物語−と銘打ったこの企画、残念ながら東京都内ではほとんど宣伝されていなかったし、少なくとも過去の同様な企画ほど知名度の盛り上がりはなかった。実際パシフィコ横浜のある地区の入口に来ても、日本病理学会や日本臨床細胞学会でさえ大きな看板が見えたのに、展示会場入口に行くまで恐竜展示の看板やポスターや幟の類はいっさい目にしなかったように思います。

 新型コロナウィルスの影響で都県境を越えた移動の自粛が要請されている中、神奈川県外から見物客が押し寄せても困るというやむを得ない事情があったと推察します。しかし私は幸運にも神奈川県内の高齢者施設でたまたま新聞広告を目にすることができた、さらに会期内に仕事で行った横浜方面の仕事が予想外に早く終わって思わぬ時間の余裕が生まれた、そういう数々の偶然のお陰でこの写真にある恐竜たちの化石と対面することができました。6600万年前にこの地上に生きた彼ら恐竜たちとの不思議な縁を感じますね。

 さてこの恐竜科学博は“恐竜くん”の愛称で知られ、恐竜に魅入られて16歳でカナダへも留学した田中真士さんが企画・監修しただけあって大変素晴らしいものでした。従来のこういう恐竜展示は映画『ジュラシック・パーク』を意識させるような展示、さらにもっと情けないのは「ほーら、大昔はこんなゴジラみたいなヤツがいたんですよ」という俗っぽい展示が多かったんですが、この横浜の恐竜科学博では、かつて地球上の陸地が一つにまとまった超大陸パンゲアが、再び幾つもの大陸に分裂していく過程で現在の北米大陸付近にあったララミディア大陸に焦点を当てています。さらにこれまでヒューストン自然科学博物館で門外不出だった恐竜トリケラトプス“レイン”の全身骨格が海外で初めて公開されたこの機会に、レインちゃん(笑)が生きていた6600万年前という時代のララミディア大陸を舞台として、彼らが実際にどんな環境でどんな生活をしていたかを探る実にアカデミックな企画でした。ただの“ゴジラもどき”の巨大な化石の陳列ではないのです。

 上の写真手前がトリケラトプスのレインちゃん、向こうの長い尻尾を振り上げているのがティラノサウルスのスタン君です。実際にこの2頭はあちらの世界で出会っていて6600万年ぶりの再会だったかも知れない、そんな空想も浮かんでくるほど学問的にリアルな展示会場でした。ララミディア大陸の歴史、地理、気候、植物相、レインやスタンと一緒に暮らしていた動物相などが紹介されているわけです。彼らが生きていたのはジュラ紀に続く白亜紀という時代の末期、間もなく隕石の衝突で彼らの一族は滅亡する運命なのですが、白亜紀は地球が温暖で植物も動物も非常に繁栄した時代、海洋ではプランクトンが大繁栄していて、海底に降り積もったその死骸が白い石灰となって地層を特徴づけているため、この時代を白亜紀と呼んでいます。

 ちなみに現代の地球温暖化は人類の工業化によって大気中の二酸化炭素濃度が上昇してきた影響が大きいと考えられています。しかしこの学説に反対する人々や、工業化にブレーキをかけなければいけない状況を快く思わない人々は、ほら見ろ、地球は人類が工場を作るより何千万年も前から温暖だったじゃないか…と理屈をこねていますが、大気中の二酸化炭素濃度は20世紀から21世紀にかけてのわずかな期間に0.035%から0.04%にまで上昇し、気象も環境も急激に変化していることは事実です。それでも白亜紀のように温暖だっていいじゃないかと言うかも知れませんが、レインちゃんやスタン君の一族はそういう温暖環境の下でしか繁栄できないように進化した種族、人類とは違います。くれぐれも恐竜のように生きようなんて思わないように。

 左がトリケラトプスのレインちゃん、右がティラノサウルスのスタン君。まさにこの2頭の争いを目の当たりにするかのような迫真の“白亜紀体験コーナー”は凄かった!後援のソニーが持てる映像・音響技術をフルに生かしたコーナーなのでしょう、ちょっとした小劇場みたいなスペースに入ってプログラムが始まると、鬱蒼とした森林が繁茂するララミディア大陸の渓谷を眼下に見下ろすような映像から突然急降下、翼竜ケツァルコアトルスが飛び交う空を真っ逆さまに落下し、草食恐竜の群れが走り回る草地を縫って視点が動いていきます。さすがは世界のソニー、この時足元の床が微妙に振動して落下や高速移動の加速度がこちらの身体に伝わってきて、一瞬よろけそうになる。最新の映画館の4D映画などと同じ技術でしょうが、私はそういう映画は恐くて2Dでしか観てないので、今回の白亜紀体験コーナーはびっくりしたあ(笑)。

 まもなく草食動物の群れに蹴飛ばされそうになりながら草地を横切って切り立った断崖の縁に到達します。おいおい、まさかここから飛び降りるんじゃないよね…とビビッていると、やっぱり飛び降りて(驚)深い森の中でやっと止まる。するとトリケラトプスの子供がチョコチョコと走り出てきますが、それを狙うティラノサウルスが追いかけてきます。ここで流血の無残な殺戮になるのかと固唾を呑んでいると、反対側からトリケラトプスの親が出てきてティラノサウルスを威嚇、この2頭は凄まじい咆哮を繰り返しながらしばらく睨み合うが、やがてティラノサウルスは気迫に押されて退散、子トリケラトプスは親トリケラトプスに連れられて仲間の群れに合流、めでたし、めでたしでしたが、果たして6600万年前のレインちゃんの子供とスタン君の出会いは、レインちゃんのハッピーエンド、スタン君のバッドエンドに終わったかどうか…。

 ところでトリケラトプスもティラノサウルスも映画『ジュラシック・パーク』シリーズでお馴染みの恐竜たちですが、あの映画のタイトルは『ジュラ紀の公園(Jurassic Park)』という意味ですね。しかしトリケラトプスもティラノサウルスも実は白亜紀(Cretaceous Period)末期に出現した恐竜、だから本当はあの映画のタイトルは『クレテイシャス・パーク(Cretaceous Park)』となるべきなのですが、それよりはやっぱり『ジュラシック・パーク』の方が語呂が良い。そういう理由であの映画のタイトルは学問的根拠を無視して『Jurassic Park』になったんだそうですが、日本で公開した時は『白亜公園』でも良かったんじゃないか…ってちょっと思ったりして(笑)。

 生物が進化して可視サイズの生物が繁栄しはじめた古生代は約6億3500万年前から2億5200万年前まで、その後両生類から爬虫類への交代が起こった最大級の大絶滅を経て中生代が始まりますが、それも2億5200万年前から2億100万年前までの三畳紀にはまだそれほど大型の恐竜は多くない。次の2億100万年前から1億4500万年前まで続いたのがジュラ紀で、剣竜ともいうステゴサウルスなどそこそこ有名な恐竜は登場しますが、まだまだジュラシック・パークの世界には程遠い。次の1億4500万年前から6600万年前までの時代が白亜紀で、恐竜一族が爆発的に繁栄します。

 レインもスタンもその恐竜一族が最盛期を迎える白亜紀末期に出現したエリート恐竜だったわけです。まあ、“恐竜文明”が最も高みに達した時代を生きた2頭だったと考えると、何やらホモサピエンス一族の運命を予感させるような化石にも見えてきませんか。温暖な気候に支えられ植物も草食動物も豊かに繁殖する時代にあって、特に食物連鎖の頂点に位置する捕食者たちは、三畳紀〜ジュラ紀〜白亜紀と体を巨大化させて地上に君臨するに至った。しかし隕石の衝突によって巻き上げられた塵のため寒冷化した気候に対応することができず、小型で夜行性の哺乳類との競争に負けて滅んでいった。恐竜の一部は鳥になって生き延びたようですが、さあ、人類はこの温暖化する気候に耐えられなくなったら、何になって生き延びましょうかね。

 さて私も取りとめもなくいろんな事を考えながら展示を見せて頂いてましたが、かつて学生さんに解剖学など教えていた身としては新たな“発見”がありました。このティラノサウルスのスタン君の全身骨格ですが、画面右側に頭部、左側に胸郭が見えます。両者をつなぐ首の骨、解剖学的には頸椎といいますが、哺乳類ではヒトもキリンも7個の骨が椎間板を介して積み重なっています。

 ティラノサウルスの頸椎は何個かなと数えていると、人間の解剖学しか知らない浅学の医者には見慣れない不思議な骨が…!写真の赤い矢印で示した細い針のような何本もの骨、まるで魚の小骨のような形をしてますが、これは肋骨ではないのか?

 ヒトの肋骨は胸の12個の胸椎から12対出て身体の前面まで伸び、胸骨と癒合して胸郭全体をカゴのように包んで、大事な肺や心臓を守っています。背骨は7個の頸椎、12個の胸椎、5個の腰椎と積み重なり、5個が癒合して骨盤後面を形成する仙椎へと続きますが、それぞれ形状の上から明確な違いがある。上から順に肋骨が付いていないのが頸椎(首の骨)、肋骨が付いているのが胸椎、再び肋骨が付いていないのが腰椎(腰の骨)というわけです。

 学生さんにはそうやって頸椎と胸椎の区別を教えましたが、教え子にティラノサウルスがいなくて良かった(笑)。
「先生、僕、頸椎にも肋骨が付いてますよ」
なんて質問されたら、教師の面目丸つぶれじゃないですか。本を調べたら、頸椎の肋骨(頸肋骨)が椎骨(背骨)と癒合して一体化するのは進化上は哺乳類以降とのことでした。

 まだまだ知らないことがいっぱいあるなあと慨嘆した次第ですが、頸椎にまで肋骨があると、ティラノサウルスの首の動きはヒトに比べてずいぶん制限が大きかったんじゃないかと思います。あとスタン君の立派な尻尾を見て、なぜ人間は尻尾を無くしてしまったんだろう、サルにはあるのに…と幼少期のかなり素朴な疑問まで思い出してしまった恐竜科学博でした。

ちなみに会場内は白亜紀体験コーナーを除いて写真撮影OKでした。

         帰らなくちゃ