博多港

 博多港です
。博多湾は昔から日本とアジアを結びつける唯一の港であったと言えます。中国大陸や朝鮮半島から海を越えて日本列島を目指すには、対馬、壱岐と陸岸目視で博多湾へ向かうのが最も安全で確実な航路だったからです。鎌倉時代の元寇の際に蒙古・高麗連合軍の日本遠征軍が上陸の目標としたのも博多湾でした。
 現在でも博多港には、博多-釜山(韓国)を結ぶカメリアラインのフェリーが着く立派な桟橋があります。停泊しているのはカメリアラインの新造船「ニューかめりあ」で、釜山まで約7時間かけて毎週6往復しているそうです。

 ところで「ニューかめりあ」の右側に立っているオレンジ色のモニュメントは「那の津往還」という彫刻で、博多港引揚記念碑の一部をなしており、次のような碑文が記載されているそうです。

戦争直後の失意とその後に湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメントとして製作しました。
船の上の本体の朱は、古代から愛されてきた色であり、那の津と呼ばれて来た博多港の希望を表現したものです。


 記載されているそうです、と書いたのは、実は自分の目で確認したわけではないからで、この記念碑の付近は、2005年3月20日に起きた福岡県西方沖地震の被害で、御覧のとおり地盤が崩れていて立入禁止になっていたからです。



 またこの近くには、もう一つの博多港引揚記念碑もあり、こちらにも以下のような碑文が彫られているそうです。

博多港は、今日、海に開かれたアジアの交流拠点都市福岡市の玄関口として、また、世界の主要港と結ばれた国際港として大きく発展しつつある。
思えば、この博多港は昭和20年の終戦直後、引揚援護港として指定を受け、約1年5か月にわたり中国東北地区や朝鮮半島などから一般邦人・旧軍人など139万人の人々がこの港に引き揚げ、また、当時在日の朝鮮人や中国人など50万人の人々がここから故国へ帰っていったのである。
戦後50周年の節目の年にあたり、私たちは、かつて博多港が国内最大の引揚港として果たした役割を忘れることなく、アジア・太平洋の多くの人々に多大な苦痛を与えた戦争という歴史の教訓に学び、このような悲惨な体験を二度と繰り返さないよう次の世代の人々に語り継ぎ、永久の平和を願って、この記念碑を建設するものである。


 実際、終戦直後の博多港の歴史はこの碑文そのものであり、私の父もまた昭和21年3月20日、上海からこの港に引き揚げてきたのでありました。父は旧日本陸軍第27師団の軍医として中国大陸に従軍、敗戦後、復員船(旧海軍の海防艦)が迎えにきてくれて、約2年8ヶ月ぶりに日本の地を踏んだそうです。
 まさに「アジアの多くの人々に苦痛を与えた軍隊」の一員だったわけですが、最近、再び日中、日韓関係が歴史教科書問題や、首相の靖国参拝問題を巡って紛糾している現状に鑑みて、私の父と靖国神社にまつわる話を書いておきましょう。

 南京大虐殺や731部隊の人体実験など、中国戦線における日本軍が悪鬼のごとく語り伝えられていることもあり、中国大陸からの多くの引揚軍人たち同様、父もまた最近まで自分の戦争体験を他人に語ることはほとんどありませんでした。
 しかし、だからと言って父は決して反軍的だったわけではなく、私が小学生だった頃は、戦艦三笠が修復されたと聞けば横須賀軍港に連れて行ってくれ、防衛博覧会があると知れば自衛隊の戦車を見に連れて行ってくれましたし、また家では軍歌のレコードが流れていましたし、ラジオで戦記物の朗読も毎日聞かされていました。だから私は戦記や兵器など軍事関連の事どもに関しては、何の抵抗もなく受け入れられるような人間に育っていったようです。
 だが今になって思うと、父が唯一連れて行ってくれなかった場所が靖国神社でした。大日本帝国のため、大東亜共栄圏の諸国民のため、靖国神社に祭られることを誇りに思えと教えられて、自分の青春を戦陣に賭けたのでしょうが、自分の息子たちを靖国神社に捧げる気持ちにならなかったことだけは明白です。
 日本軍優勢のうちに進んだと言われる中国戦線ですら、多くの将兵が医薬品の補給もない作戦の中で無為に死んでいくのを見守ってきた父は、靖国に引っ張られた(戦病死した)者たちはとんだ貧乏クジだったと言っております。

 現在の多くの一般日本国民にとって、靖国神社などというものはその程度の存在なのであって、別に首相が参拝しようが、閣僚が参拝しようが、お好きなようにしたら…という認識しかなかったと思います。首相や閣僚といえども、所詮は選挙で選ばれた一国民に過ぎないのであって、そいつらに日本の総てを代表しているような顔をされては困るというのが民主主義の原理であり、日本では終戦後に初めてアメリカから教わった考え方なのです。

 ところが中国のような共産党の一党独裁の国家にすれば、主席とか首相とかいう人の言動は、すなわち国家そのものの意思と見なすことになりますから、日本の首相や閣僚の靖国参拝もまた日本の国家意思であると勘違いしてしまうのでしょう。自国の政治体制を基盤として他国を批判しているというのが、首相靖国参拝問題に対する最近の中国の態度のように思います。
 もっとも中国共産党の上層部は、「靖国参拝」「歴史教科書」という単語を持ち出せば日本政府を牽制できて、東シナ海の海底資源採掘も思いのままに行くという深謀遠慮があると思いますが、一般の中国人民にしてみれば、日中の政治体制の比較など出来るような情報を与えられていませんから、日本の首相が靖国神社を参拝したというニュースが流れれば、対日感情はいっそう悪化する一方です。

 要は中国自身の民主化が最大の懸案なのですが、天安門事件を批判した香港の記者が当局に拘束されたという報道が2005年の5月にもありましたから、これはまだまだ先のことになるでしょう。日本は首相の靖国参拝問題にしても(郵政民営化問題にしても)、マスコミなどの言論はもちろん、連立与党の公明党ばかりか、お膝元の自民党からすらも批判が出来る自由な民主主義国家ですから、中国よりも優れた統治体制を持っていることを誇りに思い、決して無用な挑発に乗らないように心掛けなければなりません。最近の中国国内の反日運動や中国指導者の無礼な言動に対して、日本国内にも危険なナショナリズムの復活の兆しが見えることが心配です。

             帰らなくっちゃ