日吉巡り

 東海道・山陽新幹線の下り列車が品川駅を出て多摩川を渡ってから約2キロ、上り列車が新横浜駅を出て鶴見川を渡ってから約1キロあたりに、ぼんやりしていると気付かないくらいの長さ数百メートルの短いトンネルがあります。せいぜい1分にも満たない車窓ドラマですし、東京発着間際のあわただしい車内時間のことなので気付かなくても当然ですが、慶應義塾大学ゆかりの方々だけはここを通る時に襟を正さなければいけません。このトンネルは慶應義塾大学の日吉キャンパスの真下を貫いているわけですから…。

 この写真は東京へ向かう新幹線が行程最後の日吉のトンネルに突入した瞬間、場所は日吉キャンパスが奥の方で一般の路地と何となく交わるあたりですが、この辺は新幹線撮影ポイントの隠れた穴場と言われています。確かに時速200キロに迫る勢いでトンネルを抜ける新幹線を至近距離で狙えますから、かなり迫力のある写真も期待できますけれど、ここから故意や偶然で障害物が軌道内に落下しないように目の細かいフェンスが張られていて、どうしてもレンズに金網の金属がかかってしまうのが玉にキズ…。

 1964年の東京オリンピックに合わせて開業した東海道新幹線、世界初の営業運転速度200キロを実現するために、なるべく軌道を直線に近づけたかった、しかし当時からすでに人口密度も高かった大田区から川崎市で多摩川の都県境を越える付近では、新幹線も3ヶ所ほど大きく迂回するポイントがあり、計画者の苦労が窺えるようですが、だからこそ新横浜に向かう直線部分に立ちはだかる慶應大学日吉キャンパスの高台だけはどうしても迂回させたくなかった、そんな新幹線建設時代の執念を感じさせる場所でもあります。

国鉄は人の上に列車を通さず
人の下に列車を走らすと言えり

 かの福沢諭吉先生も、昭和の御世になってご自分の創立された大学の真下にトンネルを掘られるとは思ってもみなかったでしょう。ただし日吉キャンパスの広大な敷地は、1929年に東京横浜電鉄(現在の東急電鉄)から無償提供を受け、1934年に一期工事が完了して予科が三田から移転してきたもの、福沢諭吉先生が現世で知る由はありません。

 ちなみに東急電鉄の日吉駅正面にドーンと構えるのが慶應義塾大学日吉キャンパスの正門ですが、私も学生時代、大学医学部対抗戦で親しくなった慶大医学部の友人と、その正門横のグラウンドで陸上競技の練習をした思い出もあって、仕事でこちらへ来ることがあると懐かしいです。もちろん昭和40年代後半に比べると、日吉キャンパスのグラウンドも見違えるくらい立派に整備されていて隔世の感がありますが…。

 さて日吉の新幹線トンネルの西側(新横浜側)から急な石段を降りていくと、小さな古い稲荷神社の祠があります。この写真の奥が慶應義塾大学日吉キャンパスということになりますが、大学のキャンパスというよりは、ちょっとした登山道のような感じです。

 それもそのはず、そのあたり一帯は通称“マムシ谷(蝮谷)”と呼ばれる、雑木林や笹の茂みに覆われた急峻な崖で囲まれたエリアなのです。かつて東急電鉄が無償で土地を提供したのも、おそらく駅舎周辺施設とか住宅地など不動産としての利用価値が低く、むしろ慶應大学さんに学校を建てて貰って、学生さんに電車通学して貰う方が利益が大きいという読みがあったのではないでしょうか。

 しかしこのマムシ谷に通じる急な石段の道、そんなに人通りが多いとは言えないまでも、付近に下宿している学生さんらしき若者や、この裏手の住宅地から表の東急日吉駅の商業施設を利用する住民の方々がポツポツと通行していらっしゃいました。

 神奈川県というと、全国の地方の人々ばかりでなく、東京など他の首都圏の住人にとっても、港町横浜や川崎工業地帯や横須賀軍港などのイメージが強く、横浜市や川崎市といっても少し内陸に入った地域は新たに山林を開発した土地の方が多いことをご存知でない方もいらっしゃるのですね。私も最近は健診の仕事でそういう場所に建てられた施設に伺う機会が増えましたが、まるでジェットコースターのような坂道のアップダウンを健診車で通るたびに神奈川県の地形の複雑さを感じています。また最近では台風や豪雨による大雨でこれらの地域に大規模な土砂災害が起こっているのも報道で見聞きします。日吉のマムシ谷も例外ではなく、土砂災害の危険区域に指定されているようですから、慶應の学生さんや付近の住民の方々はぜひ気をつけて下さい。

 ところで日吉キャンパスのテニスコートの間に、この左側写真のような不思議な建造物がポツリと建っています。何だかお分かりですか?古代のストーンサークル…?石製の東屋(あずまや)…?違います。

 これは旧帝国海軍司令部の地下壕入口、日本の敗色が濃くなった1944年3月から掘削が始まった総延長5キロに及ぶ地下壕で、一見草木が鬱蒼と茂るこのマムシ谷一帯の地下には迷路のようなトンネルが現在も残されているそうです。新幹線日吉トンネルの10倍の長さですね。入口は巨大な石で蓋をした格好になっていて、垂直に落下する重砲の弾丸や爆弾から壕の内部を守るように作られています。

 掘削開始から半年後の9月には連合艦隊司令長官豊田副武大将以下500名が、それまで旗艦だった軽巡洋艦大淀から日吉の地下壕へ移動してきたとのこと、連合艦隊司令部が陸に上がったのは建軍以来これが史上初めてです。太平洋の前線では玉砕が相次ぎ乾坤一擲のマリアナ沖海戦も大敗するなど、日本の命運が尽きて国力も疲弊していた最中、よくまあ、お偉方たちが逃げ込む地下壕の建設だけは順調に進んだものと驚きもし、呆れもします。

 GO TO キャンペーンなどという無謀な作戦を決行し、医療体制にはまだ余裕があるなどと“大本営発表”で国民を欺いている現政権は、いよいよ日本全国どこへ行っても新型コロナウィルス感染で危なくなったら、安倍晋三首相以下閣僚全員ここへ逃げ込んだら良いですね(笑)。1944年10月の神風特別攻撃隊第一陣が出撃したフィリピン攻防戦も、1945年4月に戦艦大和が沖縄へ最後の特攻出撃をした時も、連合艦隊司令長官はこの安全な日吉地下壕から指揮をとっていたのです。GO TO キャンペーンも引っ込みがつかなくなり、日本各地で新型コロナウィルスが再び猛威をふるい始めて、今度こそ感染爆発の危機も現実味を帯びてきた中、総大将の安倍晋三は私邸に引きこもることが多くなり、華々しい記者会見を開くことも少なくなった、日本の指導者の資質が変わっていないことを改めて痛感する場所でもあります。


         帰らなくっちゃ