遠足の記憶 名栗川

 定年退職後は介護施設を中心とした福祉関係者の健康診断で、主に東京、神奈川、埼玉など首都圏近郊を巡回していますが、長年東京に住みながらこんな近場にこんな場所があったのかと驚くことが多く、まあ、仕事のかたわら小旅行気分を満喫していると言ってもよいでしょう。先日は偶然なつかしい場所を再訪することにもなりました。

 西武池袋線の奥にある飯能駅で待ち合わせて、健診車で目的の目的の施設に向かう途中、窓から河原に架かっている赤い鉄橋が見えました。何だか好奇心をくすぐられていたら、しばらく行くと今度は『天覧山』の方向を示す道路標識が…。

 それでピンときたのが小学校2年生の春の遠足の記憶です。小学校の遠足は各学年春秋2回ずつ、1年生の最初の遠足だった新宿御苑を皮切りに、1回くらい雨で流れたり、林間学校や臨海学校や修学旅行のある年は1回だったりしたかも知れませんが、他にも淀橋浄水場(今の新宿西口高層ビル街)とか羽村貯水池とか井の頭公園とか羽田空港とかユネスコ村とか高尾山とか鎌倉とか、10回くらいはいろいろ連れて行って貰ったものです。

 それぞれ何年生の春だったか秋だったかは定かでないのですが、小学校2年生の春の遠足の行き先が「天覧山と名栗川」だったことは確かです。就学後最初の1年が終わって、クラス替えがあるか担任の先生が変わるかとビクビクしていたところ、そのまま持ち上がりとなって皆ホッとした中での遠足だったし、名栗川=なぐり川と聞けば幼い男の子同士がどんな悪戯をするか見当がつきますよね(笑)、そういう遠足だったんで今でもかすかに記憶が残っているんだと思います。

 しかし飯能市を流れるこの川は入間川です。下流の方へ行くと川越あたりで荒川に合流して東京の東側で東京湾に注ぐわけですが、小学校の遠足の行き先は確かに“名栗川”、ちょっと変だなと思いながらも仕事の帰り道、途中で車から降ろしてもらって一人で河原に下りて行きました。この河原は飯能河原というそうです。

 向こうに架かっている赤い橋は割岩橋といって1985年(昭和60年)に完成したらしいが、平坦な河原に両側から山肌が迫ってくる地形には見覚えがありました。あの時はこの河原でお弁当を食べて、クラス集合写真を撮影した、何と定年後ほぼ60年ぶりの再訪だったわけです。それで気になっていた川の名前ですが、駅までブラブラ歩いて帰る途中で“名栗”という名前を冠した店を何軒か見かけたし、『名栗川ハイツ』という共同住宅もある、ネットで調べると飯能あたりから上流では入間川を名栗川と呼ぶこともあり、さらに上流には名栗渓谷という景勝もあるそうで、疑問は氷解しました。

 たぶん当時はもっとずっと鄙びた風景だったはずですが、何だか時間が逆に戻ったような気がしました。現在は赤い鉄橋が架かり、河原の周囲にまで住宅地の開発が伸びてきていたけれど、確かに60年前の自分と同じ場所に立ったことを実感しました。学校時代の遠足だとか、林間・臨海学校だとか、修学旅行だとかいう行事には、社会見学・自然観察・集団訓練・相互親睦などの意義があったことは事実ですが、学校生活にちょっとしたメリハリをつけることで、その後の長い人生の中のランドマークみたいな思い出になっていると改めて思った次第です。


         帰らなくっちゃ