境港の妖怪通り

 鳥取県米子市から北へ突き出した弓ヶ浜半島は、西方から伸びる島根半島で頭をT字型に押さえられたような形をしており、この突端に境港市があります。1927年(昭和2年)に連合艦隊が夜間無灯火訓練中に艦艇の多重衝突事件を起こした美保関につながる美保湾を東側に、出雲神話の舞台でもある宍道湖につながる中海を西側に望む境港市は、私が訪れた時はそれほど船影も多くはありませんでしたが、日本海の荒波から守られた静かな天然の良港になっています。

 私が境港市を訪れたのは島○県○江市で学会が開かれた時のことでした。ン…?何で○根県松○市で学会やってるのに鳥取県あたりまで足を伸ばすの?という疑問はごもっともですが、最近では中海の真ん中にある島伝いに松江駅前から直行バスが走っていて、かなり手軽に境港を訪れることができるのですね。

 しかしいくら手軽に行けるからといって、学会期間中に松江から境港まで出かけるのは不謹慎…でしょうか(^_^
;)
 まあ、血税を使って「視察」と銘打った出張旅行に出かけ、地元でまた血税で接待を受ける議員さんたちや、仕事場である国会で居眠りして、意見陳述人の大学生からもお叱りを受けるような議員さんたちとは違うということで、多少は大目に見て頂くことにして、ちょっと境港の街を歩いてみましょうか(笑)。

 昭和40年代の旅行案内書には境港市の説明はせいぜい200字程度しか載っていません。それもアジ、サバ、イワシなどの水揚げが多い漁港だということだけが主なポイントでした。
 ところが最近の境港市の観光の目玉は妖怪です。目玉の妖怪と言えばゲゲゲの鬼太郎のお父さん、妖怪漫画の元祖とも言える『ゲゲゲの鬼太郎』の作者 水木しげるさんはここ境港市出身です。画家を志望しながら、戦時中は徴兵されてニューブリテン島方面で敵機の爆撃により左腕を切断する重傷を受け、復員後は生活のために職を転々としながら漫画家として作品を世に出していき、今では『ゲゲゲの鬼太郎』を代表作とする妖怪漫画家として、日本で知らぬ人は少ないでしょう。NHKの朝の連続テレビ小説にもなりました。
 境港市の目抜き通りのアーケード街は、その数奇な運命をたどった水木しげるさんの名前を冠した約800メートルの水木しげるロードとなっており、一番奥には水木しげる記念館もあります。そしてアーケード街には水木しげるさんの漫画に登場する153体もの妖怪たちの像がズラリと並んでおり、ファンにとっては妖怪の聖地みたいな場所ですね。私が訪れた時は平日だったにもかかわらず、全国各地からやって来た観光客たちとひっきりなしにすれ違いました。

 ご覧のように主人公の鬼太郎もお馴染みの下駄を履き、目玉オヤジと一緒に大正川沿いの橋のたもとにいました。また作者の水木しげるさんの像もあります。
 
なまけ者になりなさい
実に印象的な水木しげるさんの言葉が彫り込まれていました。

 「なまけ者になりなさい」
水木しげるさんは誰に何を伝えようとして、この言葉を発したのかを考えてみました。
 若い人たち、例えば私の教え子の学生さんたちなどにこんな言葉をそのまま伝えられません。
オバケにゃ学校も 試験も何にもない…
なんてこと、彼らが言ってられないじゃないですか。彼らはこれからうんと勉強して、試験を受けて、資格を取って、社会で働いて貰わなくてはいけない。なまけてるヒマなんかありません。

 では水木さん自身はなまけ者だったのか。そんなこともありません。画家を志しながら、道半ばにして軍隊で苛められ、爆撃で左腕を失い、戦後も大変な苦労を重ねながら新たに漫画家としての道を歩み始めた人です。普通の意味のなまけ者ならこんな苦労には耐えられないだろうと思いますね。

 しかし水木さんは人生をクヨクヨ考えない非常に楽天的な人でした。常人なら腕を無くした時点ですっかり落ち込んでしまうでしょうが、水木さんは腕を失った悲しみより、死なずに済んだ喜びの方を強く感じる人だったように思います。腕を失ってからも出征先の島の原住民と仲良くなって戦後も南洋に永住しようと考えるような、とにかくポジティブ志向、真面目な人は深刻に考えて落ち込んでしまうような場面でも、とにかく気軽に考えて人生を楽しもうよ…、それが水木しげるさんの言う“なまけ者”の意味なんじゃないかと思い当たった次第です。

 どんな苦境に立たされても、人生何とかなると楽天的に未来を考えて、あんまり真面目に将来を思い悩まないこと。
水木先生、ありがとうございました。


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