宍道湖

 島根県 宍道湖の夕陽です。夕陽というのは一日の終わりの象徴ですが、また一方では“夜”という別世界の始まりでもあり、夕陽を見て心を動かさない人は少ないのではないでしょうか。ここ宍道湖も夕陽のきれいなスポットとして紹介されることが多いようです。

 ところで島根県といえば出雲神話の舞台の中心です。古事記によれば、高天原の暴れ者スサノオノミコトが出雲の国に追放され、その地でヤマタノオロチを退治して生贄に捧げられるところだったクシナダヒメと結婚、子々孫々にわたって国造りをするが、オオクニヌシノミコトの代になって高天原の天孫族に国を譲ることになる、というのが一般的に語られる出雲神話の概略です。そしてこの出雲神話の中には日本人なら誰でも幼い頃に一度は聞いた「因幡の白兎」の話もあります。
 一時期は出雲地方が神話の舞台になったのも架空の設定であるというのが多くの考古学者たちの見解だったそうですが、1984年から1985年にかけて島根県荒神谷遺跡で大量の銅剣、銅矛、銅鐸が出土して、一挙に出雲の古代政権の存在が脚光を浴びるに至ったわけです。まるでトロイ遺跡の発掘物語の日本版というところですか。

 そうなると出雲政権と大和政権の間に何があったのか、大変興味のある話題となりますが、これは考古学者・民間人を含めいろんな方々がいろんな説を述べております。
 私の考えによれば、別のコーナーでも述べたとおり、日本列島の古代の歴史は、朝鮮半島から渡来した部族(高天原に降臨した天孫族)が、先ず南方のクマソ族を平定、続いて東方遠征を開始して、次第に支配権を拡大していったと解釈していますから、出雲神話もそれらの過程での出来事です。

 出雲政権の祖はスサノオノミコトとされていますから、これはれっきとした天孫族、すなわち出雲政権は天孫族の東方遠征の前に立ちはだかった単なる妨害者ではありませんでした。
 天孫族は遥か東方には未知の豊かな大陸があると想定して、北九州地方から遠征を起こしたと私は考えます(別コーナー参照)。その道で最初に出会った相手が出雲族、小競り合い程度はあったかも知れませんが、まだまだ遠征は始まったばかりなのに大規模な戦闘で兵力を損耗するのは避けたいところです。そこで出雲族を味方につけるために画策されたのが政略結婚で、天孫族の中でも異端児で皆が持て余していたスサノオさんが婿に選ばれたのでしょう。
 天孫族はこうして後顧の憂いを取り除いて東方遠征を続けましたが、結局のところ現在の奈良県から大阪府あたりの線より先へは進むことができなくなりました。東日本に勢力を持った蝦夷と勢力拮抗するのがその線だったのです(蝦夷を北端まで追い詰めたのが平安時代の坂上田村麻呂の時代)。また豊かな大陸どころか、東日本の寒冷の気候では当時の稲作は不可能だったに違いありません。
 さて東方遠征が奈良・飛鳥あたりで頓挫してしまったとすると、惜しいのは後に残した出雲の国。ここは天孫族血縁のスサノオさんの子孫が心血を注いで開墾したところですが、すでに何代か後のオオクニヌシの代になっていました。今さら返せと言われても…。
 皆さんならどうしますか、今あなたが住んでいる場所は曽祖父の土地だから返せと、6親等も7親等も離れた親戚が要求してきたら?現在の民法でも、居住開始の段階に問題なく、10年間平穏かつ公然と居住すれば不動産の所有権を取得できると書いてあります(162条2項)。
 いやだと思っても一応は親族、同族相手の派手な戦闘で土地を守るのも気が引ける。そこで出雲政権と大和政権の話し合いの結果、オオクニヌシの国譲りということになり、自らは出雲大社に祀られることになりました。

 さて私が面白いと思う出雲神話は国引きの話です。これは出雲国風土記に載っている神話で、古事記や日本書紀には出ていません。八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌノミコト)という舌を噛みそうな名前の神様(これもスサノオの子孫ということになっています)が、ある日、出雲の国はどうも小さすぎると言って、日本海沿岸の4ヶ所から余っている土地を引っ張ってきて出雲の国にくっつけたという話です。
 どこの土地を持って来たかは地名の読み方で諸説あるようですが、誰も異議を唱える余地がないのは、最初に手をつけた新羅(志羅紀)の岬、つまり朝鮮半島です。八束水臣津野命は大鋤でザックリと土地を切り取ると、綱を掛けて「国よ来い、国よ来い」と引っ張ってきて、出雲の国に縫い付けたそうです。韓国の大統領あたりがこの神話を知ったら大変な領土問題になりそうですね。島根県まで返せと怒りかねません。国引きの途中で日本海にこぼれたのが竹島か?
 八束水臣津野命はその後もあと3ヶ所から国を引っ張ってきますが、その際に使った大鋤は「童女の胸鋤」という、一部の男性が喜びそうな名前で呼ばれています。別に深い意味はなさそうですが…。

 ところで八束水臣津野命が引っ張ってきて縫い付けたとされる土地はほぼ宍道湖の西側から北岸に当たりますが、日本地図上でこの辺の海岸線を見ると、確かにとってつけたような不思議な形をしています。まさかUFOがやって来て超惑星的な土木技術で地形を改良したというわけではないでしょうが、問題は出雲国風土記を編纂した古代人が、この宍道湖付近の不思議な海岸線を認識していたということです。
 古代日本人の勢力範囲であった中国・四国・九州地方の海岸線のうち、出雲地方だけがどこか他から引っ張ってきて縫い付けたような不自然な形をしているという認識がなければ、この出雲国風土記の国引き神話が生まれるとは思えません。

 伊能忠敬の地図もない時代に出雲地方の海岸線のイメージを思い描くことのできた古代人の能力は、実は現代人を遥かに凌駕していたのではなかろうかと思います。
 我々が島根県の海岸線を思い描けるのは、正確な地図帳があるからであって、我々が古代人より賢いからではありません。その証拠に我々のうち果たして何人が伊能忠敬の地図作りの方法を思いつくことが出来るでしょうか。また我々は人工衛星からの画像で国土そのものを見ることが出来ますが、果たして何割くらいの人が人工衛星が地球上の一点に静止できる原理を説明できるでしょうか。

 そもそも我々は地図に限らず、文明の利器と呼ばれる道具を駆使することによって、自分たちは過去の人間よりも偉いと考えがちですが、それは大いなる勘違いというべきです。
 あなたは電灯がつく原理を言えますか。蛍光灯の場合はどうですか。発電所で電力が生まれる原理を知ってますか。コンピュータが作動するのはなぜですか。デジカメの原理は何ですか。テレビが見えるのはなぜですか。電話で話ができるのはどうしてですか。飛行機が飛ぶ原理を知ってますか。あなたは本当に古代人よりも頭が良いんですか。

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