昭和な街並みpart2

 前回、練馬の「ふるさと文化館」にある昭和期の街路を再現したコーナーをご紹介しましたが、都内には他にもいくつか私たちの世代が幼少期を過ごした街並みを思い出させてくれるような施設があります。ここは都立小金井公園内に設置された「江戸東京たてもの園」、JR中央線の武蔵小金井駅と西武新宿線の花小金井駅のほぼ中間にあり、私もここ数年ほど仕事で訪れることが多かったのですが、しばらくは新型コロナ感染症のため休園中でした。広大な小金井公園自体は無料で入れるのですが、「江戸東京たてもの園」の有料スペースだけは閉鎖されていて、フェンス越しに遠くから中を覗くことしかできなかった。しかし2022年春頃から再開されたということだったので、念願かなって早速入ってみたわけです。

下町中通りを再現した区画で正面は銭湯 和傘問屋と醤油店
東京都電。塗装は昭和40年代前後のもの ボンネット型のバス。この塗装は都バスです

 上段の写真は下町中通りを再現したエリア、練馬区の「ふるさと文化館」の展示と違って屋外ですから、その分リアリティはあるのですが、道幅が広くて人影もまばらで、街路全体の雰囲気を再現したとはいいがたい。しかしそれでも個々のパーツごとに見ていくと、やはり私にとってはいつか遠い昔に見たことのある風景なんですね。

 上段左側の正面の建物は銭湯ですが、何か変だと思いませんか?そう、あの高い煙突が無い。まあ、地震なんかで倒れたら大変なので、煙突までは再現しなかったのだと思いますが、銭湯の門構えは割に立派なものが多かった。内部は脱衣所や大浴場などかなり精密に再現されていて、子供の頃に内湯が使えず近所の“風呂屋”に行った時の光景など思い出しました。銭湯とは言わず、風呂屋と言ったんですね。

 近所の風呂屋には私より2歳くらい年上の“てっちゃん”という男の子がいて、私たち近所の子供たちを束ねるガキ大将、みんな「風呂屋のテツ」と呼んで恐がっていました。夕方かなり暗くなるまで、あそこへ行こう、ここへ行こうとあちこち町内の探検に連れ回されて、早く帰りたいなと思った記憶などもありますが、あの頃の情景を思い出すと懐かしいです。

 上段右側は和傘問屋と、本日大安売りの幟が立つ醤油屋さんです。これらの建物は銭湯も含めてほとんどが戦前の昭和初期に建てられたものだそうで、東京大空襲を生き延びた時代の証人として1993年に開設されたここ「江戸東京たてもの園」に移設されたものです。つまり私たちの世代が子供だった昭和20年代や30年代にはこれらの銭湯や商店はまだ現役だったわけで、私もこんな店構えの個人商店を一軒一軒回ってお使いの買い物をしたことを思い出します。スーパーやコンビニなどでの買い物も確かに便利だけれど、あの頃は各店のおじちゃんやおばちゃんが声かけてくれたり、オマケくれたりしたものでした。

 下段の写真は都電(左側)と都バス(右側)、都電は今では荒川線しか残っていませんし、その荒川線も洒落た新型車両がほとんど専用軌道しか走りませんが、昭和30年代40年代まではこんなチンチン電車が都内の幹線通りを縦横に走っていたものです。

 展示されている車両には6系統の表示がありますが、これは渋谷→西麻布→六本木→溜池→虎ノ門→新橋と、現在では信じられないような都心スポットを貫く路線でした。私が最も印象に残る都電は、高校音楽部時代に銀座ヤマハまで楽譜を買いに池袋東口から数寄屋橋まで乗った17系統、これは池袋→護国寺→後楽園→水道橋→神保町→神田橋→東京駅東口→有楽町→数寄屋橋という長いルートでしたが、6系統も17系統も昭和40年代前半に廃止されてしまいました。

 都バスの方も今は懐かしいボンネットバス。今では当たり前になったボックス型のリア・エンジンバスが登場した頃は、新型のリア・エンジン型がとてもスマートで綺麗なお姉ちゃんに見え、古くさいボンネット型は力強いオバチャンに見えた…なんて話は別のコーナーにも書きましたね。

 ところで前回今回と昭和な街並みを追いかけてきましたが、昭和の次の平成時代も終わってしまった今、平成時代に少年少女時代や青春時代を送ってきた世代は、どんな風景を“平成な街並み”として思い出すんだろうな。

 例えばこの写真、平成最後の夏にたまたま仕事で通りかかった荒川河川敷ですが、これは絶対に昭和ではありませんよね。画面を横切る現在の荒川が荒川放水路として完成したのは大正から昭和初期のことですが、それ以外、これが昭和でない点を挙げて下さい(笑)。

 まず当たり前ですが、中央の東京スカイツリーは平成20年(2008年)着工、平成24年(2012年)完成だから、まぎれもなく平成時代の申し子です。またスカイツリーの足元の中層・高層ビル群も大部分が平成生まれではないでしょうか。

 あと河川敷の整備状況も昭和のものではない。東京の大河川の河川敷が公園やスポーツ施設として本格的・大々的な整備されたのは平成になってからだと思いますし、この写真で子供たちがプレイしているのはサッカーです。もちろん隣のグラウンドでは野球少年たちも試合をやってましたが、サッカー少年チームが隆盛をきわめて地域同士の試合などもできるようになったのはJリーグが発足した平成5年(1993年)以降かなり後のことです。

 昭和の子供たちは巨人軍の王選手や長島選手に憧れて野球に熱中したものでしたが、サッカー選手を目指す子供たちの層が厚くなったのは明らかに平成時代の特徴。ですから私は手元に撮りためた風景写真の中からこの1葉を平成の風景に選びたいと思いました。


         帰らなくっちゃ