しばられ地蔵

 最近は首都圏近郊のいろいろな施設を健康診断で回っていると、こんな場所にこんな面白い名所があったのかと嬉しくなるようなことがとても多いのですが、今回は葛飾の業平山東泉寺南蔵院のしばられ地蔵をご案内します。貞和4年に開山と書いてありましたから西暦1348年、時は建武の新政(1334年)も失敗して国が南北朝に分裂していた時代に開かれた寺だったわけですね。ちなみに貞和4年は北朝の暦で、南朝では正平3年と呼ばれていました。まもなく平成も31年で終わりを告げ、次の元号が何になるか我々は興味津々でもあるわけですが、考えてみれば南北朝時代の人たちにとって、特に南朝とも北朝とも交流ある立場の人にとっては大変だったでしょう(笑)。

 それはともかく、このお寺に祀られているお地蔵様は、この写真のように縄でグルグル巻きに何重にも縛られています。中央のお堂の中に縄の束に埋もれて立っていらっしゃるのがそのお地蔵様ですが、誰ですか、女王様、もっともっと…なんて言っているのは?

 しばられ地蔵の由来は以下のものだそうです。徳川8代将軍吉宗の時代、ある夏の昼下がりに日本橋の呉服問屋の手代が反物を荷車に満載して南蔵院の前を通りかかった。江戸時代には吾妻橋の近くにあったようですが、関東大震災の後、現在の葛飾区東水元の地に移りました。
 まさか最近のように四捨五入すると40度になるような猛暑日ではなかったと思いますが、それでも気温30度に迫る江戸の夏、反物を積んだ荷車を引いて汗を拭き拭き歩いてきた手代は、ここらで一服と南蔵院の木陰に腰を下ろしたところ、やっぱり睡魔が襲ってきた。人前での居眠りが危ないのは今も昔も同じこと、ハッと目を覚ますと山積みの反物もろとも荷車が無くなってる!しまった〜、眠っている間に商品を盗まれた〜!

 真っ青になった手代が番所に駆け込んだところ、名奉行大岡越前じきじきの取り調べとなりました。そう言えば30年近くにわたって放映されたテレビドラマ『大岡越前』の主役を務めた加藤剛さんが今年(2018年)6月、80歳で亡くなりましたね。私にはNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』の平将門役が強烈な印象に残っていますが、今頃はまた藤原純友役の緒形拳さんと天国で共演しているでしょうか。

 ところでこのしばられ地蔵、加藤剛さんのドラマでも1975年と1986年にそれぞれ「巷談 縛られ地蔵」「縛られたお地蔵様」として登場していました。さて訴えを聞いた大岡越前、「寺の門前に立ちながら盗人が反物の荷車を持ち去るのをただ黙って見過ごしていたとは不届き千万、南蔵院の地蔵を引っ捕らえて縄を打ち、市中引き回しの上お白州に引っ立てて参れ」と与力や同心に命じました。こうして石のお地蔵様は逃げも隠れもしないのに与力や同心たちに召し捕られ、縄で縛られて車に乗せられ、江戸市中をガラガラと引き回されて南町奉行所へ連行されました。

 お地蔵様が縛られて奉行所へ連行されるのを見て驚いたのは物見高い江戸の群衆です。
「大変だ、大変だ
(てーへんだ、てーへんだ)、大岡様が石のお地蔵さんを召し捕ってお取り調べになるんだってさ。」
「へえ、お地蔵さんがどんな悪事を働いたってんだろうね。」
と野次馬たちは大騒ぎしながら、この一風変わった裁判を一目見ようと奉行所のお白州へなだれ込んだ。さしづめ現在ならば裁判の傍聴券がありますが、当時はそんな物はありゃしない。おまけに大した娯楽も無かった時代のことですから、噂を聞きつけた群衆は興味津々、続々とお白州に詰めかけたわけです。

 大勢の野次馬が白州に詰めかけたのを見計らった大岡越前は、そこで奉行所の門を閉めて群衆を一喝します。
「天下のお裁きをする神聖なお白州に乱入するとは不届き千万、罰として各自反物1反を差し出せ。」
野次馬たちは恐れ入って罰金代わりの反物を1反ずつ納入しますが、奉行所の門を閉められた群衆がいったいどうやって罰金の反物を買いに行ったんでしょうね。
「オレオレ、今さ、お白州に入ったらお奉行様に怒られちゃってよ、反物1反収めなくっちゃ許して貰えねーんだ。頼むから反物を持ってきてくれないかな。」
なんて携帯電話で家族に連絡できたわけじゃありませんしね。ちなみにこんな電話が掛かってきても反物も現金も渡しちゃダメですよ。

 まあ、当時の江戸の市民は正直だったんでしょう。あるいは奉行所に乱入した野次馬の身元は全部改めた上で反物を取りに仮釈放したのかも知れません。やがて奉行所には野次馬たちが収めた反物が山のように積み上がりました。誰がどの反物を収めたかも奉行所はきちんとチェックしていたようです。大岡越前は被害者の呉服問屋の手代にその反物を改めさせたところ、南蔵院で盗まれたものも含まれていた。その盗品の出所をたぐって、当時江戸市中を荒らし回っていた盗賊団が次から次へと芋蔓式に検挙されたというのが大岡越前と縛られ地蔵のお話です。大岡越前は霊験あらたかなお地蔵様への感謝を込めて、立派なお堂を建てて盛大な縄解き供養を行なったそうです。

 そのお地蔵様にあやかろうと現代でもお地蔵様を縛って願を掛けるので、南蔵院のお地蔵様は上の写真のようにいつもグルグル巻きに縛られているわけです。右側の本堂脇に「願掛け縄」があり、願い事がある人は1本100円の縄でお地蔵様を縛ります。そして願いが叶ったら縄を解いてお礼を申し上げ、解いた縄は地蔵堂脇の木の樽に入れることになっているはずなのですが、ここでちょっと気になること、お地蔵様はお姿が見えなくなるくらい何重にも縄を掛けられているのに、樽の中には願い事が成就した証の縄はほんのちょっぴりしか入っていません。

 よほど叶わぬ高望みをする人が多いのか、現代はささやかな願いも聞き届けて貰えぬくらい厳しい世相なのか、それとも現代人は願い事がある時だけ神仏に縋りながら、願いが叶うと全部自分の力だけでなし遂げたと考えるほど傲慢に慣れているのか、いずれにしても心配なことです。

 しかしお地蔵様って何だかとても温かくて時にユーモラス、私たち人間に寄り添ってくれる存在のように思えます。お地蔵様は正式には地蔵菩薩、サンスクリット語で大地の胎内という意味を訳した言葉だそうですが、苦しむ人々を大地のように包み込んで護ってくれる菩薩様だから温かいのかも知れません。釈迦の入滅から弥勒菩薩が現れるまでの何億年もの間、現世にあって衆生を見守ってくれる存在ということになっています。

 各地のお地蔵様の物語や言い伝えも何か温かい。全国的に有名なのは『まんが日本むかしばなし』にも登場する笠地蔵、雪をかぶって寒そうなお地蔵様に笠を被せてあげたら、その晩お地蔵様が餅や果物を持ってお礼に来たという話ですが、身代わりになってくれたお地蔵様の話も多いです。中でも山椒大夫に売られた安寿と厨子王の物語の中で、厨子王を逃亡させようとした罰で安寿に焼きごてが当てられますが、それをお地蔵様が身代わりに受けて下さったというところは圧巻です。一般的には五穀豊穣、安産、子育て、家内安全など現世の願い事を広く聞き届けて下さるほか、巣鴨のとげぬき地蔵のような特殊な分野の専門家もいらっしゃるのですね。いぼとり地蔵というのも全国各地にあり、また私の家の近くには子供の夜泣きを治してくれる夜泣き地蔵というのもいらっしゃいます。(ちなみにゲゲゲの鬼太郎の友人は子泣きジジイですから間違えないように。)

 さて南蔵院が関東大震災後に吾妻橋から移転してきた東水元の地には都内でも有数の広大な水元公園があり、梅雨時の頃には菖蒲田が見事な花を咲かせます。この時期、葛飾区内に菖蒲巡りの臨時バスが運行されていて、堀切菖蒲園〜水元公園(縛られ地蔵)〜JR金町駅〜柴又を巡回してくれていました。私も堀切の近くで仕事が終わった土曜日の午後、この臨時バスに乗って水元公園を訪れようと思ったのでしたが、お地蔵様の縁あって、南蔵院のあるこのお寺に導かれたのでした。

 ついでと言っちゃ菖蒲の花に失礼ですが、真っ直ぐ伸びて青系や紫系の花を咲かせる菖蒲は、粋な江戸っ子に好まれた花で、19世紀初頭の文化年間あたりから堀切菖蒲園を中心に栽培されるようになったとのことです。しかし日本の菖蒲の系譜としては他に熊本の肥後系や、三重の伊勢系があり、それぞれ独自の花菖蒲の文化を育ててきたようです。
 また美女がいっぱいいてどの娘とつきあうか困るような情景を「
いずれがアヤメ カキツバタ」と言うことがありますが、これを漢字で書くととても面倒なことになる、「いずれが菖蒲 杜若」、つまりカキツバタが“杜若”なのはよいのですが、“菖蒲”と書くとアヤメともショウブとも読むのですね。

 ややこしいので一番簡単に解説してあるサイトを受け売りしますが、水元公園などに咲いている“ショウブ”は正式には“花菖蒲”と言うのだそうです。60年以上も生きてきて初めて知りました(恥ずかしい)。
 そしてこれら3つの花の違いは、
アヤメ(菖蒲)は外側の花びらに綾目模様がある小輪の花で、葉は細く、乾燥した地面に生えている、カキツバタ(杜若)は内側の花びらが立ち上がった中輪の花で、葉の根元が黄色く、湿地や水辺に生えている、ショウブ(花菖蒲)は色も形もさまざまな大輪の花で、葉は太め、湿地や乾燥地に生えているとのことです。
 さらに話をややこしくしているのが、5月5日の端午の節句に入る菖蒲湯、この風呂に入れるのは菖蒲の葉ですが、これはアヤメでもハナショウブでもなくて、ショウブというサトイモ科の植物、そしてこのショウブと似た葉を持っていて花を咲かせるからハナショウブ、つまり水元公園などに咲いている花菖蒲で、これはアヤメ科の植物です。

 どうです、このゴチャゴチャと込み入って誤解が誤解を招き、勘違いが勘違いを呼ぶ植物の世界、農芸関係がご専門でなくてご存知だった方はいらっしゃいましたでしょうか。よほど物識りな方と拝察いたします。私は60年以上も無知なまま“ショウブ”の花を何気なく眺めていただけでしたが、今回お地蔵様の御縁でいろいろ知識を得ることができました。ありがとうございました。


         帰らなくっちゃ