若者たちの集団自殺について


 最近、若者の自殺が急増しているという。それもネットの「自殺サイト」と呼ばれるサイトで知り合って、それまでは一面識も無かった者同士が誘い合って一緒に死ぬという。自殺の方法としては、車のドアを閉め切って内部で練炭を燃やし、一酸化炭素中毒で死ぬというのが、最近の流行らしい。確かにあまり痛くも苦しくもなさそうだし、死に顔もそれほど無残に壊れることもなさそうだし、何より数人一緒にあの世とやらに行けて淋しくない。最近は、徒党を組まなければ何も出来ない、群れの中にいなければ安心できない若者が増えているのが気になっていたが、とうとう死ぬのも独りで死ねないところまで来てしまったか。

 若者の集団自殺事件が相次ぐたびに、新聞やテレビなどのマスコミには、いわゆる“識者”と呼ばれる人たちが登場して、さまざまなコメントを述べているが、“識者”たちに、と言うよりも死なずに日々を送っている私を含む世間のほとんどの大人たちに、死んで行く若者たちの心が判るとは思えないし、まして死を求めて悩んでいる多くの若者たちを救えるとも思えない。

 要するに、若者たちは人生が面白くないから自殺するだけの話であって、大人たちがもっともらしく議論したところで、何ひとつ解決しないのである。上映中の映画がつまらないから劇場を退出したいという観客に向かって、その映画を面白いと感じている別の観客が、「これから面白くなるんだから今は出て行っちゃ駄目」とか「せっかくチケットを貰ったんだから最後まで観て行って頂戴」などと説教したって、「こんなバカらしい映画観てられるか」と開き直って出て行くヤツは聞く耳を持たず、したがって何の意味も無いのである。

 医師としての立場から言えば、人生もう要らないというヤツから残りの生命を買い取って、不治の病床でまだ生きたいと懸命に頑張っている彼らと同世代の若い患者さんたちに分けてあげたいと思うのだが、そんな出来もしない事を言っていても始まらないので、少し物事の本質を整理してみようと思う。

 そもそも人が1000人集まって映画を観れば、製作者が精魂傾けて作ったどんな素晴らしい作品であっても、1人くらいは「反吐が出るほどつまらない映画だ」と言って席を立ってしまう人がいても不思議はないし、むしろその方が自然である。1000人が1000人ともスタンディング・オベーションをするほど感動して熱狂するような状況こそ、却ってあり得ないし、そういう集団は政治的にも文化的にも危険である。これは人生に対する感じ方についても同様である。

 昔から自殺する人は跡を絶たず、その年齢は病苦や生活苦に追われて自殺する高年齢層の他に、10歳代から20歳代くらいまでの若年齢層にももう一つのピークがあるとされているのだ。私も小学校から大学時代くらいまでの級友たちの顔を1人1人思い出してみると、そう言えばあいつも若くして自殺したよなあ、というのが何人かいる。今さら若者たちの自殺が新たな社会問題として浮上してきたわけではないのである。

 ただ昔なら本当に人生の矛盾に悩んで、あるいは将来を悲観して、相当の覚悟の上で自殺する若者はいても、他の者たちと道連れで往く者は多くなかった。ところが最近では、インターネットのサイト上で、自殺志願者同士が互いに初めて知り合い、奇妙な連帯感を持って自殺願望を増幅し合い、ついには具体的な自殺決行に到るケースが増えてきたことが問題なのだ。

 生とは何か、存在とは何か、恋愛とは何か、これから大人になるとはどういうことか……。とにかく若者たちは哲学的な問題から日常の問題にいたるまで、さまざまなことに悩むものだが、その解答が得られないからといって、芥川竜之介などのように決然と“人生劇場”を退出する者は1000人に1人もいないだろう。
 ところが1000人に2人か3人くらいは、決然と自殺しないまでも、平均に近い人たちよりは自殺願望が強く、何かのきっかけがあればフラフラッと自殺してしまうリスクの高い人たちがいる。もし各人の自殺願望の強さを数値化したとすれば、その数値は必ず正規分布(大勢の人の体重や身長や血圧などと同じ分布)をするに違いないから、こういう“自殺予備軍”ともいうべき一握りの若者たちが存在するのは統計学的にきわめて自然なことである。

 そのような自殺予備軍が1000人中2人か3人いたとしても、昔ならば他の九百九十数名と交わることによって、何とか自殺を思い止まる者が大部分だったのだ。しかし特に若者世代へのインターネットの普及によって、こういう全国津々浦々にいる自殺予備軍同士が簡単に結び付くようになってしまった。昔なら生涯知り合うこともなかったはずの自殺予備軍同士が、現実に身の回りにいる“普通の”自殺願望の少ない家族や友人や仲間たちから遊離して、インターネットの世界で互いに知り合って親交を深めていくことになる。

 今まで面識も無かった者同士が一緒に死んでいくことに違和感を感じている人たちがいるが、友情というものの本質を考えれば、むしろこれが当然の姿である。A.ボナールは「友情論」の中で、たがいの本能の類似、趣味の近さは、すくなくとも知性上の和合と同じくらい友情に関係がある、と書いている。自殺したいと願っている人間にとっては、自殺なんかとんでもないと考えている人々よりも、同じ志向を共有する人々との方が友情を結びやすいであろう。
 友情とは互いの現実的な距離が問題なのではなく、精神の共鳴があれば、別の時代に生きた人々との間にさえも(書物などを通じて一方的ではあるが)存在し得るものだ、とA.ボナールは書いている。999人の人たちが認めてくれなくても、最後の1人と精神的に共鳴することが出来れば、そこは俗人には理解できない友情の楽園となるのである。

 1000人に1人もいないくらい自殺志向の異常に強い特異的な人たちは、今までと同じように独りでも敢然と自殺を決行するだろう。(異常で特異的というのは、人間集団を統計的に眺めた場合の判断基準であって、決してそういう人たち自身の人間的価値云々を言っているのではない。逆の意味で、極度に自殺願望や自殺志向が低い人もまた、統計的には異常で特異的ということだ。)
 ここで我々が対策を考えなければいけないのは、1000人に1人か2人いるくらいの、きわめて自殺願望が強いが、独りではなかなか踏ん切りがつかないでいるような自殺予備軍同士が、インターネットで互いに友情を深め合った結果、ついに本当に踏ん切りがついてしまうようなケースに対してである。

 こういう話になると、多くの人々はすぐインターネットが悪いという結論に短絡してしまいがちだが、自殺予備軍同士がネットで交流した場合、必ずしも常に否定的な結果(つまり集団自殺)につながるのではないと思う。いや、むしろ予備軍同士が「死」について語り合ううちに、精神的な悩みが吹っ切れて、互いに前向きに生きられるようになったという肯定的な結果の方がはるかに多いのではなかろうか。そういう集団自殺が未遂に終わったケースはほとんど世間に報道されないから、我々の大部分が知り得ないだけである。

 だから自殺をテーマにしたインターネットのサイトを規制するというのは意味がない。むしろ集団自殺事件が起こってしまった時、マスコミは当事者たちが事前にこんな書き込みをしていた、というような記事ばかりをセンセーショナルに報道するのではなく、同じサイトには別の人たちによる別な書き込みも必ずあるはずだから、それらも冷静に分析して報道するべきである。どうも日本のマスコミは野次馬受けのする衝撃的な記事の方に重点が置かれる傾向があって、そういう記事にのみ夢中になる読者も悪いが、いずれ集団自殺事件ばかりでなく、日本の社会全体をとんでもない方向に引きずって行ってしまいそうな気がする。

 では、それでも自殺してしまう若者たちに対して、我々(1000人のうちの九百九十数名の側に属する人々)は何とか彼らに死を思い止まらせるような確実な説得の論拠を持っているのだろうか。ここで次の問題に答えて頂きたい。

問題)
生命は誰のものか?
選択肢)
 A)
神様
 B)
国家または市民社会
 C)
親または家族
 D)
本人
 E)
生物現象の一つであって、誰のものでもない。

 ざっと思いつく選択肢は以上だが(他に何かあれば教えて下さい)、困ったことに「生命は神様のものだから、勝手に死んじゃ駄目」と答える以外に、どうしても自殺すると言って聞かない若者を説得することは出来ないのである。しかしこの手は無宗教の日本人には絶対に使えないことは明らかだ。
 国家や社会のもの、ということになれば、国家が国民に死を命ずることが可能になる。かつての大日本帝国臣民は陛下の赤子であるとされた時代を考えれば、到底受け入れることは出来ない。
 親や家族のものであるなら、生活苦から親が子供を道連れに無理心中するような身勝手を許すことになる。
 本人のものであると言えば、じゃあ、どう処分しようと俺の勝手じゃないか、ということになってしまうだろう。

 多少なりとも科学の心得のある現代の日本人なら、生物現象の一つという解答が最も受け入れやすいものとなるが、これはもう若者の自殺を止める説得には決してなり得ない。生物現象であれば、身長・体重から自殺願望を含む性格傾向に至るまで、ほとんどの生物学的数値は、異常に低い部分から異常に高い部分まで、ある一定の分布を示すことが知られているから、自殺もまた生物学的現象として認めざるを得なくなってしまうからだ。
 まして生物科学を専攻した者なら、細胞には病気でもないのに自ら死んでいくアポトーシスという現象(まさに細胞の自殺)があることを知らないはずはない。一方で生命を畏怖する態度を捨てて、あくまで科学的に割り切ろうとしながら、一方で倫理的に自殺を糾弾するなど、自己矛盾も甚だしい行為である。

 少しでも若者たちの自殺を防ぎたいと願うなら、大人たちは自分が若かった頃、何に悩み、何に憤り、何を悲しんだか、それをしっかり思い出す努力をすることである。人は誰でも若い頃には、必ず同じようなことに苦しみながら成長してきたはずだからである。今の若い者の悩みなんて、俺が若い頃の悩みに比べたら大したことはない、などと思ったら大間違いだ。自分が若かった頃に、もし周囲の大人たちからそう思われていたと想像してみれば、この考え方が大間違いであることはすぐに判るであろう。

 若者たちの悩みや憤りの根源の一つは、薄汚い大人社会の矛盾である事は今も昔も変わりないと思われる。今は平気な顔で“大人”を演じている人間たちも、10歳代、20歳代の若かった頃は、大人たちの持つ卑劣さ、狡猾さ、御都合主義など諸々の薄汚さに対して、きわめて敏感だったはずである。しかしここでもやはり1000人のうちの九百九十数名は年齢と共に、毛虫が蝶になるように、子供から大人へと変態することが出来るのだ。(その醜さから言えば蝶が毛虫になったと言う方が適切だが……。)
 労働者と連帯!などと言って学生運動でゲバ棒(懐かしい言葉だ)を振るった元活動家が、大人になって企業の役職に昇りつめるや、従業員のリストラに辣腕を振るう現実。
 前回はあっちの政党から出馬していた若手議員候補が、次の選挙ではいつの間にかこっちの政党に鞍替えしている現実。
 これらは極端な事例ではない。ほとんどすべての大人たちが、あらゆる生活の場で、「仕方がない」と言って大なり小なりやっている行為の類型なのである。こういう薄汚さを許せなかった“子供”から、平気で行なえるような“大人”への変節が、大した良心の呵責もなく許される、と言うよりも、むしろそういう変節自体が成人への通過儀礼と見なされるのが日本社会の大きな特徴である。

 多くの若者の眼にはこういう大人社会はたまらなく不潔に写る。あんな大人になっても仕方ない、と思われるような大人を演じないこと、それだけが若者の自殺を少しでも防ぐことの出来る唯一有効な方法ではなかろうか。
 大人社会を見限って自殺を強く考えている若者たちにも言いたい。今の気持ちを持ち続けたまま大人になって、大人社会の醜さと対決して貰いたい。日本の大人社会の醜さに対抗するためには、一旦は死をも覚悟したくらいの気概のある人間が必要なのだから……。

補遺
 集団自殺は依然として跡を絶たず、2005年2月6日(日曜)の朝刊にも2件報じられていた。静岡県東伊豆町で3人、神奈川県三浦市で6人、まったくやりきれない事態である。
 今回の集団自殺では2件とも年長者(それぞれ52歳と40歳)が加わっており、もはや「
若者の集団自殺」とは言えなくなってきたことに、ある種の憤りを禁じ得ない。我が国では死者を鞭打つ行為はタブーになっている面もあるが、40歳、50歳の分別のつく年齢に達した者が、自分よりはるかに若い人たちを道連れに自殺を選んだことに対して、私は同世代の人間として、これらの死者を鞭打たずにはいられない。
 なぜ自分独りで死ねないのか!そんなに独りで死ぬのが恐いのか!寂しいのか!生活苦や病苦から我が子を道連れに心中する行為も許し難いが、今回のはネット上でたまたま知り合っただけの若者たちではないか?なぜ、君たちは生きろ、と言わなかったのか!
 これも日本人の欠陥を示す重大な事例である。昭和20年、軍の上層部は本土決戦を叫んで一億玉砕を国民に強要しようとしていた。当時は戦争に負ければ、自分たち軍人は責任を取って死ななければならないというのが当たり前の考え方だったから、上層部は死を覚悟していたに違いない。だが自分たちだけ死ぬのが恐かったのではないか。一億国民にも一緒に死んで欲しかったのではないか。
 そういう年長者のエゴが感じられるような今回の集団自殺であった。先に死んでいく者は(自殺にしろ、病死にしろ、自然死にしろ)、後に残る者たちへの嫉妬がある。それは人生半ばを過ぎた私自身にもよく理解できる心情である。しかし避け得ない自分の“死”に、他人を巻き込むことがいかに卑怯で愚劣な行為であるか、それを判らない人間が日本には多い。もちろん海外でもカルト教団の集団自殺などは、この範疇に入るが、日本はかつて国家レベルで一億玉砕を叫んだ民族なのである。沖縄では少年少女たちまでが鉄血勤皇隊やひめゆり部隊として、卑怯な軍部の大人どものお供をさせられた。
 そんな当時の日本人にも、わずかな良識派がいたことは救いである。戦艦大和の最期に当たって、羅針儀に身体を固縛して艦と運命を共にした有賀艦長であったが、艦長に心服するあまり一緒に沈もうとした兵員たちに、「(お前らは生きて)しっかりやれ」と激励しつつ、艦外に突き落としたと吉田満氏の本にはある。「若い者は生きて泳げ」と叱咤したという話も聞く。
 仮に若者たちが自分と一緒に死んでくれると言っても、彼らを死出の旅から追い返すのが年長者の義務ではないか。死なばもろとも、一族郎党打ち揃って、という浪花節が好きな国民性には困ったものだ。



亡国のマルチプル・チョイス(Multiple Choice)
 マルチプル・チョイスという言葉は御存知だろうか。昔から学校と試験は切っても切れない関係にあったが、学生や生徒の学習効果を判定するための試験には、さまざまな形式がある。
 与えられた問題に自由に作文させて解答させる“論述式”、問題文の誤りを直させる“正誤式”、問題文の空欄に解答を入れさせる“穴埋め式”など、試験の形式には幾つかのパターンがあるが、最近各方面で主流になっているのが“マルチプル・チョイス式(多肢選択式)”というヤツである。医師国家試験の問題もすべてこの形式で出題されるため、学生たちに在学中からマルチプル・チョイスに慣れさせるよう、私たち教員は機会があるたびに、この種の問題を作らされている。

 ところでマルチプル・チョイスにあまり馴染みのない方々のために、我々医学部教員が問題作成に当たって参考にさせられる例題を一つ紹介しておこう。

問題:県庁所在地はどれか。
(1)大宮市
(2)川崎市
(3)神戸市
(4)仙台市
(5)倉敷市

a (1)(2) b (1)(5) c (2)(3) d (3)(4) e (4)(5)


正解はd
の(3)神戸市と(4)仙台市である。

 こういうマルチプル・チョイスは受験生の学力を公正に、客観的に、正確に、そして迅速に判定できるということで、医師、看護師、薬剤師、検査技師などの資格認定試験にも多用されるようになってきたわけだが、果たしてこんな試験で本当の受験生の質が判るのだろうか?

 例えば上の例題にしたって、現在では大宮市と浦和市は合併して新しく“さいたま市”になってしまったから、問題そのものに意味が無くなっているのである。上の問題文の意味を逆にして、次のような出題にすることも可能である。

問題:県庁所在地でないのはどれか。
(1)大宮市
(2)川崎市
(3)神戸市
(4)仙台市
(5)倉敷市

a (1)(2)(3) b (1)(2)(5) c (1)(4)(5) d (2)(3)(4) e (3)(4)(5)


これだと
当初の正解はbということになるが、ご承知のように現在では正解は無くなってしまった。

 医学、医療の分野ではこんなことはザラにある。
「AならばB」という正解が一つということはほとんどないし、また常にこれが正解ということもない。
 つまりAという症状、所見、検査結果があれば、Bという疾患である、と100%断言できる状況は滅多にない。Aという症状があってもBでないこともあるし、Bだと思って治療すると却って大変なことになる場合だって無くはないのだ。また昔は「AならばBである」と言われていたものが、いろいろな経験の蓄積によって「AであってもBではない」というふうに診断基準が変わってきている疾患も少なくない。
 ところが学生時代からマルチプル・チョイスで慣らされてきた若い医師の中には、そういう歴史的事情や例外的事項などを幅広く考えながら、最も間違いの少ないやり方を模索していくことが理解できず、単純に○か×でしか判断できない人が増えてきた。困ったことである。

 こういう単純な思考は患者さんの側にも見られる。
「Bの病気だったらCの治療」という唯一の正解があると信じ込んでしまっているのである。Bの疾患に本当にCの治療が効くのだろうか、副作用の方が大きいことはないだろうか、DやEの治療の方が本当は良いのではなかろうか。医学はそういう試行錯誤を繰り返しながら進歩してきた。
 そういう治療上の試行錯誤は、昔なら医師の一存で勝手にやっても問題にならなかったのだが、最近ではきちんと患者さんに治療法の選択理由を十分に説明して、納得して貰ってからでないと出来ないことになっている。
 ところが患者さんの中には、こういう説明を受けると、Bの病気にはCという治療があるのに、どうして自分にはCをやってくれないんだ、自分は実験動物ではないぞ、とお怒りになる方がいらっしゃると聞いた。これも患者さんの側が、治療法の正解は一つしかないと考えることに基づく誤解である。

 マルチプル・チョイスは現在の正解が絶対の真理であると仮定したうえで受験生に答えさせているが、絶対の真理は永遠に判り得ないものであるという認識が欠けている。絶対の真理に近づくために、医師同士あるいは医師と患者さんが互いに協同して試行錯誤を繰り返して行かなければならないのに、マルチプル・チョイスで育った人たちは、単純に○か×でしかお互いを評価しないから、不要な感情的対立まで招いてしまう。これは恐らく医学・医療の分野に限ったことではなかろう。

 もう一つ、マルチプル・チョイスには重大な問題点がある。マルチプル・チョイスは客観的評価だというが、これは熱心に勉強する学生ばかりならば確かにある程度は有効なのである。例えば昔の欧米の医学部の学生は、昼飯の時とエレベーターに乗る時以外は、教科書から目を離さないという伝説を聞いたことがある。また内科や外科や小児科など主要学科にはそれぞれ電話帳1〜2冊分くらいの標準的な教科書があるが、昔の欧米の医学生は在学中にそれらを最低1回、多ければ3回は通読するとも聞いた。(ただし最近ではアメリカの医学生たちもそんなに必死には勉強しないという。このサイトのメル友Seineさんの情報である。)
 そうやって各教科の全貌をしっかり頭に叩き込んだ学生ならば、マルチプル・チョイスの問題で彼らの学習効果を判定する意義はある。つまり先ほどの例で言えば、日本の全都道府県の県庁所在地を一応すべて勉強した学生ならば、あの例題で試験すれば十分なのである。

問題:県庁所在地はどれか。
(1)大宮市
(2)川崎市
(3)神戸市
(4)仙台市
(5)倉敷市

a (1)(2) b (1)(5) c (2)(3) d (3)(4) e (4)(5)

 まだ埼玉県の県庁所在地が浦和市だった頃、急行が停車する大宮に県庁がなく、急行が通過する浦和が県庁所在地である、という事実は、小中学生の社会科の試験の“引っかけ”問題だった。
 だからこの“引っかけ”の部分さえ一夜漬けで押さえておけば、この問題の選択肢のうち
abは最初から捨てることが出来て、正解する確率はグンと上がる。こうしておけば、常識的に倉敷市は県庁所在地ではなさそうなので、正解は(5)を含まないcd、そうすると(3)は両方に含まれるので、神戸市が県庁所在地かどうか知らなくてもよくなってしまう。
 もちろん神戸市に兵庫県庁があることを知らない受験生は少ないだろうが、とにかくマルチプル・チョイス型試験の受験生たちは、この類のテクニックに走る傾向がないとは言えない。

 医師国家試験に限らず、ある科目なり学問なり、あるいはある専門分野の必須知識にしても、その試験範囲の全体構造を確実に押さえたうえで、総論から各論へと順序正しく勉強していけば、どんな形式の試験でも合格点を取れるはずである。しかもその際に大事なのは、重要なポイントやキーワードに関しては、自分の言葉で的確に説明できなければいけない。
 試験範囲の全体構造は、それぞれの教科書の目次そのものである。目次は大項目が幾つかあって、それぞれの大項目ごとに中項目や小項目が階層的に配列されている。この全体構造をベースにして、各論的な事項が全体の骨組みの中のどこに位置するか、それを自分の言葉で説明できて初めて、その試験範囲をマスターしたと言えるのだ。

 最近の学生は、国公私立、大学・専門学校・高校を問わず、ある事項を自分の言葉で説明するのが苦手なように見える。マルチプル・チョイスの試験問題だと、重要な用語はすべて問題文や選択肢の中に含まれているから、それらの意味や用法を一つ一つ確実に押さえておかなくても、先ほどのテクニックでカバーすることもある程度可能だ。
 例の県庁所在地のマルチプル・チョイス問題をクリアした受験生が、全国の県庁所在地を北から順にすべて正確に暗誦できる受験生と同等の社会科の学力を有するとはとても断言できないだろう。
 本来マルチプル・チョイス型の試験を正解する受験生は、論述式の問題を出されても、きちんと正解できる受験生でなければならない。試験範囲の全般をしっかり勉強しなくても、要領よく“サワリ”の部分だけ押さえておけば正解できてしまうような問題など意味はない。

 “サワリ”だけ要領よく覚えておけば良い、というマルチプル・チョイス向きの発想が問題となるのは、実は医師国家試験などの技能認定試験に限ったことではない。最近、日本人全体がこの安易な発想に走っている傾向が見られるのは、まさに亡国の徴候なのではなかろうか。
 何を大袈裟な、と笑われる方もおられるだろうが、最近書店などで「名作のサワリだけを集めた」らしい本を見かけたことはないだろうか。古今東西の名作と言われる本のあらすじを紹介して、ポイントを解説しただけの本らしいが、これが意外に売れているというから驚きだ。さらに「クラシック音楽のサワリ」というような商品(本かCDかDVDか知らないが)も見たような気がする。こんなもので世界の名作と言われる作品を一応判ったような気にさせてくれる、この国の文化はやがてかなり底の浅いものになるのではなかろうか。
 文化ばかりではない。私がこのサイトの他のページに時々書いているような、特攻隊の歴史とか、日中・日韓の歴史などについても、全貌に関する通り一遍の知識すらなく、部分的な事象のみに感動したり、憤慨したり、自虐的になったりするばかりで、この国の国民は自分たちの歴史に関しても、支配者や隣国政府に言われるままの底の浅い認識しか持ち得なくなってしまうのではなかろうか。


医師コクシ
  “医師コクシ”と言えば普通は医師国家試験のことだが、最近、私にはこの言葉が“医師酷使”と聞こえて仕方がない。先日、カミさんが地方巡業である町のホテルに宿泊した時のこと、チェックインの時刻が遅く、ホテルのレストランなどはすべて閉まっていたので、独りでバーに行って夜食を軽く食べていたら、隣のテーブルで3人の医師が飲んでいたらしい。3人とも40歳前後の立派な風格だったが、その話の内容があまりにも気の毒だったという。毎晩、患者の処置に追われて午後10時や11時の帰宅は当たり前、午前様も珍しくないというのに、朝は7時から検査の採血に走り回って、少しでもグズグズすれば看護婦(師)からブーブー文句を言われるのだ。カミさんも旦那の同業者だと思うから、一生懸命に聞き耳を立てていたらしいが、本当に可哀そうだったと同情していた。

 そんな話を聞きながら、私もかつての我が身につまされる思いだった。小児科医だった頃、未熟児・新生児の専門だった私に心身の休まる時はなかったのである。カミさんの海外ロケ出発を見送ってやろうと、前後に当直を入れて出発当日は成田空港に行けるように心づもりしていたところ、選りに選ってその日に限って体重400グラムの超未熟児が入院してしまい、カミさんの見送りどころではなくなってしまった。
 また新婚時代の土曜日の午後、一緒に食事をするためにカミさんと新宿で待ち合わせをしたが、途中でポケベルで病院に呼び返されてしまったこともある。「マイ・フェア・レディー」のオードリー・ヘップバーンのようなつばの広い帽子を斜めに被ってウキウキしながら待っていたカミさんを置いて再び病院に取って返した。
 アメリカでは心身ともに重圧のかかる未熟児医療の現場のスタッフは、燃え尽き症候群にならないように、適度なリフレッシュを取るべきであるという勧告が学会からなされていたのに対して、我が国の現状はそんなものだったのである。しかも最近でも、新生児医療は不採算部門であるという理由で、人員の増加など望むべくもないどころか、新生児病棟の責任者は赤字の責任を定例の管理会議で吊るし上げられるのだそうだ。
 それでも内科や外科ならば“余計な検査”をして多少は医療費収入を上乗せできる。詐欺・恐喝まがいの手口まで使って客を取るように命じられる営業マンの悲哀は、最近では社会問題になるくらい報道されているが、人を助けようと思って医師になった人間が似たような事をやらねばならぬだけでも良心の負担であるのに、そんな余計な採血さえも出来ないために院内で肩身の狭い思いをさせられる小児科医の悲哀を想像して欲しい。
 未熟児医療は大変だから少しはリフレッシュで休暇を取ったら?などと言ってくれる病院など日本には絶対あり得ない。医師なら働くのが当たり前だ、というのが、病院管理者のみならず国民一般の認識ではなかろうか。アメリカでは未熟児の健康を守るスタッフの心身の健康までも配慮したというのに…。
 話は違うが、戦時中の日本の航空隊のパイロットは戦場に出たら心身損耗するまで戦い詰めだったが、アメリカのパイロットは3交代で十分な休暇を貰えたそうだ。また先日タイランド湾に面したタイのリゾート地に行ったら、アメリカ海兵隊員たちが大勢休暇を取っていた。インド洋大津波の被災地救援に派遣された部隊だったが、腐乱した遺体の収容や被災者救護など心身に重圧のかかる任務期間中も、反対側の海岸で交代で休養を取るらしい。日本の部隊が同じことをやったら、被災者を助けるとか言って自分たちが物見遊山するのかと非難の声が上がるところだ。

 未熟児医療の話に戻るが、それでも“生きて帰って”病理に転進できた私はまだ幸運だったのである。カミさんから気の毒なお医者さんたちの話を聞きながら、私は新生児医療の先輩のN先生のことを思い出していた。某国立病院の新生児部門の責任者だったN先生は、新生児医療連絡会の初代会長に推挙されるほど人望のあるベテラン中のベテランだったが、私が病理に転進した翌年、40歳代半ばの若さで急逝された。過労死、または抑鬱状態の中での事故だったことは明らかである。
 実は死の半年ほど前、N先生から直々に私に来てくれないかという電話があった。片腕になれるくらいには熟練していた新生児医師の私に手伝って欲しかったに違いないのだが、私もやっとの思いで“死にそうなほど”重圧のかかる現場を離れたばかりだったので、その話をお断りしてしまった。
 私がお手伝いしていればN先生も亡くならずに済んだのだろうかと、思い出すと心残りであるが、ではどうすれば良かったのかまったく判らない。そのことを思うたびに申し訳ないような気持ちばかりが積み重なったのであろう、いつしか私はその記憶を封印し、つい最近、カミさんがホテルのバーで気の毒な3人連れのお医者さんに出会った話を聞くまで、ここ10年以上も再び思い出すことがなかった。

 今でも私は自分の選択が正しかったかどうか判らない。私がN先生の要請を断った行為は、医師としての教育を受け、専門医としての修練を積みながら、医療現場は修羅場だからと逃避したことにならないか。軍人がそんな無謀な作戦に参加したくないと言って従軍を断れば、それは立派な抗命罪、敵前逃亡罪である。
 しかし一介の現場の医師だったN先生が生命までを燃やし尽くし、私もかくまで懊悩しなければならなかった理由は何なのか、2005年7月16日の毎日新聞朝刊トップの見出しを見て、その正体がおぼろげながら見えてきた。
『アスベスト規制法案に業界抵抗 社会党議員92年に提出 審議なく廃案』
 アスベストとは最近では言うまでもなく、悪性中皮腫という胸膜や腹膜に発生する悪性腫瘍の原因となる物質で、耐火材や車のクラッチなど摩擦部位に工業的に用いられる石綿のことである。2005年7月に入って、こういう石綿を使用していた工場関係者や家族や周辺住民の間に悪性中皮腫が異常な高率で発生していたことが明らかとなり、大きな社会問題になった。石綿曝露から中皮腫発生までの潜伏期は長いので、今後30年間に患者の発生はさらに増える見通しである。
 このアスベストの原則使用禁止を定めた「アスベスト規制法案」が1992年、議員立法で国会に提出されたが、業界団体である日本石綿協会が「健康障害は起こり得ないと確信できる」とした文書を、政党や省庁に配布して、自民党などの反対で一度の審議もないまま廃案に追い込まれていたという。この記事に対して石綿協会は「当時は法律や行政指導を守れば安全だと考えたのだろう。現在とは社会状況も協会の考え方も異なる」という見解を述べている。
 冗談ではない。アスベストと中皮腫の因果関係については、医学部に入学した私がまだ「中皮って何?」という程度の知識しか無かった教養課程時代(すなわち1970年代初頭)、すでにアスベスト鉱山作業員、アスベスト工業関係者やその家族たちが中皮腫を発症してバタバタ亡くなっているという海外からの警告が翻訳されて、一般向けの図書にまで紹介されていたのである。それから20年以上も経っていたのに、「安全であると確信できる」などという一片の文書だけを根拠に、何の科学的裏付けも取らないまま法案を廃棄した日本の政財界とは一体どんな組織なのか。

 要するにこの国には国民の健康や幸福を守る気などさらさら無いのであって、そういう国家の中で、国民の健康を守るという使命だけを負わされた医師だけが懊悩しなければならないのである。国民は国家の“部品”の一部であり、“消耗品”なのだ。そして“部品”の保守に当たる医師や医療関係者もまた“部品”の一部に過ぎず、より効率的に部品の点検と修繕を行なうことだけが求められているのである。
 したがって産業経済社会の中で生産活動や商業活動にまだ直接タッチしていない幼弱な“部品”の保守に当たる小児科医などは、どこの病院でも非採算部門として切り捨てられる傾向にある。また小児科に限らなくとも、壊れた“部品”など新品に取り換えた方が効率的であるとする政財界の意向が、内科や外科をはじめとする他科の医師たちにもプレッシャーとなってのしかかっているのである。

 こういう構図は日本の戦前・戦後を通して一貫して変わっていないと思われる。戦前の日本にも国民を守る気などさらさら無かったが、その中で国を守るという使命を負わされた軍人たちは次々と勝てる見込みのない戦場に送り込まれ、最後は特攻隊という文字通りの“消耗品”として死んでいったのである。「愛する人たちを守るため」と無理やり自らを納得させて死地に赴いた兵士たちの最後の願いをも裏切るかのように、沖縄戦では一般市民までが銃を持って戦わされ、10歳代の少年・少女たちまでが鉄血勤皇隊、ひめゆり部隊として戦火に散った。また同じく本土でも決戦に備えて少年・少女たちまでが挺身隊として編制されていた。
 次代の日本を担う若い世代までを見境なく戦場に殺しておいて、あの時代の日本は何を守ろうとしたのか。国民の生命への脅威が警告されていたアスベストを野放しにして工業生産と産業経済を守ろうとした現在の日本は、未来に何を築こうとしているのか。こういう国で軍人として、あるいは医師として働くということは一体どういう意味を持っているのか。私がこのサイトに最後の一文を書き込むまでに、何とか解答を見つけたいと思っている。


診断するということ
 そもそも医者というものは、昔から洋の東西を問わず、自身のあらゆる感覚を駆使して患者さんの診断をしてきた。
<視覚:
見る
顔色が悪い、腫れ物がある、表情が暗い、挙動不審だ、…
<聴覚:
聞く
声がかすれている、心臓に雑音がする、胸の奥から咳をする、…
<触覚:
触る
お腹が硬い、肝臓が腫れている、脈が乱れている、…
<嗅覚:
嗅ぐ
傷口から腐敗臭がする、呼気に変な匂いがある、…
<味覚:
味わう
私自身はあまりやりたくないが、昔の医者は患者さんのオシッコを舐めて糖尿病の診断をしたという。

 そしてこれら五感に加えて、
第六感が働くようになると、やっと一人前の医者になれるのである。患者さんを診た時に、理屈ではなくて何かピンとくるものがあって、診断に到達するのである。この第六感というものは、その道一筋に診断を重ねて精進するうちに身につくのであって、医学部卒業したての医者が一朝一夕に真似できるものでは決してないのだ。
 私の医師生活中、最も驚いた名医の
第六感は、急激な肥満から白血病の脳浸潤を言い当てたある先輩医師の事例であるが、こういう名医に診て貰っても、卒業したてのボンクラ医者に診て貰っても、医療費が同じというのは、どう考えてもおかしいのではなかろうか。
 別に手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」のように、完璧な名医の名治療に何億円も支払うというのは極端としても、診療成績抜群と認められた“名医”(必ずしも専門医というわけではない)に対しては、ある程度の“自由診療報酬”的な診療費の上乗せを考えていかないと、今後の若い医師たちの“名医”への意欲を削いで、我が国の医療レベルの低下を招くことになりかねない。

 さてここで病理医とはどんな医者かというと、上記の五感のうち、
見ることにかなり特化した医者と言ってよいかも知れない。私たち病理の医者が普段はどんな仕事をしているのか、最近ではいろいろな本やマスコミが取り上げて下さるようになったので、御存知の方も多くなったが、数年ほど前まではひどいもので、「私は病理の医者です」と言うと、相手は怪訝な顔をして、「お医者さんも料理をなさるのですか?」と真顔で訊かれたという実話(!)もあるくらいだ。
 病理医は滅多に患者さんの前には姿を現さない。別にシャイな人が多いわけではないが、病理医は患者さんから手術や生検で切除されてきた身体の一部だけを検査しているのである。また残念ながら重い病気で亡くなられた患者さんの病理解剖もやっている。いずれにしても身体の一部も、亡くなった患者さんも静寂のうちにひっそりと病理医の前に佇んでいるわけであるから、聞くことはほとんどない。
 触ったり、嗅いだりすることも病理医が病気を検査するうえで重要な要素であるが、臨床の医者ほど重点があるわけではない。また患者さんから切除された身体の一部を味わって診断した病理医もいたが、この方は奇人と呼ばれていた(奇特な人という意味か??)。

 病理医の仕事の要務は、90%以上が
見ることである。それも顕微鏡を使って病気の原因となっている細胞や人体組織の形の変化を観察することである。(ドクターブンブンの職場見学ツアーも参照して下さい)これが臨床医と病理医の最も大きな違いであると思っている。
 私は病理医になる前は小児科医をやっていたが(ドクターブンブンの小児科時代を参照して下さい)、赤ん坊や子供の患者さんを診る時は
視覚聴覚触覚嗅覚を総動員、時々は赤ん坊のオシッコが口の中に入って味覚も働いたが、とにかく臨床医は全身を駆使して患者さんを診ているのである。病理医になって90%見ることに特化したのは新鮮な体験で、最初のうちはかなり戸惑った。

 もう一つ、病理医が臨床医と違うのは、
第六感を使ってはならないということだ。病理医は自分の目で見たことだけをもとにして、患者さんの病気を判断するのが仕事である。見えてもいないのに、さも見たような報告書を書く病理医は信用を失う。
 臨床医の第六感は、何かピンとくれば、それをさまざまな検査で裏付けを取ることが出来る。しかし病理医の場合、病理そのものが最終診断(Final Diagnosis)と言われるほど重要な検査なのだ。いくら熟練者といえども第六感だけで軽々しく診断を下すわけには行かない。

 では駈け出しの病理医と熟練の病理医の違いは何か?臨床医であれば、第六感が働くようになればかなり名医の部類に入るが…。
 病理医になりたての頃は、病理解剖にしても、手術検体や生検検体にしても、とにかく所見を
見るということを徹底的に叩き込まれた。しかし悲しいかな、初心者の頃は、いくら一生懸命見ても先輩病理医たちの半分も所見を見ることが出来ないのだ。物は確かにそこにあるのに見落としてしまうのである。
 こうして熟練病理医の半分くらい所見を取れるようになると、やっと助手として診断を手伝わせて貰えるようになる。まさに半人前である。ここに変な形の細胞があります、この組織の形が崩れています、ここには白血球やリンパ球が集まっていて、炎症が起こっています、といった所見を記載させて貰えるのだ。
 しかし所見を列挙するだけでは、所詮は病理医として半人前。一人前の病理医として仲間に入れて貰うようになるためには、
見た所見をもとに、患者さんの病気の本体を考察して、今後の病気の見通しや治療法などについて適切なコメントを付けられなければならない。
 何故この細胞や組織は形が変なのか、何故ここには炎症が起こっているのか、自分の目で
見たことだけを繋ぎ合わせて正しい推論に導かなければならない。そのためには多数の病理診断経験を積み、教科書や医学雑誌や学会などで膨大な知識を集めておくことが欠かせないが、この推論こそ臨床医の第六感に相当するものである。

 さて私たちと似たような仕事をしている業界として気象庁の天気予報がある。各地の気象台や人工衛星から集めたデータをもとに、今後の気象状況に関するコメントを出しているが、病理診断とはちょっとワケが違うんじゃないかい、と違和感を覚えた覚える方もおられるだろう。
 その原因は大雑把に言えば、あの“降水確率”という数字である。明日午前中の降水確率は10%です、と言われても困るではないか。明日は絶対に晴れます、絶対に雨は降りませんと言ってくれれば、傘を持たずに出かけることが出来るが、降水確率10%と言われれば、やはり念のために傘を持って行かなければならないかと思ってしまう。これでは「晴れ時々くもり、所により雨か雪」と言われるのと何ら変わりない。
 気象庁が言うには、同じ天気図が100回あった時に、晴れる確率は○%、曇る確率は○%、雨の確率は○%ということらしいが、毎日毎日千変万化の天気図で、まったく同じもの100回について確率を計算した結果なのかい、と突っ込みたくもなる。
 私たち病理医が、例えばこの病変は悪性腫瘍の確率50%、良性腫瘍の確率30%、何でもない確率20%です、というような診断を出していたら、患者さんは怒るだろうし、受持ちの臨床医だって怒鳴りこんで来るかも知れない。しかし病理診断の原理も、突き詰めてみればこの気象予報と大して変わりはない。

 「おいおい、困るじゃないか」と思われた人もいるだろうが、我々の病理診断の大部分(ほとんど99%以上)は、悪性の確率100%(あるいは99.99999%)です、良性の確率100%(あるいは99.99999%)ですと自信を持って断言しうるのである。誰が見ても(例えば初心者病理医が見ても)これは癌だ、これは癌でない、とすぐに判るものが80%以上はある。しかし残りの20%くらいは、もしかしたら癌かも知れないし、違うかも知れない、と悩むケースである。ここで前記の推論を行なって白黒決着させることが出来るかどうかが、病理医として初心者、半人前、一人前、熟練者のどれに相当するかの分かれ目になる。
 大部分の症例について、かなり高い確率で病変の良性・悪性を判断できるようになったのは、19世紀のVirchow(ウイルヒョウ)という人が細胞病理学という学問を始めて以来、100年以上の経験と知識の積み重ねがあるからであり、気象予報についても今世紀半ばくらいまでには、絶対に晴れます、絶対に雨が降ります、と断言できる日が、1年の90%以上になることを期待したい。

 さて日本人にとって気象予報以上に重大なのが震災予報である。大地震予知については、病理診断や気象予報に比べれば、過去のデータの蓄積はほとんど無に等しく、しかも予知が当たれば数千〜数万人規模の人命を救える半面、もし予知が外れればその経済損失は数百億円に上るだろう。地震予知関係者のプレッシャーは大変なものがあると拝察している。
 先日(2005年9月30日)フジテレビで面白い番組を放送していた。「みのもんたのSOS!」で、東京直下大地震についてさまざまな方向から検討を加える趣旨だったが、中でも面白かったのが、地震雲の研究だった。地震雲に関しては専門家の間でまだ評価が定まっていないようだが、雲の形の異常を地震の予知に結びつけようという試みは、細胞の形から病気の予後を判断している私にとっては普段から非常に身近に思っていたし、しかも今回の番組で用いられた研究方法は科学的にも説得力のあるものと思う。おそらく初期の病理診断の研究もこのようにして始まったのではなかろうか。

 番組を御覧になっていなかった方々のために、研究の内容を簡単に御紹介しておく。
 まず地震雲の定義、学問では言葉の定義が不可欠である。地震雲とは、磁気の変化に伴って大気中の水蒸気が凝縮し、異常な形を示したものであり、普通の気象学上の雲と違って、風などの影響を受けずに同じ場所に比較的長い時間にわたって留まるものを言う。
 次に研究方法、多数の視聴者から地震雲と思われる雲の写真を提供して貰い、撮影時期、撮影場所を特定して、その形態を分類した。
 その結果、とても面白い結果が得られた。東京で震度5強を観測した2005年7月23日の千葉県北西部を震源とする地震に関する雲だけを検討したところ、雲の形態と発生時期の間に密接な関連が見られたという。
@地震の2週間前:横になった棒状の太い雲。
A地震の1週間前:放射状、波状に連なった何条もの太い雲。
B地震の2〜3日前:縦になった竜巻状の雲。
C地震の直前:頭上にのしかかるような重苦しい塊状の雲。
 そして水蒸気で飽和した箱の中で、地震前に観測される磁場の変化に相当する磁気を時間を追って加えていくと、まさにこれらの雲の形が再現されたということである。
 まさにある物の形態に注目した研究という点では、病理診断と一脈通じるところがあって、私は面白かった。

(補遺)
 ただこのフジテレビの番組でいけないのは、各紙テレビ欄に載った番組のキャッチフレーズである。
『10月に東京を大地震が襲う衝撃データ発覚』
これには苦言を呈したい。そもそも首都圏地震の発生時期に関しては、さまざまな週刊誌や娯楽誌が毎年、毎月のように予言を行なっていて、いつ震災が起きても必ずどれかの“予言”は当たるに違いない。仮に10月に震災が起きたとしても、フジテレビが的中させたわけではないのだ。
 フジテレビのような大手テレビ局までがこんなエセ予言者まがいのキャッチフレーズで視聴率を稼ごうとするのはおかしなことである。患者の弱みにつけこんでインチキ薬を販売する悪徳商法と、基本的精神において同じことだ。
 確か企業買収のターゲットにされた時は、マスコミの社会的責任だとか何だとか口幅ったい事を言って、どこのウマの骨か判らん若造などが金の力で買収しようとするのは怪しからんと息巻いていたのはこの局だったと思うが、ただセンセーショナルなキャッチフレーズをバラ撒いて視聴率を稼ぐような事をするなら、どこのウマの骨でもいいから金持ち同士で売り買いして貰って、より刺激的な番組を作れるようになったら良いのではないか?

 番組を御覧になっていない方々に説明を補足するならば、東京大地震10月説の根拠は、日本の震度4以上の地震の発生日時を集計したところ、1年の下半期に多く、午前と午後の6時と12時を中心とした時間帯に多かったということである。(10月が最多だったらしい。)
 もしかしたら夏至から冬至までと、冬至から夏至までの地球の自転軸と太陽の関係かも知れないし、時刻との関連も太陽の位置が問題になるかも知れず、私にはそれなりに有意なデータにも思えたが、それでは調査範囲を全世界に広げたらどうなるか、特に北半球と南半球ではデータが逆転しているかなどを綿密に検討したうえでなければ、あのようにセンセーショナルな事を言ってはならない。


表では鼻クソほじるな化粧をするな

 今年は恐いインフルエンザが流行るらしいよ、とカミさんが友達から聞いてきたらしい。確かに鳥インフルエンザなど、いつ爆発的に感染が広まって大流行してもおかしくない状況だが、ではどうすれば良いの、と訊かれても困ってしまう。
 完璧な対処法などあるはずもないが、インフルエンザに罹る危険性を少しでも下げる簡単な方法だけは伝授しておいた。
 家から外に出たら、電車やバスのつり革や鉄棒、自動券売機やエレベーターのボタン、エスカレーターのベルト、その他の手に触れるあらゆる物体には、他人の咳やクシャミで撒き散らされた飛沫が付着していると考えることである。そんなウイルス粒子を含んだ飛沫が付いた指先を自分の鼻や口に持っていって、わざわざ粘膜にウイルスを“接種”している人を電車の中でよく見かけるが、これは「ウイルスさん、いらっしゃ〜い」と手招きしているも同然の行為だ。ボケ〜ッと鼻クソをほじっているオッサンや、口唇に塗り物しているオネエチャン、気をつけた方が良いよ。
 表へ出たら絶対に自分の鼻や口に手を触れない、自分の顔に触るのは家へ帰るか職場へ着いて、手洗いとウガイを十分にしてからにしなさい、とカミさんには言っておいた。もっともインフルエンザは直接空中の飛沫から感染すると言われているので、顔に触らなければ絶対大丈夫とは保証できないが、それでも自分で粘膜接種する人に比べればずいぶんマシなはずである。
 正確に統計を取ったわけではないが、私の同業者が流行性感冒に罹る確率は、他の職業の人に比べてやや少ないような気がしている。医者というものは、ある物に触った手で別の物に触らない、自分の体にも触らないという心構えが無意識のうちに出来ているためだろう。医者は病原体を患者さんに移さない、患者さんから貰わない、他の患者さんに媒介しない、ということを学生時代から徹底的に教育されているのである。その基本は手洗いだった。


検査するということ

 前々回、“診断するということ”を書いたが、診断の根拠になるデータを集めることが、すなわち“検査”である。医学の場合、人間の身体に管を入れたり針を刺したりして細胞や組織を採取してくるような、一般の方々から見れば身の毛もよだつような行為も検査だが、もっと簡単な採血(これも針を刺すが)、レントゲン撮影、心電図なども検査。またそういう道具や機械を使わなくても、足を組んで座って腰掛けてもらって、上になった方の膝をポンと叩いた時につま先がピョンと跳ね上がるのを見るような簡単なことも検査である。

 こういういろいろな検査の結果を集めて、総合的に患者さんの健康状態を判断する行為が診断であり、その診断の結果、適切な対策を講じる事が治療である。

 医学的に言えば、検査→診断→治療、ということになるが、そんな事くらいほとんどの人が御承知であろう。ところが人間の病気に関する検査については今さら言うまでもない事なのに、マンションやホテルのような建物の“病気”に関しては何の検査もなされていなかったことは、医師の私から見れば、まさに呆れて物も言えない。

 2005年11月、姉葉建築設計事務所が耐震構造計算書を偽造したことが発覚、多くのマンションやホテルが震度5程度の地震で倒壊する危険があると指摘されたが、計算書偽造を見抜けずに確認済み証を発行してしまったのは、国指定の民営確認検査機関のイーホームズ社などばかりでなく、長野県や平塚市や台東区などの行政機関も含まれるというから驚きだ。

 設計から施工までの間に“検査”という過程がありながら、民営検査機関でも行政の検査担当機関でも、違法な計算書がフリーパスだったというのは信じがたい話だ。あまりに巧みに偽装されたために“誤診した”とか“見逃した”というなら話は判る。人間がやる事である以上、必ず一定の割合でミスが出ることはあらかじめ想定しておかなければならないし、そういう想定されるミスに対しては各部署が良い連携を保って相互にカバーしあう体制を築いておかなければならない。
 大変申し訳ない事であるが、医学の検査も100%確実というわけではなく、一定の割合で起こり得る“誤診”や“見逃し”を互いにチェックしあっているのが現状である。

 ところが今回のマンションの耐震構造計算書偽造を見抜けなかったのは、それ以前の問題のようである。偽造を見抜けなかった一部の行政機関の担当者の言い分を聞いて、あまりの認識の幼稚さに驚いてしまった。
「我々の業務は性善説に基づいている。」
「一級建築士が作った計算書だから間違いがあるとは思わなかった。」

 これは病院で言えばこういうことである。
「まさかガンであるはずがないと思ったから、良性という診断書を書きました。」
この診断書に基づいて患者さんを帰したところ、1年後には手遅れになってしまった。検査担当者が上のような言い訳をしたら一体どういうことになるだろうか。

 せっかくレントゲン撮影をしながらろくにフィルムを検討しなかった。せっかく生検しながらろくに標本を顕微鏡で見なかった。今回の耐震強度偽造事件はそれと同じ事である。医療現場に比べてあまりに未熟な現状に驚くより他にない。
 そもそも性善説に立つのであれば、行政や民営の検査機関によるチェックは不要なはずである。専門の建築士といえども間違うかも知れない、あるいはモラルの無いヤツが建築士をやっているかも知れない、そういう前提に立って(極端に言えば性悪説である)提出されてきた書類を審査するのが“検査”ということである。
 性善説に基づいているから偽造を見逃しました、などという言い訳をヌケヌケと口にする担当官はどういう人間だろうかと私は思ってしまう。自分の業務は単なる形式だけで、何の実質的意味もありません、と自ら宣言して、私は無駄飯食いですと告白しているようなものだ。

 病理検査を担当して日々多数の検体をチェックしていると、この検体にはまず悪性の所見はないだろうな、という予断が入りかけることがある。この患者さんは早期癌だから転移はしていないだろうとか、この患者さんはまだ若いからガンなんかないだろう、などという思い込みであるが、まだ駈け出しの病理医だった頃、どの検体にもガンがあると疑って顕微鏡を見ていなければ駄目じゃないか、と先輩から怒られたことを思い出しつつ検査に当たっている。


人間の才能

 2006年2月、イタリアのトリノで開催された冬季オリンピックでは、日本チームの不振ばかりが伝えられていたが、大詰めの女子フィギュア・スケートでやっと荒川静香選手が金メダルを獲得して、何とか一矢報いた形になった。
 フィギュア・スケートだとか、夏季大会の女子体操や新体操、シンクロナイズド・スイミングのような採点競技では、どう見ても日本選手の体型は欧米選手に比べて不利に思えて切歯扼腕していたが、今回の荒川選手はそういうハンディキャップも感じさせないほどの優雅で圧倒的な演技を披露してくれて、一国民として感謝したい。
 個人的には、あの典型的な日本人の体型でオリンピックの銀メダルに輝いた伊藤みどり選手のジャンプの方が印象に残っているが、伊藤選手のジャンプは他の女子選手には見られない高さとキレの良さがあった。荒川選手も含めて歴代女子チャンピオンのジャンプは演技に合わせてクルクルッと回転するが、伊藤選手のは“クルクルッ”ではなくて“ピョーン”という形容詞が当てはまる、まるで男子のような豪快なジャンプだった。

 それはともかく、フィギュア・スケートもそうだが、モーグルだとかエアリアルだとか、スノーボードのハーフパイプだとか、一体どういう運動神経なのだろうか。例えばスピード・スケートだとかスキーの滑降や距離競技とかいうのであれば、普通のスケーターやスキーヤーが楽しむ程度の技術を、さらに超人的な体力と才能と根性とトレーニングによって記録を極限まで伸ばしていったものとして量的に理解できる。夏の大会の競走や競泳やマラソンも同じだ。
 しかし普通の人間ならばスケート靴やスキー板を履いて滑るだけでもほとんどの人が大変なのに、空中に踊り上がってクルクル回転したり、片足を頭の上まで挙げて滑ったり、ああいう技術は質的に理解できない。あのような才能を授与された人とそうでない人とは、肉体や脳がどのように異なっているのだろうか。

 バイオリニストのカミさんが荒川選手の演技を見て、まったくああいう才能は想像がつかないと嘆息していたので、あんたも同じだろうと言ってやった。私もカミさんと暮らしてン十年、常人には想像もつかない能力を目の当たりにさせて貰った。特にあの絶対音感という能力は、常人にはまったく理解できないものである。
 絶対音感というのは、きちんと調律されたピアノとまったく同じ高さの音、または聴音用の音叉とまったく同じ高さの音を、そういう器具の助けなしに聴き分ける能力のことである。自分自身の脳の中で、正確な音波の周波数の基準を持っていなければならないが、その基準はどこに位置付けられているのだろうか。これは空中に飛び上がった自分の肉体の位置と方向とを瞬時に判別する能力についても言えることである。
 ただ絶対音感を持っていると便利かというと、一般人にとっては必ずしもそうではない。耳に入ってくる音が、すべて絶対的な音の高さで認識されてしまうので、苦痛もあるらしい。例えば物を落とした時の響きや、ドアを閉めた時の音など、普通の人には何でもないのだが、それがA(ハ長調のラの音)とかD♯(ハ長調のレの半音上の音)などとして聞こえてしまうという。また夕刻の定時に街に流れるチャイムの音や、駅や信号のチャイムの音など、音程がメチャクチャなので拷問に近いという音楽家もいる。
 絶対音感というのは、普通人にも判るように説明するとすれば、例えばこういうことだ。小学校の頃に歌った「蝶々(ちょうちょ、ちょうちょ、菜の花にとまれ…)」を音階で歌えと言われれば、大概の人は調に関係なくこう歌う。
「ソ・ミ・ミ〜、ファ・レ・レ〜、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ソ・ソ〜」
これを相対音感といって、カラオケショップで歌える人なら誰でもある程度備わっている能力である。しかしハ長調でなく、例えばト長調で演奏されていた場合、絶対音感のある人はこう歌う。
「レ・シ・シ〜、ド・ラ・ラ〜、ソ・ラ・シ・ド・レ・レ・レ〜」
調が変われば歌い方も変わるが、♯や♭が出てくるので、絶対音感のある人は簡単に歌えなくなってしまう。もっともプロの音楽家はこんな簡単な曲を音階で歌う必要などないのであるが…。

 絶対音感といい、空中での姿勢制御といい、生まれつきの才能としかいいようのない能力を見ていると、つくづく人間の脳の不思議を思わざるを得ない。ただしバイオリン演奏のテクニックということになると、必ずしも生まれつきの才能だけではないようだ。バイオリン奏者と普通の人の大脳を比較したところ、左手の指(弦を押さえる指)に割り当てられている大脳皮質の距離が、バイオリン奏者では普通の人よりも長かったという報告が、Scienceという科学雑誌に掲載されていたことがあった。これはもしかしたら後天的な努力で補えることかも知れない。しかし訓練開始は早い方が良さそうだ。(Elbert,T. et al.: Increased cortical representation of the fingers of the left hand in string players. Science 270:305-307, 1995.)
 カミさんは3歳でバイオリンの演奏会を聴いて、自分もやりたいと言い出したそうだ。今回のトリノ・オリンピックで荒川選手の演技を見て興味を持った子供たちも、各地のスケートリンクに早くも押しかけているという。これを熱しやすい日本人の国民性と笑うなかれ、もしかしたらそれらの中に、自分の進むべき道を見出す子供もいるのだから。


ある医療事故

 最近、日本全国の各科医師の間で危機感の高まっている医療事故がある。帝王切開に伴う大出血で妊婦さんが亡くなられた事故に関して、担当医が刑事責任を問われて診療中に逮捕され、起訴されたという事例で、新聞報道などで御存知の方も多いだろう。この事故の顛末について、今や日本全国で産婦人科に限らず、大勢の医師たちの間に危機感が高まっているのである。
 こう書くと、何だ、また同業者同士の庇い合いか、と不愉快な顔をされる一般の方もいらっしゃるかも知れないが、実はそうではない。日本のほとんどの医師たちは、例えば慣熟していない手術を施して患者さんを死なせてしまった某大学病院の事件など、まず当事者に対して許容する気持ちなど持っていないはずだ。手術に立ち会っていた麻酔科医でさえ非難の声を上げたという。
 また普通の医師たちは、毎月のように報道される医療事故のニュースに接しても、それを他山の石として、自らの診療を反省する材料にする程度の冷静さを持ち合わせている。同業者の犯してしまったミスを、どうしたら自分たちは避けられるか、それを真剣に考えこそすれ、決して事故の責任者そのものに対して身内意識を感じたり、大袈裟な危機感など抱いたりしないものだ。

 では今回の話題となる事故は何故、全国の医師たちの間に深刻な危機感をもたらしたのか。事故の経緯を要約すると以下のようなことであった。

 平成16年12月17日に、前置胎盤・癒着胎盤のため福島県立大野病院産婦人科で帝王切開手術を受けた20歳代の妊婦さんが、児の出産には成功したものの、胎盤娩出に伴う大出血で亡くなられてしまったが、この担当だった産婦人科医師が業務上過失致死ならびに医師法違反(検死報告を警察に報告しなかったため)の容疑で、平成18年2月18日に逮捕され、翌月起訴されたのである。
 事故から1年2ヶ月も経てからの逮捕であるにもかかわらず、逃亡や証拠隠滅の恐れがあるという理由で、病院で診療の最中に警官が踏み込み、職員や患者さんの目の前から、まるで凶悪犯人のように連行されたという。警察側のその陰湿な逮捕劇も衝撃的だったが、全国の医師たちが危機感を高めているのは、実はそんな事に対してではない。
 事故のあった福島県立大野病院には産婦人科医師がたった1人しかおらず、年間200件もの分娩に対する全責任を1人で負わされていた。そういう貧困な医療行政の中で起こるべくして起こったとも言える今回の事故の刑事責任までを、担当の産婦人科医師個人に負わせ、県や病院の責任者たちは、まるで冷酷な殺人鬼のごとく連行された医師を傍観していたうえ、1ヶ月近くも保釈さえ認められなかったことに抗議すらしなかったという事態に対して、全国の医師たちは危機感を抱いたのである。
 すでに福島県をはじめとして、1人しか産婦人科医を雇っていない病院からの産婦人科の引き上げが始まっており、このままでは全国で分娩を取り扱う病院は雪崩を打って撤退することになると思われる。
 さまざまな医師が個人的に開設しているホームページやブログなどでは、「産婦人科医(や小児科医)は絶滅危惧種」などという自嘲の声が聞かれ、「これからは警官が帝王切開をやれ」と書き込む医師さえ現れる始末。一般の方々の中には、どうせ同業者の庇い合い、高給取りでステイタスも高いのだから事故を起こせば逮捕は当たり前、という冷ややかな声もある。

 大半の医師にしてみれば、十分な医師やスタッフの人数を揃えてくれないようなケチな病院でも文句を言わずに頑張っており、何より患者さんを助けようと懸命に努力しても、いざ結果が悪ければ、保険金目当てに人を殺したり、猥褻目的で女子供に悪戯したような人間と同等の扱いをされる、こんなことじゃ医者なんか到底やってられないわ、という気持ちである。

 私は“絶滅危惧種”の指定を受ける前に滅んでいった産科医、小児科医の1人であるから、今回の事故は他人事ではない。しかし事故そのものに対する判断はすでに司法の場に委ねられることになったわけだし、多くの医師たちの意見についてはネット検索でたくさんのホームページやブログが見つかるだろうから、ここではこの事故に関する私なりの分析と感想だけを書いておきたい。

 まず病床数150床の病院で、年間200件の分娩の責任を負っていることの意味を、県の役人や病院の首脳陣がまったく理解していないという背景が第一にあげられる。
 年間200件と言えば、2日にせいぜい1件か2件じゃないか、というかも知れない。しかし計画分娩(分娩の進行を薬や器具である程度コントロールして、ウィークデイの日勤時間帯に出産するように計画する。万一の事態になってもスタッフの人手が多いので、対処がしやすい利点がある)を徹底しない限り、200件のうち100件は夜間に出産となり、40件は日祭日に出産となる。
 もちろん大部分のお産は正常経過をとるので、産婦人科医が立ち会わなくても、助産師さんが介助してくれるが、産科の恐いところは、正常分娩はいつ異常分娩に突然変わるかも知れないことである。その時は夜中だろうが休日だろうが助産師さんからコールがかかるので、産婦人科医は何をおいても病院へ駈けつけなければならない。
 病院に産婦人科医がたった1人しかいなければ、その医師は常にポケットベルか携帯電話を持って、いつでも居場所を明らかにしておく必要がある。これがどれほど神経をすり減らすことになるか。今夜は何も無かった、今週も無事に済んだ、でも明日は携帯電話の呼び出し音が鳴るかも知れない。

 人間の神経というものは、それも40歳代、50歳代になった人間の神経というものは、そういう果てしない慢性の緊張の連続には耐えられない。こういう緊張が退職まで何年も続くかと考えただけで、ゾッとすることがある。何事も無い平穏な日々が続くように見えても、精神的な疲労が溜まり、判断力が鈍るのが自分でも判るようになる。
 しかし一旦、緊急事態で時間外に病院に呼び出されれば、全精力を傾けて診療に当たらなければならない。医者の人数が少ないからうまく行きませんでした、などという言い訳をしたくない。それがプロの矜持である。だからそういう言い訳をしたくなる瞬間を自覚した時、多くの医師は現場を去るのである。ある意味で大相撲の横綱の引退に似ているかも知れない。

 県の医療行政の担当官や病院の首脳陣は、そういう第一線の医師の心をまったく判っていない。確かに100〜200床規模の病院に多額の人件費を投入するのは難しい御時世である。
 しかし一方で、県の役人の“海外視察”などという恒例行事には、納税者が納得できないほど潤沢な予算が盛り込まれているのではないか。そんな予算を削って医師を雇え、現場の医師は心の中でそう思っても、これが医師の使命だと思い直して、愚痴もこぼさず少ない人数でも何とか頑張ってきたのが、これまでの日本の第一線医療の現実だったのだ。
 そんな中でついに逮捕者が出た。県の役人も病院の首脳陣も、十分な医師の充足を行なわなかった自らの責任に頬かむりして、医師個人が刑事責任を追及されるのを見殺しにした。おそらく今後数年間に、産科はもとより、小児科、麻酔科、外科、救急などの医師の現場離れは急速に進むだろうし、新たに医師免許を取得した新人たちは老人患者や軽傷患者相手の職場を志向するようになるだろう。
 福島県立大野病院のホームページにあるキャッチフレーズが白々しく見える。
「地域に信頼される病院」? 「患者さんの立場に立った医療」?(医師逮捕後かなり長いことそう書いてあった。)

 こういう医療行政の背景は背景として、では今回の事故を起こした医師にどのような過失があったか、私もかつての同業者であるから考えてみたい。報告書を読むと、事故の経過は以下のように要約できる。
 妊婦さんは20歳代の女性で、前回分娩時も帝王切開だった。今回も前置胎盤の診断であるから、帝王切開を選択したのはまったく正当である。普通は子宮の中にいた赤ちゃんが産まれた後から胎盤が出てくるのであるが、この胎盤が子宮の出口に形成されて産道を塞ぎ、赤ちゃんの進路を妨害しているのが前置胎盤である。胎盤は子宮の中にいる赤ちゃんに酸素や栄養を送り込む臓器で、ここには大量の血液が集中しているから、これが赤ちゃんの進路を妨害しているとすれば、赤ちゃんを無事に産むためには帝王切開するしかない。
 こうして事故当日の午後に執刀開始後、約11分で赤ちゃんを無事に取り上げた。前回のお産も帝王切開で子宮の近くが癒着していたであろうことを考えれば、これは産科医として平均以上の手並みである。
 さらに約13分後、胎盤が娩出されたが、ここで大出血(5リットル)を起こす。癒着胎盤だったらしい。胎盤は通常、赤ちゃん出産と同時に役目を終えるため、自然に剥離して脱落するような仕組みになっている(文字通り脱落膜という構造を持っている)。私も臨床医として分娩に立ち会っていた頃は判らなかったが、病理で胎盤の構造を顕微鏡で観察していると、つくづく生物の体はうまく出来ているということがよく理解できる。
 ところが非常にまれなことだが、たまに胎盤の組織が子宮の筋肉層にガッチリ食い込んで、なかなか剥がれなくなっていることがある。これが癒着胎盤。担当医は赤ちゃん娩出後もなかなか胎盤が剥がれてくれないので、おそらく無理に引き剥がそうと試みたのであろう。その結果、大出血が起こり、何回か輸血を行なったが、残念なことに胎盤娩出から約4時間後に妊婦さんは亡くなってしまった。

 1人の妊婦さんが若い生命を落としてしまったことに対し、医師であればその責任は免れない。行政が悪いということで免責されるような事態でないのは当然である。
 母親の顔を知らずに生きていかねばならない子供さんや、まさか想像もしなかった状況で突然伴侶を失った夫の方には、同業だった立場の者として、何と申し上げてよいか言葉が見つからない。

 私がまだ小児科医だった頃、近所の産科医院でやはり若い妊婦さんが医療事故で亡くなられ、赤ちゃんもやや容態が良くなかったので、私の病院に搬送されてきた。赤ちゃんの病状を説明した時、若いお父さんは怒りと悲しみに目を真っ赤にして、小児科の私に対してすら凄まじい敵意をぶつけてこられた事を思い出す。あのお父さんの気持ちはよく判った。
 あの時のお父さんと赤ちゃんには、その後どんな人生があったのだろうか。もう赤ちゃんも今では20歳を過ぎているはずだが、それがどんな20年間だったのか、考えると胸が痛む。そしてまた今回、同じようなお父さんと赤ちゃんの人生が新たに始まったかと思うと、何ともやりきれない。

 確かに昔はお産は決して母児ともに安全なものではなかった。私が産まれた頃の日本では、出生数10万に対して何と180人近い妊産婦さんが亡くなっている。つまり単純に言えば、私と同年代の人が千人集まれば、その中には必ずお産でお母さんを亡くされてお母さんの顔を知らずに育った方がいらっしゃるということだ。
 最近では周産期医療の進歩により、その数は激減しているが、それでも出生数10万に対して5〜6人の方が亡くなっており、その約1/3が今回の事故と同じ、分娩前後の出血によるものだという。

 しかし、そもそも妊娠・分娩とは危険なものだ、と居直ることは、最新技術を駆使する現代の医療チームに許されることではない。常に1人の不幸な転帰も出さないように努力することだけが、お産で生命を失った妊産婦さんたちに報いる唯一の道であることを肝に銘じるべきだ。そこで今回の担当医の過失はどこにあったか、検証してみたい。

 癒着胎盤を術前に診断することは不可能である。あらゆる分娩の際に癒着胎盤があるかも知れないという予測を持っておくことは必要だが、だからと言って、お産のたびに常に大量の輸血用血液製剤を準備しておくことはできない。街角での献血の呼びかけの光景を見れば判るだろう。病院で輸血に使用する血液は慢性的に不足しているのだ。使用しない可能性の方が高い血液製剤を分娩や帝王切開のために大量にストックしてしまった場合、交通事故で出血する怪我人用の血液はどうするのか。

 傍目八目の後知恵に過ぎないことは明らかだが、今回の医療事故の経過を読んでいて悔やまれることが一点だけある。胎盤娩出による出血が14時50分、子宮摘出開始が16時30分、この1時間40分がすべての分かれ目だったと思う。もし私が現場を担当していたとしたら、自分がどう考えたか、批判を覚悟で申し上げよう。
 胎盤娩出直後の出血の時点での最善の処置は、ただちに子宮の動脈を結紮して子宮を摘出することだった。胎盤剥離の手応えがいつもと異なることから、担当医は癒着胎盤に気付いたはずである。
 現在の私のように癒着胎盤の病理組織標本を観察したことのある者ならば、これはもう出血は止められないとすぐに判断できるが、昔の私のような臨床第一線の産科医は何を考えるか。
「妊婦さんのために何とか子宮を温存してあげたい。」
それが臨床医の発想なのである。今回はそれが仇になったといってよい。悪性腫瘍でもないのに臓器を摘出したくない、“無傷”の子宮を摘出すれば妊婦さんは悲しむだろう、その温情にとらわれすぎて、貴重な1時間40分を無為にしてしまったと思われる。
 この間、輸血・輸液の他にも、子宮収縮剤投与や用手圧迫など、出血を止めるあらゆる手立てを尽くしたはずだ。癒着胎盤の程度によっては、それで出血を止めて子宮を温存できる可能性もあるから、担当医はその可能性に賭けたのだろう。実際にはむしろ子宮を温存できる可能性の方が大きい。
 しかし打つ手、打つ手すべて後手に回ってくると、人間の判断力は鈍ってくる。よく野球の投手が敵に打たれ始めるとパニックになって火だるまになってしまうのと同じ心理である。そういう時、味方のナインはどうするのが良いか。野手がマウンドに行って、投手の代わりに状況を判断してやる、それでも駄目なら投手が交代する。
 医師も同じである。特に産科とか小児科とか麻酔科とか、ギリギリの状況で診療することが多い医師ならば、目の前の患者さんへの処置に没頭してしまって他の処置の選択肢が見えなくなるパニック状態を何回か経験していると思う。そういう状況から脱するきっかけは、傍らで見ている先輩や同僚(同じ専門の後輩のことも多い)の助言だけしかないと言ってもよい。

 そこでやはり今回の事故の原因の本質は行政の不備ということに戻ってしまうのだが、今回の担当医にとってそういう先輩や同僚や後輩はいなかった。県や病院が1人しか産婦人科専門医を雇ってくれていなかったのだから…。帝王切開には外科医と麻酔科医も加わっていたが、彼らには産婦人科の判断を補助できる自信が無かったのだろう。
 もう1人この病院に産婦人科医がいて、胎盤から出血が止まらなくなった時、「これはもう駄目だ、子宮を摘出しよう」と一声かけていたなら、今回の事故は起こらなかったに違いない。見えなくなっていた選択肢を改めて気付かせてくれるだけでなく、癌でもない子宮を摘出する責任を2人で分担できるという心理的効果も大きい。

 こうやって考えてくると、今回の医療事故の担当医師個人だけに刑事責任を負わせて、県の行政責任者や病院の管理責任者が頬かむりしている状況に対して、全国の多くの医師が反発を強めている理由が少しはお判りいただけただろうか。


インフォームド・コンセントの原点

 最近、医療の場でインフォームド・コンセント(informed consent)という言葉がよく聞かれるようになった。これは直訳すると「満たされた同意」という意味だが、要するに患者さんはこれから自分が受ける医療内容について、きちんと理解し、納得し、同意したうえで、それを自ら主体的に選択するということである。
 こう書くと何やらとても難しいことに聞こえるが、簡単に言えばこういうことである。
 これまでの医療では、医師は慈愛あふれる父親のごとく患者さんに接し、父親が自分の子供を無条件で絶対的に庇うように、医師は患者さんを守るべき強い立場であると考えられた。したがってこういう考え方を父権主義ともいう。
 ところが医学・医療の進歩とともに、父権主義にもいろいろと問題が出てきた。例えば予防接種の“父”といわれる英国のジェンナーは我が子を実験台として種痘法を開発し、世界中の多くの人々を天然痘の脅威から救ったとされている。まさしく文字通りの父権主義と言えるが、医学の進歩のためなら患者さんを実験台にしても許されるとなったら、これから病院にかかろうという人にとってはたまったものじゃない。

 そこで出てきたのがインフォームド・コンセントという考え方である。ここでは医師は、たとえ患者さんのために献身的に診療に当たろうとするのであっても、絶対的な父権者としてふるまうのではなく、患者さんと対等の立場で、これから行なう医療行為に関して客観的な説明をする義務が課せられるのである。「黙って俺に任せろ」ではなく、「私が行なおうとしているのはこういう事で、こういう方法を用いて、こういう具合に施行し、こういう結果が期待できるが、同時にこういう危険も可能性としてはあり得る。これであなたは私の診療を選択しますか?」と問いかけることになる。
 患者さんの方も、これまでのように医師を絶対的な慈愛者として、藁をも縋るような気持ちで仰ぎ見るのではなく、医師から受けた説明を聞いて、自分の頭でそれを理解し、自分の身体のことは自分自身で決定するという覚悟が求められることになったわけである。
 無条件で安心して我が身を任せられる慈愛あふれる父親のような医師に巡り合えたと思える人は幸福だが、安心できる医師かどうかの判断も患者さん自身が下さなければならないわけだから、当世の医師選びも大変である。

 さてこのインフォームド・コンセントという考え方の指針は、1964年に開かれたヘルシンキでの世界医師会総会で採択され、その後、何度か改訂を経てきているが、そもそもその原型は1947年のニュールンベルグ倫理綱領にあった。ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁くニュールンベルグ国際裁判に前後して定められたこの綱領、実はナチス・ドイツに協力した医師たちがユダヤ人やポーランド人など強制収容所に送り込まれた囚人たちに対して行なった生体実験があまりに酸鼻をきわめていたため、それに対する反省から生まれたと医学史では教えられている。
 しかし戦争犯罪であるナチス・ドイツの生体実験と、現在の医療界に広く普及しているインフォームド・コンセントの考え方を直結させるのはあまりに唐突であると私は考えている。
 ナチス・ドイツが行なったとされる生体実験はあまりに非道なもので、例えば高度1万メートル以上で撃墜された飛行機から脱出するパイロットの肉体にどのような変化が起こるかを調べるために、囚人を高空と同じ低圧状態にする。あるいはドーバー海峡の冷たい海に不時着したパイロットを救命する方法を見出すために、囚人を冷たい氷水の中に放り込む。あるいは新しい抗菌薬をテストするために囚人を破傷風やチフス菌に感染させる。等、等。もちろん何人もの被験者が死亡した、またはデータを取るために殺された。
 いちいち書くのもおぞましいこういう生体実験に対する反省から現在のインフォームド・コンセントの考え方が生まれたとするならば、インフォームド・コンセントが当然のこととして受け入れられるようになった現代以降の世界においては、もはや残虐な生体実験は行なわれないと確信できるのだろうか。

 もちろんナチス・ドイツに対する国際裁判後に採択されたニュールンベルグ倫理綱領には、生体実験に関する厳密な実施要綱が盛り込まれている。例えば動物実験などで十分な基礎データを揃えたうえで、最終的に人体で試験しなければならない項目だけに限るとか、被験者には実験の内容があらかじめ十分に説明されて、同意を得ていなければならないとか、あらかじめ危険が予測できる場合や、途中で危険が生じた場合は実験を中止しなければならないとか、どれもごくごく当たり前のことばかりである。
 私はこういう平和時における倫理規定などは、いったん戦争が始まってしまえば紙屑同然、あっと言う間に反古になってしまうと思っている。いや、国際法的な戦争状態に至らなくても、偏狭なナショナリズムが燃え上がるような事態になれば同じことだ。
 生体実験を行なったのはナチス・ドイツだけではない。関東軍防疫給水部の日本陸軍も中国やロシアの囚人たちにまったく同じ人体実験を行なっているし、アメリカ軍による原爆投下も史上最大規模の人体実験と言ってよい。アメリカは第二次大戦後の対ソ戦での核兵器使用を想定したデータを得る必要があったのだ。日本人は戦闘員・非戦闘員を問わず徹底抗戦してくる危険な民族だから、市街地に新型爆弾を投下するのに心理的抵抗は大きくなかったという証言も聞いたことがある。
 戦争になればナショナリズムが燃え上がる。そういう状況では敵国人は戦闘員であろうと非戦闘員であろうと見境なく、「殺せ、殺せ、もっと殺せ」ということになってしまう。これでは倫理綱領もインフォームド・コンセントもあったものではない。

 太平洋戦争末期の昭和20年5月、九州上空で撃墜されたB29爆撃機の搭乗員たちが捕虜になり、九州大学で生体解剖されるという事件が起こった。九大医学部事件である。民間人の頭上にも無差別爆撃を行なった極悪非道の捕虜どもだから殺ってしまえ、という凶暴な気持ちもあったとは思うが、生体解剖(生体実験)に乗り気だった教授以外、大多数の関係者たちはやはりこれはまずい事なのではないかと、気が進まなかったという。しかし当時の「鬼畜米英」の世相、および教授を中心とした封建的な医学部の機構の中で、誰一人として表立った反対を唱える事もできないまま、心ならずも捕虜たちに対する救命の意図のない実験的手術=生体実験を手伝わされる羽目になってしまった。
 戦後、そういうスタッフの1人だったある助教授は次のような意味のことを述懐している。どんなことでも自分さえしっかりしていれば防ぐことができる、九州大学では皆がしっかりしていなかったために生体実験などという非人道的な事件が起こってしまった、と。そして関係者たちは一様に悔悟と反省と自責に押し潰されながら戦後の日々を送られたようである。

 私は自戒も込めて医療関係の若い人たちに言いたい。医療一般や生体実験に関する倫理綱領などは、書物に書いてあるものではなく、またインターネットのウェブ上に公開されているものでもない。医療関係者1人1人の心の中にしっかり植え付けられたものでなければ何の意味もないのである。自分の上司や恩師、あるいは体制側の権力者から非道と思われる生体実験の介助を求められた時、あなたはそれをきっぱり断わって止めさせることが出来ますか?

参考図書:

@ クリスチャン・ベルナダク/野口雄司訳:呪われた医師たち―ナチ強制収容所における生体実験―(ハヤカワ文庫)
A 吉村昭:蚤と爆弾(文春文庫)
B 上坂冬子:生体解剖―九州大学医学部事件―(中公文庫)



ヒポクラテスはかく語りき

 ヒポクラテス(Hippocrates:英、Hippokrates:独)は古代ギリシャの医師である。紀元前460年頃にトルコ西海岸のコス島で生まれ、90歳あるいは104歳まで生きたとされる長寿の人で、その壮年期はアテネとスパルタが戦ったペロポネソス戦争の時代に当たる。
 世界で初めて医師の倫理を説いた「ヒポクラテスの誓い」は有名で、現在でも彼は“医学の父”とか“医聖”とか呼ばれて尊敬を集めている。多くの患者さんたちは今でもヒポクラテス先生のような医師に診療して貰いたいと望んでいるのではないか。

 ヒポクラテスは迷信と呪術にもとづいていたそれまでの古い医療を打破して、医学を経験科学のレベルにまで高めた最初の功労者の1人であり、弟子たちと共に地中海地方をあちこち旅して回り、風土や気候や生活習慣が人間の健康に与える影響を考察したほか、さまざまな病人を観察した結果、人体は血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の4成分からなっており、これらのバランスの乱れから疾病が生じるという“四体液説”を唱えたりした。なにぶんにも二千数百年も昔のことゆえ、その知識は幼稚ではあるが、物の考え方や事実の捉え方としては現代の医学にも相通ずるものがある。

 さてそんなヒポクラテス先生のイメージを多少なりとも傷つけるのは心苦しいが、ヒポクラテスの著書の中にはエッと驚くような言葉を見つけることができる。
 ヒポクラテスの論文のうち、医術とはさまざまな技術の一つであるということを主張した「技術について」というのがあるが、その中で彼は医術を次のように定義する一文を書いている。

医術とは何かについて、わたしの考えている定義を述べよう。医術とはおよそ病人から病患を除去し、病患からその苦痛を減じることである。そして病患に征服されてしまった人に治療を施すことは、医術のおよばぬところと知って、これを企てることを断わることである。

 前半の部分には誰も異論はあるまい。しかし後半部分はどうか。手の施しようのない重篤な病人には、もはや医療の助けを差し伸べるのはやめようと言っているのである。
 ヒポクラテスの考えによれば、医術とは次のようなものである。まず患者の病態をよく観察して、医学の力で助けられるものと助けられないものをよく区別すること、そして次に、助けられるものについては正しい治療を施すこと。こういう技術を“医術”と呼んでいるのだ。

 現代の先進諸国の医療機関のように、注射薬でも内服薬でも投与し放題、完全滅菌された使い捨て(ディスポーザブル)の医療器具も使い放題という贅沢な医療環境からは想像もつかないだろうが、おそらくヒポクラテスの時代には、薬はおろか栄養食ですら大変な貴重品だったと思われる。ヒポクラテスは医療の中でも特に内科的な食餌療法に重点を置いていたが、回復の見込みもない患者にまで貴重な栄養食材を処方できるほど豊かな社会ではなかったのではないか。
 このことはわざわざ古代ギリシャ時代にまで遡って考えなくとも、例えば第二次大戦直後の頃の抗菌剤(抗生物質)を見れば判ることだ。抗生物質とはカビなどの微生物が産生する成分を抽出したもので、当初は大量生産にも限界があって、それこそ貴重品だった。肺炎になった家族を助けるために家屋敷を売り払って抗生物質を手に入れたなどという話もあったくらいだ。バイオの技術で量産される抗生物質を湯水のごとくバカスカ投与する現代医学の常識は通用しない時代である。

 少なくとも現代ほどは豊かでない時代にあって、ヒポクラテスは医術を上のように定義した。手の施しようのない患者には治療を行なわないこと、そしてその判断を下すことこそ医術であると。
 しかしこのヒポクラテスの原則は、もし大災害や大事故などが発生した場合、現代の医療機関にもただちにそのまま適用される。そういう多数の死傷者が想定される状況になれば、地域の医療機関には多数の傷病者が集中することになり、限られた医療スタッフや設備だけではとても間に合わない事態になるであろう。
 ほとんど治療の必要もないほどの軽傷者に手を取られていては重傷者に十分な診療ができなくなるし、逆に手の施しようのない瀕死の重篤な患者に関わっていては、本来なら助けられたはずの患者の治療が手遅れになってしまう。次々と搬送されてくる傷病者の重傷度判定を正しく速やかに行なうことが、大規模災害などが起こった時の医療機関の救急部には求められることになるが、まさにヒポクラテスの医術が再現されるわけだ。

 こういう救命救急の現場もそうだが、末期患者に対する延命措置の停止をどうするかという問題などを考えるうえでも、ヒポクラテスの文章は古くて新しい含蓄があるように思える。

参考図書:

ヒポクラテス/小川政恭訳:古い医術について 他八篇(岩波文庫)



なぜ人を殺してはいけないか

 なぜ人を殺してはいけないか?
この問いに答えられない大人があまりに多くて世間が衝撃を受けたことがあった。神戸で猟奇殺人を犯した14歳の少年のような人間がどのようにして育ってしまったのかを検証した時に、人殺しがなぜ悪いのかを子供に明確に返答できる大人はかなり少なかったらしい。
「人を殺しちゃいけないから殺しちゃいけないのよ」
「人を殺せば死刑になるから人殺しはいけないんだ」
これらはまったく理屈になっていない。今まで自明の理だと思っていた事柄を改まって子供から質問されて虚を衝かれたようなヒステリックな答えである。
 確かに自明の理だと思っていたことを改めて説明するのは難しい。
「1たす1はなぜ2になるの?」
と聞かれて咄嗟に理由を言える人は少ないかも知れない。

 私に解剖実習を教えてくれた養老孟司先生は著書「死の壁」の中で、生命は一度壊してしまうと二度と元通りに直せないから殺しては駄目なんだと書いておられる。また、そう考えることによって、二度と作り直せない他の動植物の生命を奪うことで生きている人間の罪深さを自覚できるとも書いておられる。
 養老先生の説は、理科系の論法でこの問題を突き詰めていった時に最終的に行きつく結論で、確かに一理あるようにも思えるが、果たして元通りに作れないものを壊してはいけないというだけで説得力があるだろうか。それなら人間が決して作れない石油から取ったガソリンを燃やして自動車を運転することも罪深いことではないのか。ガソリンは生命ではないと言っても(太古は生命体だったが)、燃やしてしまえば二度と作れないことに変わりない。生命は複雑なものだから壊しては駄目というのは、殺人を否定する根拠としては少し弱いと思う。

 実は殺人はいけないという根拠は、理科系の人間にとっては盲点なのだが、法律体系の頂点に位置する憲法の条文に明確に規定されているのだ。刑法ではない、憲法である。
 憲法とは、国家権力に対して個人の人権を保障する最高位の社会規範と言える。現在の日本のような国に生まれたからこそ、基本的人権は当然のこととして享受していられるが、1人1人の人間の権利は大切だという考え方が受け入れられたのは1789年のフランス革命以降、人類の長い長い歴史の中でもまだわずか220年足らずの期間に過ぎないのだ。また現代世界においても、国家の最高権力者の思惑一つで収容所送りになったり、妾同然の娼婦にされたりする国だってある。基本的人権は当たり前のことだと思って油断していれば、あっと言う間に踏みにじられてしまう可能性すら秘めている。そうさせないための規範が近代憲法である。
 人類は血で血を洗うような苦しい戦いの結果、基本的人権を普遍的価値として勝ち取ってきた。(残念ながら日本人にとっては欧米を模倣しただけのことだったが…。)だから国家の最高規範たる憲法には、基本的人権の保障、および国家権力がそれを蹂躙できないように権力を分散させる三権分立の2点が謳われるようになった。人権尊重と三権分立が謳われた憲法を近代憲法と呼ぶ。だから、聖徳太子の「和を以って尊しとなす」の17条憲法は近代憲法とは言えない。

 さてこの意味で、日本国憲法の最も重要な条文は、個人の尊重を謳った第13条であることは間違いない。

第13条(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉)
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


日本国民には、思想、良心、信教、表現、居住、学問、その他諸々の自由が保証され、日本国憲法の下で幸福な生活を追及する最大限の権利を有していると解釈されるのだ。

 ただ幸福追求の最大限の権利と言ったって限界はある。他人の権利を侵害してまで個人が自分の幸福を追求することはできない。他人との権利が衝突するような場合には、これを調整する原理がなければならず、日本国憲法はそれを「公共の福祉」と呼んでいると解釈できる。公共の福祉とは、決して権力者にとって都合の良い「公共原理」ではない。(例えば“愛国心”など)

 ここに「なぜ人を殺してはいけないか」という法律的な答えがある。例えば、自分の幸福な生活のためにある人を殺したいと思ったとしよう。知られたくない秘密を握られてしまったとか、どうもムシが好かない奴で顔も見たくないとか、あるいはストレスでムシャクシャして誰でもいいから殺してスッキリしたいとか、理由はいろいろあるだろう。とにかくある人を殺せば、自分は今より幸福になれると信じるに足る根拠があったとする。
 では自分の幸福追求のためにその人を殺しても良いのか。我々は幸福追求のために最大限の権利を認められているはずである。
 しかしここで考えなければいけないのは、相手の人にも幸福に生きる最大限の権利があるということである。自分の幸福追及のために相手を殺す権利があるのと同時に(無制限の権利であれば、昔の絶対君主のように当然そういう帰結になる)、相手にも殺されずに生きる権利がある。権利と権利が衝突した時にそれを調整するのが公共の福祉という原理である。殺す権利と、殺されずに生きる権利、法律はこの二つを天秤にかけて、後者の方が無条件に強いと判定するのだ。
 なぜ後者の方が無条件に強いか。ここで初めて養老先生の説が適用できる。殺してしまえば元に戻せないからである。

 なぜ人を殺してはいけないか。相手にも生きる権利があるからだ。生命は一度壊してしまえば二度と作り直せないからという養老先生の説だけなら、ではクローン技術などで生命を作り直せるようになれば人を殺しても良いのかということになる。
 そこまでSF的な発想をしなくても、なぜ他人の金を盗んではいけないかという説得ができなくなる。金に困ったので他人の金をつい無断で使ってしまった、でもバレたら返せばいいんだろ。それで済んでしまう。

 日本国憲法の「公共の福祉」の原理は、殺人のみならず、ほとんどすべての犯罪と呼ばれる行為を否定する根拠を含んでいる。
 なぜ自分の幸福のために人を殺してはいけないか。相手には生きる権利があるからだ。
 なぜ自分の幸福のために他人の金を盗んではいけないか。その金を正当に稼いだ相手に優先的に消費する権利があるからだ。
 なぜ自分の幸福のためにセクハラをしてはいけないか。相手の女性にはセクハラをされずに安心して勤務する権利があるからだ、等、等。

 もうここ何年来、日本の大人たちは「公共の福祉」の原理を次代に伝えることが出来なくなっていた。自分の幸福のためなら何をしてもよいと勘違いして、相手にも権利があることを忘れてしまっていた。
 犯罪には直結しないまでも、次のような例はいくらでもある。新幹線などの列車内でキャアキャア大声で騒ぎながら走り回る子供を放置する保護者。もっとひどいのはクラシックコンサート会場で退屈した子供がバタバタ通路を走り回るのを咎めない親。呆れたことに、これを注意した時のバカ母の返事、「ウチでは子供は自由に伸び伸び育ててます」だと…。
 なぜ列車内で騒いではいけないか。他の乗客にも静穏に旅行する権利があるからだ。
 なぜコンサート会場で余計な音を立ててはいけないか。他の聴衆にも音楽を聴く権利があるからだ。子供が退屈を紛らわす権利と、他の聴衆が静かに音楽を聴く権利が両立できないとすれば、よりデリケートな権利、すなわちいったん失われたら回復不能な権利の方を守らなければならない。つまり客席の静謐である。
 こういう「公共の福祉」を躾られてこなかった子供たちが、今や次々に成人しつつあると感じる。学校の講義中など静かにしていなければいけないというのは、我々の世代では当然の常識だった。しかし最近教壇に立っていると平然と私語する学生が多いのに呆れる。しかも彼らはまるで悪気がないから却って始末が悪い。彼らが悪いのではなく、幼児期から少年少女期に彼らを育てたバカな大人たちが悪いのであり、そういうバカな大人たちの大部分は実は私たちの世代なのである。
 講義に退屈した学生たちが、他のクラスメートの講義を聴く権利を妨害する程度なら、まだ社会的には大きな問題にはならないが、「公共の福祉」を叩き込まれていないこういう人間が、将来殺人まで犯したとしても私は不思議とは思わない。自分の幸福のためなら、金に困って人を殺す、変態趣味が昂じた欲望のために弱者を殺す、それで何ら反省することがない。最近、凶悪な殺人事件が増えたのも「公共の福祉」の原理が忘れられているせいではないのか。


車内居眠り考

 居眠りほど気持ちの良いものはない。職場などでも昼休みなどに、数分でもいいから椅子やソファにもたれて居眠りをすると、午後の仕事中も頭がスッキリするし、また昼間の仮眠は夜の本格的睡眠にも良い影響があるという研究があるらしい。
 学生さんたちの中にも私の講義中にコックリコックリやっている人がいる。せっかく講義しているのにチクショウと思うが、これは彼らや彼女らばかりを責められない。私だって学生の頃は講義中にしょっちゅう居眠りしていなかったとは胸を張って言えないし、今だって学会の講演なんかを聴いていても、日頃の疲れが出てきて瞼が重くなったりするのだから…。
 講義や講演中の居眠りはあまり褒められたことではないが、それでも日中の仮眠は健康のためにはそれほど悪いものではないと思う。しかしここでは電車やバスの中での居眠りの話。

 朝晩の通勤・通学電車に乗っていると、必ず目につくのが座席に座った途端に条件反射のように睡眠モードに入る人たち。年齢層は10歳代の学生・生徒さんたちから、20歳30歳の若手諸君、40歳50歳の働き盛りの人たち。意外に70歳80歳くらいでは目が覚めている人が多いが、車内の居眠りは高齢者以外のほぼすべての年代にわたっていると言える。ただしこれは日本人に限った観察であって、外国人が車内で寝ている光景はまだ見たことがない。外国人といっても中国や朝鮮の人は見分けがつかないが、これに関しては香港やソウルの地下鉄に乗った時に車内で寝ている乗客はほとんど見なかった。少なくとも日本の都会の電車に比べたら圧倒的に少なかったように記憶している。(私の記憶が間違っていたら教えて下さい。)
 そういうわけで、ここ何日間か大雑把な統計を取っているが、朝晩の通勤・通学時間帯の列車内で、座席に座った日本人乗客が何をしているか。居眠りが30〜50%でダントツに多い。次に新聞や雑誌や文庫本を読んでいる人が30%前後、新聞は日本経済新聞とスポーツ新聞がほぼ半々で、その他の一般紙は少数派。スポーツ新聞を読む人は小さくたたんで読む傾向が強いが、日本経済新聞は広げて読む人が多い。我が国の経済を支えているのは俺たちだという自負の表われか?(ジャマだ。)
 1位が居眠り、2位が新聞や本、3位は何でしょうか?答えはこの文末を参照のこと。ちなみに4位は化粧、5位は物思い・食事・黙考等。まあ、時刻や路線によって順位の多少の変動はあるし、本を読んでいた人がそのまま睡眠モードということも多いが…。

 私は車内での居眠りはお勧めできない。長距離の旅行ならともかく、せいぜい20分〜30分程度の乗車で座席に座るたびに寝てしまう人はやはり能天気としか言えないのではないか。警戒心が足りない。もし車内でいつも寝てしまう人が私の部下なら、大事な書類などは預けない。
 かなり前のことになるが、私とカミさんが都内の地下鉄に乗ったら、時間帯も遅かったので車内はガラガラだった。ちょうど向かいの座席に熟睡している男性、体は斜めになってグラグラと舟を漕いでいる状態。その隣りにピッタリくっついて1人の老人男性が座った。60歳から70歳くらいか。老人といっても鷹のように目付きが鋭い。車内はガラガラだったから、わざわざ眠っている男性に寄り添って座るなんて、そもそも最初から怪しい。
 私はその老人が何かするに違いないと感じて、ずっとその手元を睨んでいた。後で聞いたらカミさんも同じだったらしい。向かいの座席の夫婦者の視線があっては、さすがの老人も“仕事”は出来なかったようだ。次の駅で私たちが電車を降りる気配を察したらしく、自分もサッと座席を立って私たちの数歩前を降りて行った。
 その怪しい老人の後から電車を降りた私たち、時間差にしたら1秒か2秒しかない。ところがホームに降りてアッと驚いた。右を見ても左を見ても、その姿はかき消すように見えなくなっていたのだ。まさしく現代の“忍者”といってよい。おそらく私たちの死角を突いて再び同じ列車内に舞い戻ったのだろう。熟睡していた若い男性は哀れにもカモになった可能性が高いが、確たる証拠があるわけじゃなし、誰に通報するわけにも行かなかった。

 ああいうプロ級のスリと思われる人物を目の当たりにしてから、私は滅多に車内で寝ることをしなくなった。どうしても眠くなって困るようなことがあれば、腕組みした一方の手を胸ポケットに当てて貴重品を握ったまま、何か刺激的な事を考え続けるようにはしている。気休めに過ぎないかも知れないが…。
 ついでに恐いことをもう一つ付け加えておけば、通勤電車に限らず新幹線などでも警戒を解いたら大変なことになる。まだ浜松勤務だった頃と思うが、新幹線の2人掛けシートで本を読んでいたら、隣に座っていた男が何気なく立ち上がって網棚の上をゴソゴソやり始めたのだ。たぶん自分の荷物から何か取り出そうとしているのかなと思っていたが(そういう動作は誰でもよくやることだ)、念の為に網棚を見上げると、その男が手を突っ込んでいたのは私の荷物だった!
 とにかく自宅とか、気心の知れた職場とかにいる時以外は、絶対に油断したら駄目である。それなのに何で電車の座席に座った途端、コロッと眠ってしまう人がこんなに多いのか不思議である。

 先ほど車内で眠っているのは日本人だけと書いたが、カミさんの父もそんなことを言っている。戦後、日本人とアメリカ人(進駐軍関係か)が乗り合わせるバスをよく使ったらしいが、車内で寝ているのはすべて日本人で、アメリカ人は1人も寝ていなかったという。

 日本人は体力がないのか。あるいは長いこと島国で鎖国を続けたために、身辺の安全は当然のこととして外敵を警戒する習慣がついていないのか。
 私はそればかりではないと思う。日本人の思考回路は不活発なために、ほんのちょっとした休止だけでも電源が切れてしまうのではなかろうか。パソコン画面の省電力モードと同じことである。大学生らしき若者が向かいの座席に座ったと思ったら、次の瞬間にはコテッと睡眠モードに入ってしまったのを見た時、この比喩を思いついた。
 体力不足で疲れているわけでもない若者が、あそこまで簡単に人前で眠れるものかと驚いた次第だ。別にお年寄りが乗って来たので慌てて狸寝入りをしたわけではなかった。

 通勤・通学の電車は日常の移動手段に過ぎないが、それでも面白いことはいっぱいある。他の乗客たちの観察も面白いし、吊り広告から雑誌の記事内容を推測するのも面白い。車窓の景色だって季節や天候によっても違うし、踏切が開くのを待っているドライバーの心境を想像するのも一興、また沿線の工事現場の進捗状況なども毎日見ていると飽きないものがある。
 要するにどんな他愛のないことでもいいから自分の頭脳を回転させていさえすれば、よほどの睡魔が襲って来ない限り、電車の中で寝ることなどない。日本人は自分の頭脳を働かせることが苦手な国民なのではなかろうか。だから何事か行動する時に、自分の判断ができない、自分の意見が持てない、他人の判断に縋って無条件で他人の後ろからついて行く、ある権威筋の意見をそのまま自分の意見としてしまう。
 そういう国民性が車内での居眠りに表われているように思われる。これは考えようによっては、プロ級のスリに懐中物を狙われるよりもずっと危険なことなのだが…。

 最後に文中のクイズの答え。車内で乗客がやっていることベスト3。第1位が居眠り、第2位が新聞や本を読む。第3位はすでにお判りと思うが、携帯電話の操作である。


日本人のリズム

 私は中学・高校時代、吹奏楽(ブラスバンド)のドラムをやっていた。アマ・プロを問わずそういう演奏経験のない人たちに、あなたも何か楽器をやりませんかと言うと、ほとんど例外なく、「私は太鼓くらいしか出来ませんから…」という答えが返ってくるだろう。
 確かにアメリカン・フットボールの試合などを応援するマーチング・ドラムのようなアクロバット的な奏法でなければ、軍楽隊やブラスバンドのバスドラム(大太鼓)は、素人目にはただ叩いているだけのように見えるので、あれなら俺でも出来そう、と誰でも思うらしい。
 ところがそれが素人の浅ましさ…。大太鼓がいかに難しいかを如実に示す光景がある。例えばちょっと軽い演奏会のプログラムが終了して、アンコールに『ラデッキ―行進曲』とか『星条旗よ永遠なれ』のような誰でも知ってるノリの良いマーチが演奏されたとする、そして指揮者が客席の方に向き直って、「さあ、皆さんも手拍子をどうぞ」ということになったとする。客席から一斉に手拍子が起こるが、ステージ上の楽団の演奏とは全然合っていない。半拍以上遅れていたりする。

 ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートのアンコールの『ラデッキー行進曲』では聴衆の手拍子の遅れはそれほど目立たないのだが、日本国内の演奏会の場合はかなり悲惨である。日本人聴衆に対しては客席の手拍子の催促などしなければいいのに、多くの指揮者は外国の真似をして聴衆に手を叩かせたがって、大抵の場合、曲目とはまったく別のバラバラのリズムが打ち鳴らされることになる。
 あの客席の手拍子が吹奏楽のバスドラム(大太鼓)のリズムである。自分の両手を打ち鳴らすのでさえあんなに遅れてくるのだから、スティック(太鼓のバチ)を持って太鼓の皮を打つとなったら、もっと遅れて曲の足を引っ張ることになるのは間違いない。

 バスドラム奏者は吹奏楽のリズムの要である。指揮者が考えているリズムのツボの所で“ドン”と音が出るように、太鼓のバチを振り下ろさなければならない。指揮者がここという所でバチを振り下ろし始めても遅い。バチが太鼓の皮に届くまでにわずかな時間差があるので、それでは曲のリズムの足を引っ張ってしまう。
 だからバスドラム奏者は、この時間差を予め修正したタイミングでバチを振り下ろし始めなければならない。これが難しいのである。ヘタクソな奏者だと、日本人の素人聴衆の手拍子と同じで、曲をメチャクチャにしてしまう。

 吹奏楽の団員は全員がバスドラムの音を聴いている。いや、聞こえてしまう。バスドラムがリズムの要所要所の頭で“ドン、ドン”と音を出すから(これを先打ちという)、これにスネアドラム(小太鼓)の後打ちが乗っかり、金管楽器、木管楽器もこれに乗っかることができる。バスドラムがリズムを締めないと、いくら指揮者が正確に棒を振っても曲は締まらなくなるのである。アンコールのマーチで聴衆がメチャクチャな手拍子を打っても曲が壊れないのは、逆に言えばバスドラム奏者がきちんと本来のリズムを刻んでいるからだと言える。

 ところで日本人はこの先打ちのリズムが出来ないとカミさんは言う。日本のリズムは演歌や民謡だから、日本人にこの先打ちのリズムを打たせるとどんどん遅れるそうだ。試しに『炭坑節』でも『チャッキリ節』でもいいから、歌いながら手拍子を打ってごらんなさい。“ポン”と手を打ち合わせる前に必ず両手を外側へ開く動作が伴うでしょう。
 ヨーと手を開いてから、おもむろに“ポン”と手を合わせる。つまり、ヨー“ポン”、ヨー“ポン”となるわけだが、このヨーの部分があると音楽の先打ちには合わせられなくなる。だから日本人のリズムは遅くなるというのがカミさんの説明だった。
 だが私は少数の例外を知っている。津軽のジョンガラ三味線のリズムは先打ちがポンポン決まるが、これはやはり日本の音楽のリズムの中では特殊な部類に入るだろう。カミさんの言うとおり、日本人のリズムは諸外国に比べて一呼吸ずつ遅れる傾向があるのは事実だ。

 別にそれが悪いというわけではなくて、先打ちのツボが一呼吸、あるいはワンテンポずつ遅れ気味になるのが日本人の固有のリズムということだろう。日本人ばかりでなく、どうも人種や国民ごとに固有のリズムがあるらしい。例えば『美しき青きドナウ』とか『ウィーンの森の物語』のようなウィンナワルツ。通常のワルツなら、1・2・3、1・2・3とリズムを刻んでいけば良いのだが、ウィーン子がこれを演奏すると、1と2の間が少し詰まって3で元に戻るので、2と3の間がやや間延びするような感じになる。これが本場ウィンナワルツの固有のリズムだ。
 またポンポン、ポンポン先打ちを決めるのに黒人にかなう者はない。彼らが長い手足を動かして踊ると、どんどん曲を引っ張るように先打ちを決めていくので、日本民謡とは逆にノリが良くなる。何年も前に某社のテレビCMで数人の黒人男性ダンサーが踊る画面にホーっと息を呑んだが、代わりに日本人が同じリズムで踊るバージョンに変わった時には、気の毒なくらい滑稽だった。

 日本人固有のリズムは何も音楽や踊りに限ったことではない。日常の動作にもそれは表われる。私が最近一番注目しているのは、雑踏での歩き方だ。駅のホームや階段などの人ごみでは大勢の人の流れが互いに交差してぶつかり合っている。この交差する人同士の避け方がいかにも民謡風だ。
 私は中国の大都市の雑踏で、なぜ日本と同じくらい大勢の人間や自転車が、日本よりもスムースに互いに行き交うことが出来るのか、長いこと疑問に思ってきた。と言うより、なぜ日本人は中国人よりも雑踏の歩き方が下手糞なのだろうか?その大きな原因の一つが日本人の“民謡風”歩行かも知れないと今は思っている。

 今、自分の進行方向に直交する人の流れを横切るところだとする。朝晩のラッシュ時間帯の大都市の駅などで必ず出くわす光景だ。
  
●→
       ↑
       ○
       

白さんの前を黒さんが横切るところ。一番良い通り抜け方は、白さんと黒さんが互いの動きを目で確認して、タイミングの早い方の人が先にスルッと交差ポイントを通過し、遅い方の人は心もち相手の後方に回り込むようにして列を突っ切ることである。後続の人は順次同様。
 しかし日本の駅の雑踏を見ていると、白さんはここで一歩踏み出さずに立ち止まってしまい、黒さんを完全にやり過ごしてから再び歩き出そうとする。ヨーと手を開いて“ポン”と手を打つのと同じ間の取り方だ。ヨーと立ち止まって、おもむろに“ポン”と足を踏み出そうとするのだが、その時にはすでに黒さんの後から赤さんや青さんが続けて通って行くので、結局、白さん立ち往生。白さんの後に続く紫さんも立ち往生ということになる。
 私はこのために日本のラッシュ時間帯は必要以上に混雑しているのではないかと思う。外国人の集団同士が日本のラッシュアワーで行き交うことはほとんど無い(きっと皆無)だろうし、外国には日本ほどのラッシュアワーも無いので比較検討は難しいが、少なくとも南京や上海の中国人歩行者や自転車の群れは、日本人よりも上手に雑踏を渡っていた。

 たぶんこう書くと、そうやって“正しい”歩き方の講釈などして、老人や障害者のことを考えてあげていない、いい気なもんだと批判する方がいらっしゃるかも知れない。しかしそれは話が逆である。大勢の元気な者たちの歩き方のせいで雑踏の混雑が激化した結果、老人や障害者の危険も増しているのではないか。人の流れが衝突して停滞していては道を譲ろうにも譲れない。
 思いやりとか譲り合いとか言う前に、まず元気な人間たちが不必要な渋滞を作らないように気をつけなければいけないのに、リズム感の良くなった若者たちまでが携帯メールを打ちながら歩いたり、ヘッドフォンで独り音楽に浸りながら歩くために、交差する人の列とタイミングを合わせようとする努力さえ怠るようになってしまった。これでは日本の都会の人ごみは緩和されるどころか、今後ますますひどくなる一方かも知れない。

 ところで音楽のリズムは“時間”を区切ることだが、日本人は“時間”ばかりでなく、“空間”を区切るのも苦手ではないのか。これも混雑時の電車内の動作に見ることができる。
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今、7人掛けの座席に3人がこのように座っているが、ここへ4人目の赤さんが座ろうとしている。
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こうやって詰めて座れば真ん中にまだあと3人座れる。ところが、
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このように隣りの人と中途半端な隙間を空けて座る人が多いから、結局、あと2人しか座れなくなる。私はこの現象を日本人の公衆道徳心の欠如という点からのみ考察していたが、最近では日本人の空間分割能力の障害も関与しているのではないかと思っている。
 つまり時間を分割して、音楽のツボで手拍子を打つことが出来ないのと同様、空間を分割して自分の占める位置を決められないのではなかろうか。

 時間と空間を分割してドンピシャリのタイミングを計る能力、これは日本人は諸外国に比べて民族的に劣っているような気がする。2006年のサッカーW杯ドイツ大会では、日本人選手もジーコ監督の下、よく頑張ってくれたが、どうも日本のチームでは中南米やヨーロッパのチームのように、相手ゴール前でポンポンポーンと稲妻のような早いパス回しからシュートを決めるというようなことが出来そうに見えない。ボールを受けてから蹴るまでにわずかな間がある。あれも日本民謡のタイミングではなかろうか。ゴール前に転がったボールに走り込んできた選手が間髪を入れずシュートを決めるのは、まさに時間と空間のタイミングを合わせることに他ならない。
 予選最終のブラジル戦前半の玉田選手のシュートは素晴らしかったが、あれが大舞台で連発できるようになれば…。(6月23日朝追記)


死刑論議の難しさ

 2006年6月、広島高等裁判所で下された無期懲役の判決が、最高裁判所で差し戻しになった事例があった。事件当時18歳をわずかに過ぎていただけの少年が、山口県で強姦目的で民家に押し入り、母子を殺害した凶悪事件の裁判である。20歳代の主婦を乱暴して殺し、泣き叫ぶ乳児をも「うるさい」と殺しておいて、ほとんど反省の色も示していない犯人をめぐって、弁護側と検察側が激しく対立していた。
 今回の事例は、無期懲役では軽すぎる、死刑を宣告せよという最高裁の判断であることは間違いないが、今度の事件に限らず、我が国では死刑という刑罰に関する論議が、死刑存続派と反対派の間でさまざまに展開されていることは周知の事実である。

 死刑反対派の言い分は次のようにまとめられるであろうか。
@死刑とは犯罪人に対する国家の殺人である。犯罪捜査も刑の宣告も人間が行なう以上、絶対に間違いがないという保障はない、もし間違って無実の人を死刑にしてしまったらどうするのか。
Aもし間違っていなかったにしても、犯人には再教育のうえ、更正の可能性があるのではないか。刑罰とは単なる報復や見せしめではなく、犯人の教育であるべきだ。(学者の間では応報刑に対して、教育刑という。)
Bそして何より先進国の中でまだ死刑を廃止していないのは、日本とアメリカの幾つかの州を除けばごくわずかである。要するに世界的に見ても野蛮な刑罰であるということだ。

 この3番目の理由は問題外である。よその先進国が死刑を廃止しているから我が国でも廃止しましょうとはいやしくも主権国家のとるべき態度ではない。
 また1番目のもし誤審だったらどうするかという問題も現実的ではない。犯人の自白に基いた物的証拠が挙がり、それを裁判官が吟味し、「疑わしきは罰せず」の原則が定着した法廷で裁かれる限り、間違いは起こり得ない。ただし国民が憲法に保障された基本的人権と三権分立制度を擁護する努力を怠った場合、国家権力が自らに都合のよい証拠を捏造して政策上邪魔な人間に死刑を宣告する事態が絶対に起こらないとは断言できないが…。
 要するに死刑廃止論の最大の根拠は、刑罰とは「応報=見せしめ」ではなく、犯人の教育であるという2番目の理由だ。更正して真人間に戻る可能性のある犯人を殺してはいけない。人が私怨で人を殺せば殺人罪に問われるのに、犯罪者であることを理由に国が人を殺すことが正当化されるのか。これは矛盾ではないか。

 死刑廃止論は、いわゆる人権派弁護士とか各界の知識人と言われる人々を中心に支持者が多い。もちろん重大な問題だから、多くの国民の間で十分に論議が尽くされるべきなのは言うまでもないが、私が普段から疑問に思っているのは、これら死刑廃止論者の方々は、もし自分の大切な家族(配偶者や子女)が性欲処理の目的のためだけに乱暴されて無残に殺された場合、はたして相手の犯人の善性を信じて、心から許すことが出来るのだろうかということだ。

 死刑廃止論者の中には、自分の奥さんや娘さんが強姦されて殺害されても犯人を許すことの出来る人は少数いるだろうし、実際にそういう目に遭いながら犯人を許した人だって、さらに少数ながらいるかも知れない。
 しかし時流に乗って死刑廃止論を叫んでいるほとんどの人たちは、自分や自分の家族がそういう卑劣な犯罪の犠牲者になる可能性について、微塵も思い巡らしていないのではないか。
 国家による殺人だから死刑を廃止せよ声高にブチ上げている知人がいた。しかしこの人は、9・11同時多発テロの後、米軍のアフガン進攻を熱烈に支持した。ビン・ラディン(bin Laden)のようなテロリストは遺伝的に犯罪者の素質を持っている、貧困をなくせばテロは撲滅できるなんて甘い、と言って、テロリスト掃討に乗り出した米軍を支持したのである。
 私は愕然とした。国による犯罪人の殺害を許さないと言っておきながら、米軍または多国籍軍によるテロリストたちの殲滅は容認したのだから…。この人の態度の二面性はどこに由来するのだろうか。多くの死刑囚が犯した凶悪犯罪には自分や家族は巻き込まれていない、したがって物の見方が冷徹で客観的である。しかしもしかしたら自分の搭乗した飛行機はビン・ラディン一味にハイジャックされて自爆テロの道連れにされるかも知れない、そうなると自分や家族の身の安全については客観的ではいられない。だから米軍が一刻も早くテロリストを“抹殺”して欲しいと思ったのではないか。
 確かに米軍のアフガン進攻は犯罪審判のレベルを通り越した戦争だと位置付ければ、この人の態度も説明できないことはないが、テロを指揮する人間は“遺伝的な犯罪者”、すなわち再教育の余地もない、あるいは社会的事情を斟酌してやる価値もない極悪人だから抹消すべきだという論理は、到底死刑廃止論者のものとは思えない。

 人間とは身勝手なものである。自分の身に火の粉が降りかかってこなければ、決して当事者の心境を想像すらできない。多くの死刑廃止論者の論説が空虚に聞こえるのは、彼らは自分自身のこととして犯罪の被害者・犠牲者のことを考えていないからだ。

 しかし死刑論議の難しさは、決して死刑廃止論者に対してのみ言えるわけではないことだ。間もなく裁判員制度が始まれば、検察官や裁判官でなくとも我々一般国民までが凶悪犯罪者の判決に参加しなければならなくなる。茶の間で新聞やテレビニュースを見ながら、「あんな奴は死刑にしちまえ」と言うのはたやすい。だがもし自分の決断が犯罪者の生死を決めるような状況になったら…。
 私は最近、次のような場面を考えることがある。私が“運悪く”裁判員に選ばれてしまい、凶悪事件の裁判に立ち会わされてしまった。すでに私以外の裁判官と裁判員は意見を表明していて、死刑と無期懲役がちょうど半々だった。私の“一票”で犯人が死刑になるか、無期になるか決まる。後味が悪いではないか。

 私は一般人が判決に関与するようになれば、死刑判決はかなり減ると思う。仮にどんな凶悪犯であろうとも、人の生命を奪うという決断に対して責任を負いきれる日本人は少ないからだ。
 しかし犯人を殺す(死刑にする)という責任も重いが、無期懲役にしておいて、何年か後の更正に委ねる決断の責任も重いのではないか。更正したと判断されて娑婆に戻った人間の再犯によって、再び姉妹が殺された事例が最近もあったばかりだ。殺人犯を再び世に放ったためにまた新たな犠牲者が出た場合、前科の時に死刑にしておかなかった裁判官や裁判員の責任はどうなるのか。また犯人は更正したと誤った判断を下した刑務官たちの責任はどうなるのか。
 もし私たち医師が癌を“誤診”して見逃したうえ、患者さんが亡くなってしまった場合、訴訟で敗れることだってある。犯人に更正の可能性ありとして死刑を回避したために、さらに別の人が生命を奪われた場合、誰がその責任を取るのか。被害者遺族は裁判官や裁判員を“誤審”で訴えることができるのだろうか。司法の独立を守るという見地から、裁判官などはこういう責任を追及されることはないのだが、せめて道義的責任くらいは感じて欲しいものである。

 日本の場合、死刑の次に重い刑罰は無期懲役しかないのが問題だという意見もある。なぜ終身刑を設けないのか、または刑期の加算によって懲役200年、300年という刑罰を与えないのか。
 無期懲役ということは“無期限”懲役でないことは今では周知のこと、一見罪を悔いる様子を見せながら“真面目に”刑期を務めれば、初犯ならば10年も経たずにまた娑婆へ戻れるらしい。これが2番目に重い刑罰とすれば、あまりにも死刑との差が開きすぎていると言わざるを得ない。
 しかし終身刑や刑期加算は残虐な刑罰でないと言えるのか。本当に罪を悔い改めて、一生懸命に償いをしても、結局は死ぬまで囚人として牢獄に繋がれ、決して自由な時間を味わうことは許されないのである。こういう“飼い殺し”は死刑ほど残虐ではないのか。
 しかも20歳で懲役200年など言い渡された日には、80歳まで生きて刑務所で償いをしたとしても、140年分は負債として背負ったままあの世へ旅立たなければならないのである。末期の時までそんな苦悩を負わせる刑罰があって良いのか。凶悪な罪を犯した人間だから当然と言えば当然だが、残虐性という点から見れば、死をもって罪を償わせるのと同等ではないか。まあ、極刑に処せられた人間に、死刑と終身刑のいずれかを選択させるというのも一つの解決法かも知れないが…。


迷惑なスモーカーたち

 ここ20年以上、我が家の夏の風物詩となっている“蚊取り豚”である。とぼけた顔で蚊取り線香の煙を吐き出して憎き蚊どもを撃退してくれる心強い味方だが、夏も冬も口から煙を吐いている人間となると、そうは行かない。今回はある種の喫煙者に一言。

 タバコも一種の嗜好品であり、それが無ければ生きていけないなどと言う人もいるから、絶対に禁止しろとは言わない。本来なら法律を制定して取り締まってくれたら良いのに、と思わぬでもないが、嗜好品を法令で禁止するのは、1920〜1933年のアメリカの禁酒法の失敗を見ても判るとおり、無理な話であるし、やはりタバコを吸う権利も認めてあげなければならないと思う。
 しかしタバコを愛好する権利(喫煙権)も認める代わりに、タバコの煙を吸わずに生活する権利(嫌煙権)も認めて貰わなくては困る。日本国憲法について触れた項でも述べたように、喫煙権と嫌煙権のように互いの権利が衝突した場合には、日本国憲法では両者を調整する“公共の福祉”という原理が用意されており、いったん失われたら回復が難しいデリケートな権利の方を守らなければならない。
 すなわち喫煙者と嫌煙者が共存するためには、タバコの煙を吐き出す人間の方に、より重いマナーが課せられるべきであることは自明であろう。さすがに日常生活の中で、電車やバスの中とか、劇場の客席などといった禁煙区域で傍若無人にタバコを吸う人の姿はほとんど見かけない。この件に関しては、日本の喫煙者の行き届いたマナーとモラルに感謝しているが、ついでにもう一つ、路上での喫煙も遠慮して頂きたいものだと常々思っている。

 天下の公道は嫌煙者ばかりでなく、それこそ生まれたての乳幼児からお年寄り、呼吸器の健康を害されている病気の人たちまで、あらゆる種類の人々が生活上の必要から利用している空間である。ここには『禁煙』マークは無いけれど、“禁煙区域”だと認識して欲しいものだ。広い空の下で吸っているのだから煙は大気中に拡散していくだろうと思っているかも知れないが、とんでもないことだ。歩行中の喫煙者が吐き出した煙は外気で希釈される前に、後ろを歩いている人やすれ違う人の顔面を直撃する。
 しかも歩行喫煙者はニコチンやタールを除去するフィルターを通して煙を吸い込んでいるだけだが、周囲の歩行者が無理やり吸わされる煙には有害物質がモロに含まれているのだ。これはもう犯罪行為にかなり近い。かつてオウム真理教が松本や東京で猛毒のサリンガスを撒いたが、あれと五十歩百歩とまでは言わないが、一歩百歩くらいの犯罪性がある。

 路上での歩行喫煙について書いたついでに、医療従事者の喫煙についても書いておこう。日本の医療従事者(特に医師と看護師)の喫煙率は先進国中1位2位という高さである。日本人医師が海外での学会に参加して、何気なくポケットからタバコを1本取り出して火を点けたところ、周囲の外国人医師たちから一斉に非難の目を向けられたという恥ずかしい醜態も報告されている。
 喫煙癖のある医療従事者の談によると、ストレスが多いから吸うのだそうだ。夜勤のナースステーションや医師当直室には灰皿が“完備”している所も多い。喫煙の害について最もよく理解しているはずの医師や看護師であるが、そういう輩に限って「タバコを吸って癌になってもいい、自分の健康は自分で責任を持つ」などと無責任に言い放つ。それがどれほど患者さんを侮辱する言葉であるかも気付かずに…。
 確かに医療現場はストレスが大きい。また昨今の日本政府の医療政策を見ればストレスは溜まるばかりだ。そんなことは同業者として判り過ぎるくらい判っている。また看護師諸嬢にしたって、威張り散らす医師の指示に振り回されてストレスも溜まっているだろう。

 しかし我々医療関係者の働く職場の同じ屋根の下には、いろいろな病気に苦しんでいる患者さんたちが必死に病気と闘っているのを忘れているのではないか。中には我々より若い人たちもいる、病状の悪い人たちもいる。1日も早く元気になって退院したい、あるいは1ヶ月でも1週間でも1日でもいいから生きていたい、そう願って頑張っている人たちと同じ建物、同じ敷地の中で、自分は癌になってもいいなどと放言する医療従事者…。何という傲慢、何という不遜!
 1日の生命をいとおしむ患者さんたちの気持ちが少しでも理解できるなら、医療従事者は同じ施設の中で自分の生命に火を点けるような嗜好品をやめる努力をするべきだろう。


周産期医療専門医

 2006年8月22日の毎日新聞朝刊の記事を引用する。

総合産婦人科医 東北大など養成
 妊娠、出産から乳幼児期まで母子の医療に幅広く対応できる医師の育成に、東北大、金沢大、宮崎大の3大学が乗り出す。産科や小児科の医師不足や地域的な偏りに対応するためで、文部科学省が今年度から3年間、取り組みに助成する。
 東北大は、専門性を深める後期臨床研修(3年間)中の研修医向けに、「総合周産期実践医」養成コースを同大学病院に設ける。産科の他に、麻酔科や新生児集中治療室でも研修し、母体や新生児の急変に対応できる医師を育成する。今年度中に具体的なプログラムを作成し、07年度から本格的に始める。
 金沢大と宮崎大は、医学部の学生を含めた教育、研修を進める計画だ。
 金沢大は、妊婦と乳児のいずれにも対応できる医師を養成する「周生期医療専門医養成支援プログラム」を策定する。医学部の5、6年生10人程度を公募し、卒業後も継続してプログラムを受講してもらう。
 宮崎大も、縦割りだった産婦人科と小児科の教育体制を見直し、学生や研修医が両分野を総合的に学べる体制をつくる。
 東北大医学部の岡村州博教授(産婦人科)は「お産では、妊婦を診る産科、新生児を診る小児科などが連携するする必要があるが、地方では十分な体制がとれない。総合的な知識や技術を持つ医師を育てたい」と話している。【下桐実雅子記者】


 20年以上も前の私の持論がやっと陽の目を見たかという気持ちである。私は1983年(昭和58年)の『周産期医学』という雑誌(東京医学社)の7月号に、「遠州総合病院における周産期医療の経験−いわゆるperinatologistについて−」という論文を発表して、上の新聞記事で報じられたような教育体制の必要性を提案したが、当時はまったく無視されたばかりか、底意さえ感じられる反論の対象にもなったものだった。
 私はすでにこの論文の2年前から静岡県浜松市の中堅病院である遠州総合病院で、持論にもとづいた周産期医療を実践し、非常に危険の大きいハイリスク妊娠の妊婦さんを集めて診療を行なったにもかかわらず、その分娩成績は当時のほとんどの大学病院や基幹病院の成績と同等、または上回っていたのである。(先天異常を含んだ周産期死亡率は出生1000人に対して6.5、同じ時期の全国の周産期死亡率は出生1000人に対して11.7だった。)
 地方都市の中規模総合病院でも、産科と小児科の修練を積んだ私のような医師が1人いるだけで、分娩成績はここまで改善させられるのですよ、だから両方の科を総合的に研修できるシステムを採用したらどうですかという提案で、私としてはかなり自信を持って発表しただけに、その反応の冷たさはいささか心外であった。
 私と同じような中小病院に勤務する産婦人科や小児科の先生の中には、私のような医師と一緒に働きたいと言って下さる方も少なからずいらっしゃったが、学会(特に小児科学会、新生児学会)での発言力が大きい先生方はほとんどが大学病院や基幹病院のような人員も器材も豊富な施設勤務だったので、日本の平均的な水準の病院の苦労など知ろうともなされなかったのではなかろうか。
 それが最近になって、急速に医師の産科離れ、小児科離れが進行し、大学病院や基幹病院といえども尻に火がついた状況になったらしい。少ない人員や乏しい器材でも何とか分娩成績を保つ努力が必要だと気がついたのであろう。

 上記の新聞記事では、この研修体制の試みは産科医や小児科医の不足または偏在に対応する応急的なニュアンスがあるが、私が試みた時はもっと積極的な意味合いがあった。すなわち妊娠・分娩中の時期から母体と胎児を診療していた医師が、そのまま引き続いて出産後の母親と新生児までを一貫して責任を持つことにより、母子双方にとって最小限のリスクで済ますことが可能であるということだ。
 母体は産科医、未熟児や新生児は小児科医が、それぞれ縦割りで診療していると、例えば次のようなことになる。妊娠24週(約6ヶ月)で切迫早産(出産予定日前に陣痛が起こってしまうこと)になった妊婦さんがいたとする。産科医としては先ず胎盤の機能が保たれているかどうか判断する必要がある。重度の妊娠中毒症などでは胎盤機能が満期の10ヶ月までもたなくて6〜7ヶ月で危険なレベルまで低下してしまうことがある。胎盤は胎児にとっての生命綱であるから、こうなったらグズグズしていられない。未熟児を覚悟でただちに分娩させなければ胎児は子宮の中で亡くなってしまう。
 しかし切迫早産の妊婦さんでもまだ胎盤機能がしっかりしている場合は、安静や投薬で陣痛を抑制して可能な限り分娩を先延ばしして、胎児を子宮の中で成熟させる必要がある。妊娠24週で分娩させてしまうのと、26週まで陣痛を抑えて2週間余計に子宮の中で成熟させた場合を比べると、未熟児の治療成績は圧倒的に改善される。
 つまり切迫早産の妊婦さんに対してすぐに分娩させるか、陣痛を抑制するかの決断は、まさに産科医の腕の見せどころである。ところが小児科医が頑張って未熟児の治療成績が向上し、昔は絶対に助からなかった24週の未熟児でも救命できるようになった。各地に小児科医が管理する大きな未熟児センターができて、もし未熟児が出生したら24時間いつでも救急車で迎えに行きますよと広報するようになった。そうなると開業や中小病院の産科医にとって、24週の切迫早産の妊婦さんの陣痛を無理に抑えなくても良い。なぜなら生まれた未熟児は小児科医が代わりに診てくれるからである。
 開業や中小病院の産科医はたった1人で他の妊婦さんも診療しなければいけないから、切迫早産の妊婦さんにばかり関わっているわけには行かないのである。そこでまだ十分な胎盤機能が残っているけれどもそのまま分娩させて、未熟児は小児科にお任せということになりかねない。
 これでも最近の小児科の未熟児医療の進歩をもってすれば、かなりの確率で救命できるのであるが、やはりあと1週間でも2週間でも後に生まれた場合に比べれば赤ちゃんのリスクは高いし、また何と言っても大勢のベテラン医師と看護師の動員が必要で、医療費も何十万、何百万とかかるのである。

 しかしかつての私のように、あるいは今回計画されているような、産科と小児科の知識と技能を併せ持った医師がいれば、母体・胎児双方にとって最もリスクの少ない方法を選択でき、人員も資源も節約でき、医療費も軽減できるのだ。私が提唱した頃から比べるとずいぶん手間取ったと思わぬでもないが、やっと産婦人科学会と小児科学会(学会名はアイウエオ順)もこの方向に動き出したことに期待したい。が…、
 上の新聞記事を読んでオヤと思った方はいらっしゃらないだろうか。東北大のプログラムでは「総合
周産期実践医」、金沢大では「周生期医療専門医」となっている。周産期周生期はどう違うの?実は同じである。妊娠・分娩・新生児関係の医療は、産む周辺の時期ということで産婦人科側が周産期と名付けていたところ、小児科側がこれに反発して生まれる周辺の時期だから周生期だと言い張っただけである。こんな言葉の行き違いが残っていることも今回の記事で判ったが、せっかく新プログラムも動き出したんだから言葉くらい統一したらどうかね。


文学読書のすすめ

 若い人たちの読書離れが言われるようになって久しいが、本当のところはどうなのだろうか。電車の中などで小学生や中学生が図書館で借りたらしい名作全集などを読んでいる姿もよく目にするし、高校生の読書感想文のコンクールなども行なわれているようだが、これらはほんの一部分に過ぎないのだろうか。
 ほとんど文字ばかりの私のウェブサイトにメールを下さる高校生や中学生の方も時々いらっしゃるし、書店には学校帰りの生徒さんたちも多いので、必ずしも若い人たちの活字離れとか文字離れというわけでもなさそうだが、確かに大きな書店の文庫本コーナーなどを見渡してみると、いわゆる“名作文学”の類の比率が昔に比べて減ったのは事実である。私が中学・高校生の頃は、文庫本はほとんど岩波・角川・新潮の3社で占められていて、さらにその大部分が日本文学、西洋文学のジャンルだった。それも漱石、鴎外、藤村やゲーテ、トルストイ、ヘミングウェイといった“文学の香り”とでもいうような風格の漂う作品が多く、学校の夏休みや冬休みの宿題に出されるようなものばかりだったと記憶している。
 それがいつの頃からか文庫本のジャンルはどんどん拡大していって、最近では新進作家の現代物からノン・フィクションや趣味の本、さらにはミニ写真集まで多数含まれるようになった。一見すると、確かに書店の文庫本コーナーは私の少年時代に比べて拡張されて活気を呈しているように思えるが、出版文化の洪水ともいえるような大量の書籍群の中に、初版以来ある程度の年数を経てきたような名作といわれる文学が埋もれてしまっているのは残念なことである。
 なるほど現代作家の小説も面白いし、その他のジャンルの本も読めば必ず何か得るものがあるはずだが、やはり30年50年100年といった歴史を生き抜いてきた文学作品には何かもっと人生に訴えかけるものがあるように思う。文明が進歩して生活が変化しても、人間の心の本質はそれほど変わるものではないから、時代を越えて読み継がれてきた文学には、普遍的に私たちの心に触れる内容を含んでいるのではないか。それを敢えて教訓とは呼ばないが、極端な言い方をすれば1冊の文学作品で人生観がガラリと変わってしまうことさえあり得るのである。
 もちろん現代作家の小説なども、何割かはそのようにして時代を越えて未来へと読み続けられていくのであろう。しかし若い人たちには現代の流行作家の小説を読むのも良いけれど、青少年時代の時間は限られているのだから(他にもやりたいことはいっぱいあるのでしょう?)、過去の読者たちが世代を越えて保証してきた昔の文学作品にも少しは目を向けて欲しいと思う。

 あまり説教臭いことばかり言っても説得力がないので、私自身が一番大きな影響を受けた文学作品は何だったかと考えてみた。私がこれまで生きてきた中で、何かあるたびによく思い返していた作品は下村湖人の「次郎物語」である。
 次郎物語というと、兄と弟にはさまれた三人兄弟の次男が、生みの母からも祖母からも冷遇されて子供心に辛酸を舐める可哀そうな物語であると思っている人は多いだろうが、実はそんなイジメの話ではない。確かに文庫本全5巻のうち最初の2巻では、兄と弟だけが可愛がられたり、身に覚えのないことで叱られたりと、オナミダ頂戴の大好きな日本人が思わず泣けるような出来事が次々と起こるのだが、2巻の後半で兄と同じ中学に入学、朝倉先生と出会い、兄の友人たちとも出会って、父親に支えられながら、いかに人生を歩んでいくべきかを模索することで、物語は3巻以降やっと佳境に入っていくのである。

 私の中学1年生の最初の夏休みの読書の宿題が「次郎物語」の1・2巻だった。先に述べたように、これだけだと物語は本筋に入っていかないのだが、面白いと思ったらあとは自分で読めということだったのだろう、教師の思惑にみごとにはまった私はたちまち全5巻を読み通してしまった。

 
人間に一番大切なのは謙虚な心と慈悲心である。その心を持った人だけが本当に正しい努力をする。そして正しい努力をする人こそが本当に強い。傲慢な人や無慈悲な人は一見強そうに見えるが実は弱いのだ。

 次郎が入学した中学の校長のこの訓示は今でも忘れられない。私は現実にある私立中学校に入学したわけだが、「次郎物語」の中で次郎と共にもう一つの中学にも入学していたのである。次郎は兄の導きで朝倉先生の主宰する白鳥会に入会する。これは同じ学校の学年を越えた生徒たちが朝倉先生を中心に人生を考えていこうという趣旨の会である。

 朝倉先生の白鳥会の名称は『
白鳥入蘆花』の言葉に由来している。「白鳥、蘆花に入る」と読む。白い鳥が白い蘆の花畑に入る、すると羽風で白い花がそよいで周囲に伝わっていき、見る人に心地良い思いを与えるが、白い鳥の姿は白い花に隠れて見えない。そういう意味である。
 正しい努力とは世のため、人のためにする努力のことであり、自分のためにするものではない。正しい主張でも声高に叫べばおのれの功名心が入ってしまう。白い蘆の花の中で心地良い風を送る白い鳥のように正しい努力をしたい。それがまことの道であるというのが次郎物語の全編通じてのモチーフでもあるが、しかしそれがいかに難しいか。
 
いかにして まことのみちに かなはなむ ちとせのなかの ひとひなりとも
 (どうしたら千年のうちの一日だけでも真の道にかなうことが出来るだろうか)
という良寛の和歌も引いて、朝倉先生もまた生徒たちと共に悩み考えるのである。

 こんなものを20歳30歳を越えてから読んだら、あまりに道徳臭くて却って反感すら抱いたかも知れない。しかし主人公の次郎と同じ年齢であった私は貪るように読んだ。やはり読書にはそれぞれの作品に相応の年齢がある。適切な年齢で適切な文学に巡り合った人は幸運である。だから読書は若いうちから手当たり次第に始めるべきだ。もしまだその作品にとって適切な年齢に達していなければ難しくて興味も持てないから、そのまま放置して何年か経ったらまた読み返してみればいい。しかし適切な年齢を過ぎてしまうと、せっかくの文学もまったく効果がないことさえあるかも知れない。
 あの年齢で「次郎物語」を読んだことが私にとって良かったかどうかは判らない。しかしその後の人生でいろんな出来事に遭遇するたびに、朝倉先生なら何と言うだろうか、次郎ならどう行動するだろうか、そういう判断基準を一つ余分に持つことが出来たことは事実である。どうも最近の若い人たちを見ていると、人生の判断基準を持たずに迷っていることが多いように見える。読書の幅を広げてみたらどうだろうか。

(おまけ)
 小学校の時から読書と並ぶ国語の時間の二大課題と言えば作文である。別に作文についてクドクド書くつもりはないが、私のこのウェブサイトがほぼ毎週のように更新を繰り返し、どうしようもない話題について長々と文章を書き綴っていることから、一般の方々から病理の医者ってけっこうヒマなのねという誤解を受けかねないことを前々から少しは心配していた。同業の方々のウェブサイトなど見ていると、更新はせいぜい1〜2ヶ月に1回程度、数ヶ月に1回という人も多い。毎週のように駄文を綴って更新しているこの医者はよほどのヒマ人だなと思うのが、まあ普通の感覚であろう。
 同業者の方々のために弁解しておくと、病理の医者はそんなにヒマではない。確かに臨床の先生方のように当直の義務はないが、その代わりいったん間違えれば取り返しのつかない診断書を書かされて日頃のストレスは大きい。臨床医と病理医を両方とも経験した私が言うのだから信憑性は高いはずだ。
 さて私のウェブサイトについてであるが、ヒマだから更新するのではない。私の場合、ストレスが溜まるとせっせと文章を書くのである。その日に考えていた取りとめのない事どもを文字に打ち出すとストレスがリセットされるような気がする。まあ、私の特技というより性質である。大学受験に失敗して浪人した時も、日記は毎日200字と制限して国語の作文の訓練とした。しかし高校時代は毎日大学ノートに2〜3ページずつ日記を書いていた私である。たちまち計画は破綻して元のペースに戻ってしまった。さすがに毎日というわけにはいかなかったが(週4日くらい)、大学ノートに2ページも駄文を書いた時は気分もスッとして爽快だった。
 そんなわけで作文は私のストレス解消法なのである。大体名前からして
彦である。だからこのウェブサイトの更新頻度が高い時は、ああブンブン先生も今週はストレスが溜まっているのだなと思って同情して下されば幸いである。


漫画読書のすすめ

 最近、日本病理学会が若手医師勧誘のパンフレットを出したんだそうな。(そんな他人事みたいに言うな!お前も病理学会の会員だろうが!)結構クソマジメで理屈っぽい人も多い病理学者や病理医が知恵を絞って編集したわりには、なかなか写真も多くて読みやすいと思っていたら、ある医大の学生さん(ウチの大学ではないらしい)に見せたところ、文章が多くて読みにくいと酷評されたという話を聞いた。
 フーン、そうなの?これ以上どーせいっちゅうのや、とアタマに来ていても仕方がない。とにかく最近の若い人は、私たちの若い頃に比べて格段に文字を読まなくなった。多数の医学書を読まねばならぬ医学生にしてこのありさまである。私も定年になったら「漫画・病理学」とか「漫画・小児科学」とか書いて、老後の小遣い稼ぎをしてやろうかしら。

 私たちの若かった頃は、単純に「読書=善」「漫画=悪」といった公式が無条件に受け入れられていた(特にPTAや教師の世代には…)。この図式を破ってくれたのは戦後日本漫画界の第一人者と言われた手塚治虫さんと、その同志の方々である。
 手塚治虫さんは私の実家の近くのトキワ荘というアパートに住んでおられ、日本の子供たち(私たちの世代ですね)に夢と希望を与えるための漫画を描こうと頑張っていた。戦前の日本にも「のらくろ」とか「タンク・タンクロー」とか「冒険ダン吉」とかいう少年漫画があったが、やはり戦前の世相の影響で「にっぽんバンザイ」みたいな色合いが多かれ少なかれ混じってしまっていたので、戦後の日本では描けなくなってしまったのではないか。これらの作者がどういう気持ちで筆を擱いたかは判らないが、終戦により日本の漫画も壊滅していたのは事実である。(これらは戦後のある時期からリバイバルで登場したものもあるが、戦前の持ち味は当然失われていた。戦後ののらくろにはお銀ちゃんという恋人までできたのである。)
 手塚さんはアメリカ製のウォルトディズニーの漫画を観て、私たちの世代にも日本製のああいう漫画を作りたいと願っていたらしい。そのうち志を同じくする寺田ヒロオさん、藤子不二雄さん、石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんたちも続々とトキワ荘に越して来て、まさに日本漫画の梁山泊の様相を呈したという。本当にありがたいことである。こういう人たちがいなければ、鉄腕アトムもオバケのQ太郎もサイボーグ009もおそまつ君も読むことがなく、日本の子供たちはアメリカ漫画でもっと根本からアメリカナイズされていたかも知れない。もちろん最近の日本アニメの隆盛もあったかどうか。
 あの頃の漫画家の人たちは、トキワ荘の人たちもトキワ荘以外の人たちも、日本の子供たちに漫画を描くことだけに人生を賭けておられたことが読者の子供心にもよく判った。少年マガジンに続いて少年サンデーが子供向けに週刊で発売されるようになり、漫画家の先生たちはあっちにもこっちにも作品を連載して、いつ休むんだろうと不思議に思った記憶がある。最近の週刊漫画雑誌などを見ると、「作者の○○先生は取材のため○号まで休載します」などというお知らせがしょっちゅう載っているが、あの頃はこんなことは絶対になかった。連載再開された後、取材の成果も明らかでなく、取材と偽って休暇を取ったことくらい、今の子供たちはすぐに見抜くだろう。どうせなら「先生もお休みさせて下さい、続きは来月まで待ってね、ごめんなさい」と正直に謝るべきだ。とにかく昔の漫画家の人たちは、読者の子供たちの期待を決して裏切ることはしなかった。

 こうして戦後日本の漫画は偉大な先駆者たちによって次第に隆盛をきわめ、かなりエッチな漫画や残虐な絵のある漫画などが物議をかもしたことも度々あったが、結局はそれらも含めて漫画は日本の文化の一つになった。
 私たちの世代を筆頭にすれば、戦後日本漫画の洗礼を受けなかった世代はない。制作・出版される漫画が増加する中で、子供たちが次第に活字を読まなくなる、すなわち読書をしなくなる傾向に歯止めが利かなくなってきたことは残念ながら事実である。文学の読書が深い人生観の形成に不可欠であることは前項に書いたが、しかしこれからの子供たちに読書を奨励しようとして、かつての「漫画=悪」という反動に走ってはいけない。あくまでバランスの問題である。

 漫画には活字にない表現力がある。私が小学生だった頃、手塚治虫さんとSF作家の小松左京さんの対談で、小松さんが漫画は絵で表現できて羨ましいというようなことをおっしゃっていたのを読んだ。まだ文章を書く習慣もなかった私は、いちいち絵を描くより文章で表現した方が楽じゃないかと思った記憶がある。しかしこれは間違いだった。
 例えば今、若い2人の男女が夕焼けの海辺に佇んでいる情景を文章に書くとする。男女の風貌や衣服はどんなか、男と女は互いに相手をどう思っているのか(相思相愛なのか片思いなのか別れ話の最中なのか)、海岸線の地形はどうか、季節はいつ頃か、風や波は強いのか…、これらを詳細に文章に書くのはかなり大変だが、漫画なら1コマか2コマで描ける。あの時、小松左京さんが手塚治虫さんを羨んだ気持ちが今はよく判る。
 人間の心の内面や思想の表現力では漫画は文章に及ばないが、事実や情景の客観的・具体的記載では漫画はほとんど万能と言える。例えば歴史をどう考えるかについては文章を介さなければならないが、どんな人がどんな事を成し遂げたのかというような概略の事実を将来の若者たちに伝えようと思ったら、もう漫画の方が手っ取り早いのではないか。漫画で伝えた客観的事実に基づいて文章で考えさせる訓練が望ましいと思う。いつまでも文章にこだわっていては、最近の若者たちは判断の根拠になる客観的事実すら知らずに終わってしまう恐れがあるからだ。

 私は学生さんたちの医学の講義もできるだけ“漫画的”要素を取り入れることにしている。例えば“正常な状態”として船を1隻描く。次に貨物輸送の需要が増えた場合として、もっと大きな船を1隻描き、ある会社は大型船を導入したと説明する。次に別の会社は同じサイズの船を増やしたと言って最初と同じサイズの船を2隻描く。病理学的には前者が“肥大”という現象、後者が“過形成”という現象である。体内の需要の増加に細胞が大型化して対応するのと、数を増やして対応する差であるが、病理学的に大切な概念も短い時間で説明できるから、限られた講義時間で多くの内容を教えられる。
 これからの出版文化では、客観的事実は漫画、人間の内面は文章という分業体制をもっと明確に意識した方が良いかも知れない。

(補遺1)
 漫画に描くと一目瞭然であるが、作者が思いもしなかった内容が読者に読み取られることもあり得る。あまりに滑稽で私が今でも覚えているのは、もうずいぶん昔に出された男女同権を訴える漫画のパンフレットで、主人公の男女が社会のあちこちを探索して男女差別がこんなに残ってますと主張する内容だった。ところが主人公の男性は背広姿なのに女性は水着姿!男女同権とか言いながら、女は水着で裸を売り物にするという差別ではないか、と抗議の声が上がった。
 やはり客観的事実を漫画に描くと言いながらも、作者の内心の思想や偏見は知らず知らず絵に出てしまうものだなと、今考えても可笑しい。

(補遺2)
 昔の漫画家は読者の子供たちの期待を決して裏切らなかったと書いたが、実は例外が一つだけある。もう作者名は言わないが、「サブマリン707」という潜水艦漫画の「アポロノームの巻」は作者が飽きて途中で中断されてしまった。なぜ作者が飽きたと判るかといえば、第一部終了後、第二部が始まらないまま、「青の6号」という同じ作者によるまったく別の作品の連載が始まってしまったからである。あの失望感は忘れられない。
 「アポロノームの巻」というのは原子力空母3隻と原子力潜水艦6隻が合体して一つのユニットを形成するアメリカ海軍の新兵器アポロノームがテロリストに乗っ取られ、世界平和が脅かされるという、現代でも十分通用する面白い設定だったが、いよいよ決戦の火蓋が切られるというところで第一部終了、そのまま永久に連載再開なしということで、私は今でも続きを読みたいと思っている。O先生、まだお元気だったら続きを描いて下さいよ〜。

(補遺2の補遺)
 ネットで検索したら、サブマリン707の「アポロノームの巻」は2年後の単行本化の時に決戦編が書き足されたらしいが、副長が何の脈絡もなく変わっていたりしたうえ、呆気なく決着がついてしまったらしい。オイオイ…!


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