八重垣神社

 2015年の6月、島根県の松江市で開かれた学会に参加しました。実は私が関係する学会が松江で開催されたのは21年ぶり3回目で、最初の時は自分の口演発表もありましたが、母親が心臓の大手術をした時期と重なっていたので、往復とも夜行寝台特急でトンボ返りという慌ただしい日程で、ゆっくり観光する余裕などありませんでした。
 21年前に現在の職場の検査技師さんの発表の付き添いで訪れた2度目の時は、松江城の天守閣も登ったし、宍道湖の夕陽も見ることができて、松江の旅情を満喫させて頂きましたが、学会でも開催されなければ旅行などできない忙しい身分としては、島根県あたりまで足を伸ばせる機会もこれきりかと名残惜しい気持ちで松江を離れたのを覚えています。

 しかし出雲は縁結びの地、やはり三度訪れる縁があったのでしょう、夜行列車で朝着いて2泊3日という比較的余裕のある松江の旅を楽しむことができました。エッ、もちろん学会で勉強もしましたよ(汗)。
 今回は学会の用も終わって、帰りの列車の発車までの空き時間にぜひ立ち寄っておきたいスポットの一つが八重垣神社でした。松江駅の南方郊外にある神社で、21年前の学会の時も職場の検査技師さんたちと一緒に観光して、その神秘的な佇まいが印象に残っていたからです。しかし21年という時の流れは人の記憶を変えてしまうのか、それとも対象物の方が変わってしまうのか、一つ一つの樹木や池や石などは昔のままなのに、何だかあの時に比べて全体の雰囲気がずいぶんこざっぱりと整備された綺麗な神社に変貌しているなという感じでした。

 ところでこの八重垣神社は素戔嗚尊(スサノオノミコト)とその妻の櫛稲田姫(クシナダヒメ)を祀った古い神社で、夫婦の神様だから昔から縁結びの御利益があるとされていました。
 ちなみにスサノオノミコトの神話は皆さんご存知ですね。宍道湖の夕陽のところにも書いたとおり、スサノオさんは元々は高天原に降臨されたヤマトの血筋ですが、あまりに暴れ者だったために出雲族との政略結婚の婿さんに差し出された神様と私は理解しています。政略結婚だったとは思いますが、神話の物語では高天原から追放されたスサノオさんが出雲国にやって来ると老夫婦が嘆き悲しんでいる、わけを聞くともともと8人の娘がいたが毎年1人ずつ八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という頭が8つある大蛇に食べられてしまい、今年はいよいよ末娘のクシナダヒメが食べられる番になってしまったとのこと。

 ヤマタノオロチってキングギドラよりもたくさん頭があって強そうですね。しかし何故この老夫婦は毎年毎年おとなしく娘たちをこんな化け物の餌食に差し出していたんでしょうか。このヤマタノオロチの神話は、ギリシャ神話のアンドロメダ王女の物語と似てますね。母親のカシオペア王妃があまりに娘を自慢しすぎて海神の孫娘たちを侮辱したため、海神の怒りに触れて化け物クジラの生贄に捧げられることになったアンドロメダ王女です。出雲の老夫婦はカシオペア王妃のように娘たちを自慢したわけではないのに何故こんな理不尽な目に会っていたのか、そのあたりの事情はギリシャ神話ほど明確ではありません。

 それはともかく化け物クジラに食われそうになったアンドロメダを危機一髪で救出したのは英雄ペルセウスでしたが、出雲の化け物大蛇を退治したのがスサノオさん、クシナダヒメを嫁にくれるならヤマタノオロチを退治しようと約束し、八重垣を作ってヒメをその中に隠したのが、この八重垣神社だったとされています。(一説にはヒメを櫛に変えて自分の髪の中に隠したともいわれる。)スサノオさんは8つの大きな瓶に強い酒を仕込んで化け物の到来を待ち受け、酔っ払って眠ってしまったヤマタノオロチの8つの頭を次々に切り落としたそうです。しかしヤマタノオロチも酔っ払って寝ちゃうなんてちょっとオバカですね。

 こうして約束どおりクシナダヒメと結婚したスサノオさんは共に仲睦まじい夫婦神として八重垣神社に祀られています。それにあやかって縁結びとか、夫婦円満とか、子宝とかを人々がお願いに来るわけですね。
 しかし古事記や日本書紀などの神様たちはこういう男女の交わりについて、本当に無邪気であっけらかんとしています。例えば境内にあったこの祠の向かって左側にある“物体”は何に見えますか?スターウォーズの帝国軍のヘルメットを被った兵士ではありませんよ(笑)。
 まさにこれは男性自身のシンボルです。こんな物を神様の横にドーンと祀って、人々はそれを崇め奉るんですが、別にこの神社の境内は18歳未満立ち入り禁止ではありません。
 良いですね、このおおらかさ…(笑)。

 そもそも古事記という昔の書物には、現代風に言えば“猥褻”と言えるような表現が随所にあります。最初の国生み伝説からして、伊邪那岐(イザナギ)が伊邪那美(イザナミ)に向かって「汝の身はいかに成れる(お前の体はどうなってるか)」と問うと、「吾が身は成り成りて、成り合わぬところあり(要するにへこんでいる所があります)」と答えたので、伊邪那岐は「我が身に成り成りて、成り余れる所あり(要するに出っ張っている所がある)」、だから俺の出っ張った所をお前のへこんだ所に刺し込んで国を産もうではないかと、びっくり仰天するような大胆なプロポーズをするわけですね。
 最近…というか、神代を下った時代でこんな無骨で乱暴なプロポーズをする男は、たぶん頬に2〜3発平手打ちを食らって、セクハラで社会的生命は終わるでしょう。高天原の乱暴者だったスサノオさんでさえ、ヤマタノオロチから救ってやるからヒメを嫁に下さいと、きちんと筋を通して求婚しているんですからね。

 それはともかく、こんなおおらかな男性のシンボルまである神社ですから、樹木にも不思議な力が作用するのか、境内には夫婦椿が生えています。左の写真は年輪を経た古い椿ですが、地面から生えた2本の幹が合体して1本になっている。しかも境内にはこんな椿が3本もあります。乙女椿(乙女…ですよ)でさえ右の写真のとおり(驚)。

 唐の詩人 白居易の「長恨歌」など思い出しませんか。玄宗皇帝が世界三大美人にも数えられる楊貴妃に夢中になって政治を忘れ、ついに国軍の反乱を招いてしまう物語ですが、玄宗皇帝と楊貴妃が7月7日に長生殿で密かに交わし合った愛の言葉:
 
七月七日長生殿 夜半無人私語時
 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝

天に在りては願わくは比翼の鳥となり、地に在りては願わくは連理の枝とならん。
比翼の鳥とは雌雄で目と翼を共有して常に一体となって飛ぶ想像上の鳥のことですが、連理の枝はまさに八重垣神社に実際に生えているこの椿みたいな樹木のことです。こういう男女の仲睦まじい例えが現実に目の前にあるのだから、この神社に良縁を求める若者たちや、良縁に感謝する年配のご夫婦などがお参りするのも当然のことですね。
 もちろん私も良縁に恵まれてこの年齢まで良い人生を送ってきました。21年前にこの地を訪れた時はまだ結婚数年目でしたが、その後の長いようでも短いようでもある結婚生活を楽しめたことを御礼申し上げて、何だか感無量でしたね。

 この神社の奥に昼でもちょっと薄暗い森がありますが、その中にある鏡の池は、クシナダヒメがヤマタノオロチから身を隠している間、姿見に使ったと伝えられており、池の向こうの祠にはクシナダヒメが祀られているそうです。池のこちら側の年配のご夫婦の傍らに若い女性が腰を屈めて何かしており、それを友人らしい女性が撮影してますが、何をしてるんでしょうね。実はこれは和紙に硬貨(10円玉か100円玉)を乗せて水に浮かべる良縁の占いなのです。

 硬貨を乗せた和紙が早く沈めば早く良縁が舞い込む、近くで沈めば身近な人と、遠くで沈めば遠方の人と結ばれるとされており、若い独身の女性たちはけっこう真剣に占ってますね。21年前に一緒に来た職場の女性たちも夢中になってやってましたっけ。

 下の写真は、あの頃の職場の人たちと同じ年頃になった私の教え子の女性が動画で送ってくれた鏡の池の占いの一部始終です。鬱蒼と茂る木々の葉が映る池の水面に硬貨を乗せた和紙を浮かべると(左上)、だんだんと水が染み込んできて(右上)、ついに水中に引き込まれるように沈んでいく(左右下)、大体3分弱で沈んだので人並みに結婚できますよ、と言ってましたから、彼女の良縁を楽しみに待つことにします。

 考えてみれば人の縁とは家族の縁だけではないんですね。職場や学校で出会った友人、先輩、後輩、同僚、それに恩師や教え子、いろんな人たちとの縁があって自分のこれまでの人生があったなと思いますが、本当に人の縁は不思議なものですね。その場限りの縁も多いが、切れる縁と強まる縁、古い縁が切れなければ繋がらなかった新しい縁、本当ならとっくに切れていてもおかしくないのにまだ繋がってる腐れ縁、この世で出会うことが最初から約束されていたとしか思えないような縁もあります。21年前と同じ神社を訪ねてみて、この間に巡り会ったさまざまな人たちとの縁を想った出雲の旅でした。



        帰らなくっちゃ